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2011年12月30日金曜日

今年よかったこと

~最後に明るい話題で~



 今年も残りあとわずか。あまり思いつかないかもしれませんが、個人的なことも含めて、私の身の回りで起こった良かったことを、思いつくままにあげてみたいと思います。


■なでしこジャパンのワールドカップ優勝
 この試合は最後まで見ていました。延長戦での沢選手の同点ゴールのシーンには感動しましたし、ペナルティキック合戦はハラハラドキドキ。そして勝利の瞬間には喜びが爆発しました。最後まであきらめてはいけないという典型的な出来事でした。


■落合ドラゴンズのセ・リーグ優勝
 こちらも決してあきらめないという信念を感じたシーズンでした。日本シリーズで敗れはしましたが、乏しい戦力でよくぞここまでと、こちらも感動!


■アマチュアゴルファーの松山君がマスターズでベストアマ
 仙台出身の彼は最後まで出場を迷ったようですが、地元の応援を背に見事ベストアマを獲得。その後は被災地区でボランティア活動に励み、秋にはプロの試合である太平洋御殿場コース行われた大会で優勝しています。スケールの大きいゴルファーに育ってもらいたいです。


■独裁国家に自由の光が差し込んできた
 アフリカを中心に独裁政権が連鎖的に倒されました。多くの犠牲者が出ましたが、自由国家への第一歩を踏み出しました。


■タイガーマスク現象
 恥ずかしがり屋でなかなか表だってできなかったけれど、本当はやさしくて誰かの力になりたい控えめな日本人がたくさんいることを、改めてうれしく思いました。


■いい曲に出会うことができた。


■よい美術品を見ることができた。


■犬に話しかけられたような気がした
 どんな犬でもすれ違うと、いつも私に寄って来るのですよ。


■料理のレパートリーが増えた。


■コレステロール値が下がった
 薬のせいですが・・・。


■自宅の植物が元気に育った。


■隠れ家的小料理屋さんを見つけた
 7月以降仲間を誘ってよくいきました。おいしかったです。ありがとう。


ぶろぐ村に登録して一か月で2位までたどり着いた
 ご愛読ありがとうございます。より一層面白い内容にします。


■お茶をおいしく点てることができるようになった。


岩の湯に連泊することができた。


ヤイリギターの企画に感動した。


 そして体調問題はあるにせよ、何よりも1年間無事に生き延びることができました。もしかして今年2011年は、後で振り返った時、歴史的にみても大きく刻まれる1年だったのかもしれません。


2011年12月28日水曜日

振り返るより前を向いて

~つらい一年でしたが~


 今年ももうすぐ終わろうとしています。戦争体験のない世代にとっては、今年はかなりつらい一年だったような気がします。春にはタイガーマスク現象があり、日本もなかなかすてたもんじゃないなという誇らしげな気分になっていた矢先、震災ですべてが吹っ飛んでしまいました。そしてその後は無力感に襲われてしまいました。


 でも、震災直後の東北人のじっと耐える姿や我慢強さ、それにみんなでこの国を何とかしようとする日本人の思いには、心を打たれました。日本だけがよければいい、自分の会社だけがよければいい、自分だけがよければいいという発想が、いかに身勝手な発想であるかということが、身に染みてわかったような気がします。自分も何かの役に立ちたいという思いを持った人は多かったのではないでしょうか。

 
 また、今年は政治家の問題発言が多かったような気がします。世間の感覚とはかなりずれているような気がしました。人材不足というか、この国を安心して任せられる人がいつからこんなに少なくなってしまったのでしょうか。同様に、マスコミが取り上げる内容にもなんとなく偏りを感じるのも、今後のこの国の将来の事を考えるとなんとなく気になります。


 今年一番感じたのは、責任を取ろうとしない人がいたるところで目についたことです。いわゆる「想定外」という言葉がはやりましたが、これは、「こんな出来事は想定外のことだから、私には責任がないのだ」ということが言いたいのでしょう。世間の常識や当たり前の意見が耳に入らないというか、自分に都合のいいようにだけ解釈してしまい、なんとも思わなくなるのでしょうね。


 まあ、そういった年ではありましたが、残念ながらもう終わってしまったことはどうしようもありません。私にも「人間は現実をありのままを受け入れて生きていくことしかできない悲しい存在である」という文章を読んで、悲壮感を漂わせながら生きていた時代がありました。でも将来を変えていく力はあると信じたいです。


 来年はひたすら前を向いて歩いていきたいものだと思います。 

2011年12月26日月曜日

冷温停止とは言うけれど

~原発収束は誰かがこの目で確認したのだろうか~



 日経新聞一面下段の評論「春秋」は欠かさず読んでいるのですが、12月8日のテーマは「大本営発表」でした。今年は真珠湾攻撃からちょうど70年です。


 今年3月に起こった原発事故。テレビの映像を見ていても、相当危ない状況になっているのではないかと素人目にも判断されたのですが、東電や政府の発表やテレビの解説を聞いても、すぐには大変なことにはならないといった感じの報道でした。大丈夫と言っておきながら、実は大変なことになっていたなどということはよくある話です。本当に大丈夫だろうかと心配して毎日報道には気を付けていたのですが、事故から半年以上経過して、なんとなく静かになりかけてきたころに発表されたのが、実は地震発生当初のかなり早い段階から原子炉はメルトダウン状態だったというではありませんか。大勢の国民はやっぱりなと思ったことでしょう。本当にわからなかったのか、あるいは国民を心配させまいとして隠していたのであろうか。そのあたりはどうだったのでしょう。


 福島第一原発の現場にいた吉田所長のインタビューもかなり衝撃的でした。今だからこそ落ち着いて新聞記事を読んでいられましたが、何度も「もうこれで死ぬかなと思った」という発言は、極限状態を経験した人にしか出てこない言葉だと思います。吉田所長の判断と決断力と行動がなかったら、日本はもしかして今頃はしばらく立ち直れないような状況になっていたかもしれないのですから。


 そして今度は、原発の冷温停止宣言です。誰かが自分の目で原子炉内を確認しに行ったのだろうか。それとも単なる推測なのでしょか。もう安全だと信じていいものかどうかわかりません。新聞各紙は一面でこの政府の発表を取り上げていましたが、まだ多くの国民が疑いの目で聞いているのではないでしょうか。


 都合の悪いことを隠す体質は最近あちこちで目にしますが、特に報道する側にとっては真実を伝えることは大事だと思います。なんかおかしいなと思うような都合のいい発表には、常に疑いの目を持って臨んだほうがよさそうです。

2011年12月21日水曜日

あなたはトマトラーメンを許せるか?

~久しぶりの大阪オロオロ出張だった~



 東京出張は日帰りを含めよくあるのですが、今回は久々大阪出張です。大阪といえば橋下市長、大阪都構想。さぞかし活気があるのだろうなと思ったのですが、当日は冬の雨。傘をさして下を向きながら目的地に向かったのでした。それにしても、地下鉄御堂筋線の切符の購入には思いっきり焦ってしまいました。以前来たときは単に券売機にお金を入れて金額ボタンを押すだけだったのですが、今回は目的とする行先の切符の購入にたどり着くまでに、複数の手続きを踏まねばならず、慣れない私はどこを押していいのかわからずにオロオロしてしまいました。しかも早朝だったため、後ろには早くも列ができています。あちこちボタンを押して試行錯誤しながらやっと切符を購入することができたのでした。後ろにいた若い人は内心「この忙しいのにそこのおっさん何やってんの、これだから田舎モンは困るよなぁ」とさぞかしイラついていたことでしょう。


 目的の仕事をとりあえず終えて、宿泊先のホテルに向かいます。宿は地下鉄心斎橋駅を出てすぐのはずですが、どうも方向感覚がよくわかりません。いったいどっちの方向へ歩いて行ったらいいのだとここでもオロオロしていると、お店の入り口に若いお姉さんがいるではありませんか。このホテルへはどうやって行ったらいいですかと聞いたのですが、店の中の人に聞いてみますといってドアの中に入っていきます。私も入ろうとしたところ、そのお店はなんと秋田・岩手・青森の東北物産展のお店ではありませんか。「おぉ私は実は秋田県出身なのですよ」と話したところ、そのお姉さんは「この人秋田の人なんですよぉ」と大きな声でお店の人たちに話してくれ、大変親切に宿の場所を教えてくれました。その女性はなんとなく秋田美人風でしたので、どこのご出身であるのかなどと食事でもしながらその辺のことをいろいろお話したかったのですが、目下の私の目標は、PCや本や雑誌・着替えをはじめ、パンパンに張りつめているこの重い鞄を何とかすることです。とりあえず教えていただいた宿を探し当て、やっと一息つくことができました。


 部屋で一段落した後は夕食です。いつも出張の際一人で夕食をとるときは、ラーメン餃子ビールの黄金の3点セットで済ますことにしていたため、地下鉄駅構内の通りをぶらぶら歩いていました。そうしたらやはりラーメン屋さんがあったため早速突入。醤油にしようか味噌にしようかとラーメンのメニューを眺めていたところ、なんとトマトラーメンという活字が目に飛び込んできたではありませんか。私はたまに「CoCo壱番屋」のカレーを食べるのですが、いつも完熟トマトを注文し、それをカレーにかけて食べます。はたしてトマトがラーメンに合うのであるかという疑問が大いに私の頭の中に湧き上がってきたのですが、昨年はトマト鍋なるものがはやったことでもありますし、食文化にこだわりのある大阪人の食べるラーメンのメニューにあるのだから、間違いなくおいしかろうという期待と、多少の好奇心もあって、そのトマトラーメンなるものを注文したのでした。餃子をつまみにビールを飲んだ後、早速トマトラーメンを摂取したのですが、なかなか微妙な味でした。軍配は「CoCo壱カレー完熟トマトかけ」の勝ちですね。いい経験をさせていただきました。


2011年12月19日月曜日

「絆」でよかった今年の漢字

~おもわずやったぁ!と叫んでしまった~



 今年を象徴する漢字は「絆」に決まりました。最近ずっと気にしていましたので、うれしかったです。全国公募の中で一番票が多かった字に決まることになっていたのですが、途中経過では「原」が1位、そのあと「災」「被」「震」「波」など震災関連の字が上位を占めており、 「絆」 は8位だったのです。個人的にはぜひ 「絆」 が選ばれてほしいと思っていましたので、ニュースで確認した時にはおもわず「やった!」と心の中で叫んでしまいました。やはり震災関連の字が選ばれるのには、私としては抵抗がありましたので。


 「今年の漢字」は1995年から始まったようですが、なんと最初の年の字は「震」でした。この年には阪神淡路大震災が起きているのです。その後「食」「倒」と続き、2004年には「災」が選ばれています。2007年には「偽」そして昨年は「暑」でした。


 気が早いのですが、「来年の漢字」を当ててみたいです。「復」「希」「生」などが上位に来るような年であってほしいですね。


 私の好きな「遊」など、今はとてもそんな時代ではないけれど、遠い将来にでも一度でいいからこの字を見届けたいものだと思っているのです。

2011年12月16日金曜日

年を取るのも悪くない?

~なんとなく心穏やかな心境に・・・~


 最近、自宅のベランダの窓から差し込んでくる穏やかな日差しにやさしい気持ちになって、ついボォ~っとしてしまうことがあります。ベランダには植物を目いっぱい植え込んでいるのですが、植物の葉が揺れると日差しもそれにつられてゆらゆら揺れ動いているのですね。このままずっとのんびり過ごしていたいなぁとなんとなく眺めていると、後ろから連れ合いが声をかけてきます。「爺っちゃん」と。おいおい、まだ55だぜ!人生これからが黄金時代なのだ。


 先日NHKで夜9時からやっているニュースを見ていました。男性のアナウンサーはたぶん私と同じくらいの年齢だと思いますが、その方がソフトバンク秋山監督にインタビューをしていた時に、「最近年を取るのも悪くないなと思うようになってきたんですよ」という発言をしていました。今年の日本シリーズは、落合ドラゴンズ秋山ホークスとの対決となったのですが、実はこの二人は現役時代、打撃タイトルを目指してしのぎを削っていた間柄なのですね。いつも落合の三冠王を秋山が阻むかどうかという構図でした。そういえばブーマーもいましたが。結局秋山がリードしていても、最終的には落合が逆転して三冠王を取るという結末で終わるのですが、その間の落合の発言や駆け引きがとても面白かったという記憶があります。


 今では落合は頭を丸めてしまいましたし、秋山の目じりには深くしわが刻みこまれていました。でもお互い年齢を重ねてから、別の立場で勝負するというのも、人生なかなか味わいがあっていいではないですか。アナウンサーはそんなことを言いたかったのだと思います。


 若いころは、年を取りたくないと思っていましたし、時間はすべての人に平等に流れているとはいうものの、年齢を重ねるにつれて一年一年が早くなるような気がするとはよくいわれることです。確かにその通りで、今年ももうすぐ終わろうとしているし、いったい自分はこの一年何をしてきたのだと思うことも事実です。でも一方で、年を取るのも悪くないという気持ちも、最近実感としてわかるようにもなってきました。なんとなくやさしい気持ちになってきたのでしょうね。


【年を取って変わったこと】
ゴルフの飛距離が落ちた。
若いころは「飛距離命」で、自分より飛ばす人が許せなかった。その代りOBも多かった。今は飛ばなくなった分、曲がってもOBゾーンまで行かなくなった。
酒量が減った。
若いころは日本酒は一升飲めたし、ウイスキーも一本空けることができた。ビールもどんぶりに入れて鉢巻きを締めて一気飲みをやった。俺がバカだった!今では一升飲めなくても、いいお酒をじっくり味わって飲むことができます。思えばワシも成長したのだ。
若いころは、酒にまかせて気に入らない奴は殴っていたし、世の中のおかしな出来事には目を吊り上げて怒っていた。でも最近では、しょうもない奴だなぁと許せるようになった。
一日を自分のために大事に過ごすようになった。
古いものの良さがわかるようになった。
日常の些細なことに幸せを感じることができるようになった。

 等々です。


 まぁそうはいっても、最近世の中がまた騒々しくなってきたため、まだまだ老け込むわけにはいかなくなってきそうな気配ではありますが。

2011年12月14日水曜日

川柳で学ぶ会計の話...その2

~川柳番号301 「鴻毛より はるかに重い 自見発言」~

 菅前首相の脱原発発言を「鴻毛より軽い」と発言したのは、海江田経済産業相でした。鴻毛などという難しい言葉を知っているとはさすがです。悔しいけれど、私は知りませんでした。そこでその時さっそく調べたのですが、鴻(おおとり)の羽毛で、非常に軽いもののたとえだそうです。時の首相発言をそのように批判するのも、なかなか勇気のいることだと思います。でも、そんな人には泣かないでほしかったです。


 菅前首相の発言が鴻毛より軽かったかどうかは別として、この人の発言は大変重い発言でした。自見大臣IFRSをめぐる発言です。IFRSについては、当初は2012年を目途に導入するかどうか(導入することをではありません)を決定し、導入する場合にはそこから3年ほどの準備期間を設け、2015年ごろに適用するという道筋が示されていました。ところがどういうわけか、出版業界は、あたかも早ければ2015年3月期にIFRSが強制適用となるかのような雰囲気を醸し出し、書店に行けば会計分野にはIFRS関係の分厚い本がこれでもかとばかりにあふれかえっていたのですね。しかも、IFRSは2期比較で開示しなければならず、比較年度の期首から適用されていなければならないから、実質3年前からIFRSを導入しなければならないし、システム投資も必要で、今すぐにでも準備に入らないと間に合いませんぞと、IFRS関係本は訴えてきます。人間の心理というのは恐ろしいもので、そういう場合には遅れてしまってはならないと焦ってしまいますよね。そういう私もそのうちの一人で、これまでIFRS関係の雑誌や本は何冊も読み、昨年末から今年にかけてはブログにも書いたように千ページ本を読破していたのです。 


 流れが変わったのは震災が起こってからでしょうか。なんとなくこの状況ではIFRSどころではないなと話していたところでした。公認会計士は会計の専門家ですから、もちろん勉強はするけれども、このまますんなりいかないだろうなという思いが頭をよぎっていたのですね。そこに出てきたのが新書版の「IFRSに異議あり―国際会計基準の品質を問う―」という本でした。確か出版されたのは5月くらいだったと思います。IFRS一辺倒の偏った考えに陥るのは嫌だったため、早速購入してこの本を読んでみたのですが、なかなか説得力のある本でした。そして、この本を読んでこういう考え方もあるな思っていた時に突然出てきたのが、自見金融担当大臣のIFRS導入延期発言です。2012年に導入するかどうかを決定し、準備期間を5年~7年設けるというものでした。これには正直驚きました。このようなこともあるのかと。


 IFRSを日本の会計にどのように適用していくのかということについては、企業会計審議会で議論されており、各委員の発言内容が議事録として公表されています。現在は11月の会合分まで議事録になっていて、全て目を通しましたが、内容を読んでいる限りでは、日本の上場企業すべてにIFRSを導入しようという意見は少ないように思います。連単分離、上場企業にも部分適用が今のところ多数意見のような気がしますが、皆さんはこれを読んでどのように思いますか。


 いずれにしても議論はこれからも続きますし、TPPもそうですが、IFRS問題も日本の国益に絡む大きなテーマですので、慎重に検討していただきたいと思います。


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2011年12月12日月曜日

公認会計士にとって必要な資質

~「モチベーション」「誇り」「使命感」~


 今年の公認会計士試験合格者が発表になってからほぼ1か月になりますが、合格者の皆様方が無事就職できたかどうか心配です。今年の試験はもうすでにご承知の通り、合格率がだいぶ下がり、合格者の数も大幅に減りました。ほんの3年ほど前の約半分です。それでも監査法人側の求人数は、さらにその半分ほどだといわれています。せっかく厳しい試験に合格したにもかかわらず、就職できない人が半分近くもいるという実態を、いったいどう考えたらいいのだろうか。「待機合格者」などと言い方をすり替えてはいるけれど、大変大きな問題だと思います。この道を選ぼうとした人たちには、ひとりひとりにそれぞれ、迷いと後戻りできないという大変な覚悟と決断・それに人生の岐路があったはずで、しかも膨大な時間と努力を費やしているはずです。その知識を生かせるような機会をぜひ得ていただきたいし、決断は間違っていなかったと後になって言えるような仕事についていただきたいです。


 公認会計士に必要な資質は何かと考えてみました。私は3つあると思います。以前NHKドラマ「監査法人」のDVDに用語解説を書いたのですが、その時に追加で書いて結局「ボツ」になった用語がありました。そこから引用すると


■モチベーション

公認会計士にとって最も必要な要素。たとえ日常業務がハードであっても、モチベーションを高く維持し続けることが、この業界で活躍するためには必要です。「志」ともいいます。志の高さと使命感。これがいかに重要であるかは、ドラマ「監査法人」をご覧いただけるとわかると思います。


■誇り

「地位やお金なんかいらない・・・誇りが俺を支えてくれる」いいセルフだと思います。地位やお金は後からついてくるもの。いい仕事をやっているという自負、つまり誇りがあれば、多少の困難でも乗り切ることができるということだと思います。他人の評価を気にしすぎると、仕事が少しつらくなりますけどね。


■使命感

ドラマ「監査法人」の中で、私のほうからドラマの中のセリフに取り入れてくださいとお願いした言葉が、公認会計士法の中にいろいろ含まれています。


【公認会計士法第一条(公認会計士の使命)】

 「公認会計士は、監査及び会計の専門家として、独立した立場において、財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保することにより、会社等の公正な事業活動、投資者及び債権者の保護を図り、もって国民経済の健全な発展に寄与することを使命とする」



【公認会計士法第一条の二(公認会計士の職責)】

 「公認会計士は、常に品位を保持し、その知識及び技能の修得に努め、独立した立場において公正かつ誠実にその業務を行わなければならない」


ドラマでは、後者の条文を第6話の冒頭で取り入れていただきました。今こうして条文をPCに打っていると感じるのですが、あらためて重い条文ですね。私を含め全国で働く公認会計士は、我々の原点でもあるこの条文にもう一度立ち返らなければならないのだと思います。


 最後にもう一つ。正しいと思ったことをきちんと主張するのも重要な資質だと思います。間違っていることを間違っていると主張できないようでは、プロの会計士として情けないです。言ってもしょうがないとあきらめたら、それで試合終了ですよ。





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2011年12月9日金曜日

川柳で学ぶ会計の話...その1

~川柳番号101 「循環は 温泉だけだと 思ってた」~

 温泉が好きなので、以前から日程的に余裕ができると、よく出かけていました。若いころは蓼科や伊豆、また下呂温泉などによく出かけていたのですが、あるとき温泉雑誌を見ていたら湯布院の「亀の井別荘」のお風呂が大きく出ているではありませんか。私はそれを見て感動し、いてもたってもいられなくなって、その年に湯布院まで出かけることにしたのです。その後湯布院には夏休みを利用してよく出かけたのですが、だんだん軽井沢風(あまり行ったことないですけど)になってきたため、行くのをやめてしまいました。当時は源泉かけ流しなどという言葉はあまり聞かなかったのですが、どこかの温泉宿で、温泉と偽って入浴剤でごまかしていたことが発覚し、それ以来源泉かけ流しの温泉と、源泉を薄めた温泉と、単にお湯を循環させている温泉を厳密に区別するようになったのです。それまでは、「温泉宿はメシである」とばかりに、料理のおいしい宿を選んではあちこち出かけていたのですが、循環風呂にはどうも入る気にはならなくなり、安くてもいいから源泉かけ流しの宿を探すようになったのです。「温泉のお湯は体にいいんだわ」などと言いながら飲む人もいますが、循環だったら最悪ですね。過去に行ったことのあるいい温泉宿でも、後から循環風呂だったことがわかるとがっかりしてしまいます。


 その後、九州の黒川温泉にはよく行っていたのですが、ここ数年は忙しかったり休みをなかなか連続して取れないこともあり、場所的にも遠くてもう行かなくなってしまいました。その代りに最近では、仕事で疲れがたまった時に、メシよりも風呂にこだわって、車で2~3時間くらいで行ける岐阜や長野の源泉かけ流しの温泉宿に行くことにしています。なるべく連泊で観光はいっさいせず、部屋にこもってのんびり時間を過ごすことにしているのです。


 今年行ったのは「岩の湯」だけですが、ここは何年か前に予約しようとしたところ、一年先まで予約でいっぱいですと断られたことがありました。今年は震災の影響もあったのでしょうか、たまたまその日だけ空いていて取れてしまったのです。料理も風呂も素晴らしい宿でした。来年も行きたい!


 以前は循環といったら思い出すのは循環風呂だけだったのですが、会計の世界で循環というと、「架空循環取引」です。ここ数年会計監査人を悩ませています。数年前、IT企業の間でよく行われていました。売上を水増しするために複数の取引先との間で何回も売上を循環させ、売上と利益を水膨れさせる手法ですが、最近ではいろんな業種で行われているようです。


 3~4年ほど前、NHKドラマ「監査法人」の制作にかかわったのですが、台本や筋書きを考えていた時に、第3話で架空循環取引を取り上げました。IT企業のウインドメルという会社が、新製品のマクガフィンという機械を循環取引に利用していたのですが、ジャパン監査法人の健司にどうやってこの架空循環取引を発見させるかずいぶん悩みました。公認会計士協会から、循環取引等への監査上の対応に関する会長通牒が出ているのですが、そこにも書かれているように、循環取引は取引先が実在し、資金決済が実際に行われ、会計記録や証票もしっかりあることから、監査のプロでもなかなか発見するのは難しいのですね。


 結局健司には、「売上高の増減分析」「販売先への確認(ドラマでは実際に販売先に行ってヒアリングさせましたが、実際実務ではそこまではやりません)という監査手法を実施させ、見事にからくりを暴いて見せました。


 現実には発見するのはなかなか難しいと思います。


 テレビドラマ「監査法人」がDVDになる際に、付録としてドラマに出てくる専門用語の解説を書かせていただいたのですが、そこに書いた説明文を引用させていただきます。




【架空循環取引】

 複数の企業間で、実際には商品が動いていないにもかかわらず、伝票処理だけであたかも売買があったかのように見せかけて売上を計上する架空取引。当初は、ソフトウェアの売上計上基準があいまいなIT関係の企業間で、互いに共謀することにより行われていましたが、その後はIT企業に限らず行われていることが明らかになってきています。
 商品の移動が伴わなくても、伝票処理と入金があれば、循環取引の事実を監査で発見するのはなかなか難しいといわれていますが、商品の流れを追求することにより、健司は見事に架空循環取引の実態をつかんでしまいましたね。

~出典 NHKテレビドラマ「監査法人」DVD付録の用語解説~




 「川柳で学ぶ会計の話」はこれからもシリーズとして取り上げたいと思います。ご期待を!



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2011年12月7日水曜日

〆張鶴の誘惑

~「金」がついに~


 誘惑に弱いのである。思い込みが激しいほうなので、目の前に欲しいものがあると、どんなに時間がかかっても辛抱強く粘って手に入れようとしてしまいます。


 以前このブログでも「日本酒の話」で〆張鶴の大吟醸のことを書いた2010年12月10日2007年11月20日のですが、なかなか手に入らないお酒でした。10年ほど前にその存在に気づき、どうしても飲みたいと思っていたのですが、ある年の夏、車で新潟の村上市を走っているときに、偶然造り酒屋さんを見つけてしまいました。これも神様がめぐり合わせてくれたに違いないと思い、隣にある酒店に購入しに行ったのです。しかし残念なことに、大吟醸は毎年順番待ち状態で、キャンセルが出なければ予約すらできない状態でした。その後数年間にわたって年に一回通い続け、昨年やっと大吟醸の「銀」を手に入れることができたのです。もうここのお店の女性の店員さんとは、電話で注文できる仲となっていたため、今年もシーズンを迎えると早速電話で「銀」を注文。もしかしてと思って「金」もお願いしてみたのですが、やはりまだ厳しいようで、もしキャンセルがあればということでした。


 11月下旬になって、お酒の入った段ボール箱が届いたのですが、数を数えたら一本多いではありませんか。「ん!」と思ってよく見ると、なんと驚いたことに「金」が一本入っていたのです。封筒を開けてみると、「金の大吟醸、一本やりくり致しました」と書かれていました。ありがとね。


 今はもしかしてネットで注文できるようになったのではないかと思い、ためしに検索してみたのですが、特価と言いながらとんでもない値段がついており、しかも在庫数量ゼロでした。なんとなくホッとしましたけど。


 日本酒については、やはり秋田と新潟のお酒がおいしいのですが、我が55年間の人生で、最もうまかった日本酒を3本あげよと言われたら、秋田の「寿保年」「八海山の金剛心」・「〆張鶴(金はまだ飲んでないけど)」の大吟醸をあげますね。「寿保年」は、3年ほど前に造り酒屋の中を工場見学させていただき、すっかり顔なじみになってしまいました。「金剛心」もなかなか手に入らないのですが、ここ3年ほどお正月用のお酒として、なじみの酒屋さんから入手できるようになりました。〆張鶴「金」も長年の努力が実って今後は安定的に購入できるといいですね。


 10年以上前に、日本酒のラベルを集めてはコメントを書いていたのですが、今その時のラベル集を繰ってみると、〆張鶴の本醸造のことが書いてあるラベルを見つけました。そこにはこのように書かれていました。




平成11年8月26日に購入。トータルスコア4(5段階評価)。

【コメント】
この酒の存在を知ってから、一度は飲みたいと思っていた。そのチャンスは思いもかけず、名古屋からの帰り道村上で見つけてしまったのだ。しかし、吟醸酒は手に入らず、来年の予約もいっぱいで、結局買うことができずに特別本醸造だけ購入して通り過ぎてしまった。今回は○○円の徳利を買ってしまったため、この酒の出番となったのである。やはり〆張鶴は〆張鶴でうまかった。酒と器で至福の時を過ごした



2011年12月5日月曜日

ヤイリギターに行ってきた

~漂着松のその後~


 先週の土曜日、一年ぶりにヤイリギターに行ってきました。なぜ一年ぶりなのか?それは、昨年神代欅のギターを作っていただいたとき、次のギターの構想に入ろうと思っていたのですが、すでに何台分か予約待ち状態で、1年以上は順番待ちになりそうだったからです。ギターを制作していただく間隔としては、楽しみがあって、このくらいがちょうどいいのかもしれません。


 さて、今回訪問した目的は二つ。一つは新聞に掲載されていた、東日本大震災の津波で倒され流され打ち上げられた漂着松でギターを作るという試みを、私もこの目で見たいと思ったのと、もう一つは長年の夢だったギターの制作を依頼するためです。いつもは土曜日となると、見学者やギター仲間が集まっていて、健司さんの周辺はいつも賑やかだったのですが、今回は午前中にお伺いしたということもあってか誰もいませんでした。健司さんは真剣にギターと格闘していたため申し訳なかったのですが、声をかけさせていただきました。


 漂着松はすでにギター用に何枚かの板になっており、乾燥中でした。




 この松の板から何台分のギターを作ることができるのかわからなかったのですが、もし余分があったら、その板で私にも一台作っていただけるということでしたので、指板に象嵌する絵をお渡ししてきました。ギターとして生まれ変わってきたら大事にしたいです。


 オリジナルギターの制作依頼については、すでに一年前からテーマは決めていました。「Silent Japan」です。実家に飾ってある亡くなった母親の書「静和」からとりました。ロバート・ホワイティングの著書に「和をもって日本となす」という本があるのですが、世界に誇れる技術で日本を代表するギターを作りたいという思いを込めています。材質はキルトメイプル(英語)。ヤイリギターが西暦2000年を記念して制作したミレニアムギターが何台かあったのですが、その中に、オールキルトメイプルのギターがありました。その木目の素晴らしさに感動し、いつかはキルトメイプルのギターでオリジナルギターを作りたいと思っていました。それから待つこと11年目。やっと制作に取り掛かることができます。


 デザインはこれからですが、私がここ1年ほど温めてきたイメージがありますので、それを小池健司さんや加藤穂高さんと試行錯誤しながら固めていきたいと考えているのです。少しだけこっそり教えると、「正倉院の琵琶」・桃山時代の美濃の焼き物で、織部によく描かれているのですが、水辺に私のように控えめにさりげなく息づいている「沢瀉(おもだか)」・可憐な「秋草」などを考えています。


 生まれ育った日本をイメージして渾身の一本。私の最後のわがままなのだ。許せ!


2011年12月2日金曜日

早朝から働く人たち

~新幹線の座席が取れない~

 久しぶりに早朝の新幹線で東京方面へ向かうことになりました。7時4分の切符をとっていたのですが、早めの切符に変更しようと考え、朝4時30分に起床。6時20分には名古屋駅に着いて、早速変更手続きに入りました。この40分ほどの間に新幹線は数本あったため、どれかに変えようとして座席の空き状況を眺めていたのですが、ほとんど満席ではありませんか。わずかに空席のある列車を見つけ、機械に切符を差し込んで変更しようと試みたのですが、空いている席は3人掛けの真ん中の席しかありません。足のしびれの持病を抱えている状況で真ん中の席に座る気にはならず、結局は当初の時間の列車で行くことにしました。しかし、こんなに早い時間帯で、数ある列車のほとんどが満席というのは驚くべきことです。あらためて、「日本のサラリーマンたちは大変なんだなぁ」と思った次第です。早朝からごくろうさんなのだ・・・自分もそのうちの一人ですけど。


  空いている時間を利用して早速読書。列車に乗ってからしばらくは日経新聞にじっくり目を通し、社説まで読んでしまいました。監査法人の営業に対してなかなか厳しい意見が出ていましたが、公認会計士や監査法人で働く人たちは公務員ではないし、生活だってかかっているのであるから、程度問題はあると思いますが、ある程度業務拡大を目指すのもやむを得ないと思います。試験合格者を受け入れて育てていくという使命もありますし。公認会計士が活躍する場があるということは、それだけ一般企業に貢献しているわけですし、それが日本経済にとっても望ましことだと思うのですが。社説の記事が世間の一般的な見解を代表しているのかどうかはわかりませんが、そのあたりなかなか理解していただけないのかもしれませんね。






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2011年11月30日水曜日

サラリーマン会計士川柳 ~301-311~

~サラセンに応募してみた~

今年も第一生命で、サラセンを募集していました。今まで川柳を300本ほど書いてきたので、その中から応募してみようと考えたのですが、未発表のものに限るということでした。したがって今回は新しく考えて、10本ほど投稿してみました。上位入賞を狙っているのですが、残念ながらここではご披露できません。結果が出次第、越麻呂日記パートⅡでもご報告したいと思います。今回はそれとは別に今年を振り返って10本ほど。


301.鴻毛より はるかに重い 自見発言


302.鴻毛より 軽くてすまぬ 麻呂日記


303.この一打 遡及修正 させてくれ


304.それぞれが 大事にしたい 私の価値


305.たわごとと ざれごとの字は 同じです


306.夏の夜に 終わり告げるか 大曲


307.この一本 千年に一の 奇跡かな


308.読み飽きた 意見の部分は 私見です


309.成るはずが 途絶えて驚く 200本


310.ということに なりますどうにも なりません


311.検閲の 力及ばぬ ネット社会

2011年11月28日月曜日

落合博満監督よ、ありがとう!

~最後まであきらめてはいけない~

「会計の扉」の過去ログに昨年10月9日に書いたエッセイがあります。タイトルは「中日が優勝した」~当たらない予想~でした。今年の日本シリーズが終わったのが11月中旬ですので、選手たちも長いシーズン大変だったと思います。心から感謝したいと思います。お疲れ様でした。


  中日ドラゴンズの戦いぶりに関しては、今年はなかなか打てない、点が入らないということで、当初はかなり悲観的に考えていました。それが確か夏頃の試合だった思いますが、ナゴヤドームで行われた対阪神戦で、ピッチャーの真上に上がったフライを森野選手とブランコ選手が取り損ねたり、信じられないようなエラーを重ね、力投するネルソンに報いることができなかった試合があったのです。今年優勝できなかったとすると、このゲームが後々響いてくるのではないかと思われるような印象に残る試合でした。その後ゲーム差は10まで広がります。昨年は8ゲーム差をひっくり返したとはいえ、今年は間違いなく無理、下手をすると横浜には悪いのですが、5位もありうるのではないかとさえ考えてしまいました(再びすまなかったっ!落合)。ただ、唯一の望みは、ヤクルト戦をたくさん残していたのと、早めに苦手の神宮での試合を終わらせていたことでした。ただ、終盤になってもヤクルトとの差はなかなか縮まらず、常に5~6ゲーム差があります。最後の望みはナゴヤドームで行われる9試合を、7勝2敗ぐらいで戦うことができれば・・・もしかして・・・という淡い期待だけでした。


  そんなときに突然でてきたのが、落合監督の解任発表です。これには驚きましたね。結局最終的に中日は、10ゲーム差をひっくり返しての逆転優勝!最後まであきらめないという気持ちを監督はじめ選手たちが行動で示してくれました。


  今年のレギュラーシーズンは、球場まで足を運んだことがなかったのですが、落合監督の最後の雄姿を見届けねばならぬということで、クライマックスシリーズ2試合と日本シリーズ1試合をナゴヤドームまで見に行きました。特に日本シリーズは、圧倒的にソフトバンクが有利と言われる中、第7戦まで死力を尽くして戦う姿は感動的ですらありましたね。最終的には日本一にはなれなかったとはいえ、選手達の気持ちが痛いほど伝わってくる7試合でした。ありがとうございます。


  最後に一言。シーズン中ずっと辟易させられたのは、中日新聞に掲載される鈴木孝政の結果論解説でした。何とかならないものかと思っていたのですが、その極めつけが、日本シリーズ最終戦が終わった翌日の解説記事です。「負けたけれどもよくやった」というねぎらいの言葉は一言もなく、ここぞとばかりに負けた原因を、ひたすら落合監督の7戦を通じた采配ミスであると批判していたのですね。なるほどと思って読んだ中日ファンはいるのだろうか。「結果論解説の集大成」的解説でした。こんな人がコーチになっても、選手は誰もついてこないだろうに。

2011年11月21日月曜日

漂着松でギターを

~ヤイリギターの試み~


越麻呂日記パートⅡの開始に当たり、今回は「骨董の扉」の写真の説明をしようと考えていたのですが、11月16日の中日新聞の夕刊の一面(記事は東京新聞ウェブ版へのリンクです)を見て、目が釘付けになってしまい、そちらの記事を優先することにしました。前回のテーマで取り上げさせていただいた「神代欅のギター」の生みの親、小池健司さんがなんと写真で大きく取り上げられているではありませんか。新聞のタイトルは「漂着松岐阜でギターに」です。ヤイリギターで、東日本大震災で津波に流された松の木を使ったギターづくりが進んでいるということでした。ギターとして作るには、本当は10年くらい乾燥させる必要があるそうですが、音にはこだわらず、来年の3月に被災者が支援に感謝して演じるミュージカルに間に合うよう全力で制作されるそうです。がんばれ健司さん!


松もそうですが、津波で流されたり震災で被害を受けたりした家をはじめとするさまざまなものを、ひとまとめにして「がれき」と表現するのにはどうも抵抗があるのですが、そういったものを蘇らせるという発想は素晴らしいと思います。以前にも漂着松を利用して、名前は忘れましたが、縦笛を四角くしたようなもので、吹くとオカリナのような音のする楽器を演奏している様子をテレビで見ました。また、ウエブサイトを見ていると、私の地元の秋田でも、音楽で復興に役立つことを何かやろうという試みが広がっているようです。震災を忘れていない、何かやりたいという多くの人たちのニュースを聞くと、私も勇気づけられます。何か協力できることがあれば行動したいです。


会計関係でも、会計大学院協会が主催して「震災復興に向けた会計シンポジウム」が10月28日、東北大学会計大学院キャンパスで行われたようで、増田日本公認会計士協会前会長もパネル討論会にご出席されたようです。復興に向けて公認会計士が知恵を出す機会はこれから増えてくるような気がします。


震災が発生したのはこれから春を迎えようという3月でしたが、それから夏が過ぎ秋を迎え、これから東北にとっては最も厳しい長い冬を迎えます。最近になって、牡蠣が取れた、お酒ができた、イチゴが採れたなどといううれしいニュースも徐々に伝わってきていますが、復興にはまだまだ長い年月がかかるのだと思います。


今回はいいニュースをお知らせいたしました。

2011年11月16日水曜日

☆☆「越麻呂日記パートⅡ」スタート!☆☆

~まずは神代欅のギターから~

 作家の筒井康隆氏が以前、ある出来事をきっかけに「断筆宣言」したことがありましたが、我が「越麻呂日記」にはそれほど大げさな主義主張があるわけでもなく、ただ単にお休みをいただいていただけなのです。ブログを書き始めてからもうすでに5年目に突入していましたので、これをきっかけに以前書いてきた内容を読み直してみました。あまりにも多いので自分でも驚いてしまったのですが、その中でも「秋田で出会った怪しい税理士」「人が見たら蛙になれと青山二郎は言った!」「意味がわからん」等なかなか面白い内容の文章もあり、読んでいて自分でもつい笑ってしまいました。

 それはさておき、この休筆期間中にブログをリニューアルいたしました。そしていよいよ「越麻呂日記パートⅡ」のスタートです。映画のターミネーターハリーポッターにパートⅡがあるのですから、我が「越麻呂日記」にパートⅡがあってもいいではないかというわけです。従来よりも幅広い内容を取り上げたいと思っていますので、引き続きご愛読ください。

 さて、ブログをご覧いただきますと、従来の「徒然(ブログ)」「川柳」に加え、カテゴリーボタンとして「会計の扉」の他に「音楽の扉」「骨董の扉」が写真入りで追加されているのがお分かり頂けると思います。パートⅡスタートに当たりまして、まずは「音楽の扉」に用いた写真について説明いたしましょう。









 3年ほど前に、ヤイリギターさんに遊びに行ったのですが、そこで展示されていたギターを弾きながら遊んでいると、トップクラフトマンの小池健司さんが声をかけてきました。

「新しい材質でサンプルギターを作ってみたんだわ、ジンダイケヤキなんだけどね、先日石川鷹彦さんに弾いてもったよ」


と言うのですね。私は、「ジンダイケヤキ???石川鷹彦!!!」状態になったのですが、あこがれの石川鷹彦さんの手が触れたギターを私も弾いてみたいと思い、さっそく弾かせていただくことにしました。ギターのバックは独特の色をした木でできていましたが、音はビィーンと引き締まった音でシャキシャキ感があり、とても気に入ってしまいました。その音が頭から離れず、ネットで「ジンダイケヤキ」を検索してみると「神代欅」と書くようで、土の中に千年以上も埋もれていた欅の大木のようです。 

その神秘さに惹かれ、後日再びヤイリギターを訪れて、その板を見せていただきました。ちょうど乾燥中だったのですが、この板から何本のギターを作ることができるのですかと健司さんに尋ねたところ、ぎりぎり2本かなという答えが返ってきたのです。すかさず私は2本分いただいていいですかとたたみかけたのですが、健司さんからはあっさり「いいよ」という返事が返ってきました。

 順番があったため、そこから制作に取り掛かるまでに1年くらい待たなければなりません。この間、私はどのような物語をこのギターに与えようかといろいろ考えていたのですが、高松塚古墳を訪れて壁画を見たときに突発的にひらめいたのです。以前このブログにも書いたように、千年以上前→奈良時代→キトラ古墳→朱雀という連想です。キトラ古墳の朱雀が現代に蘇り、宇宙に飛び立っていくというイメージを指板に螺鈿細工で象嵌していただきました。それが左側のギターです。

もう一方のギターはシンプルにしようと考え、欅の木の葉が新緑から紅葉していく過程を、季節感を出して描いていただきました。日本の四季を欅の木の葉に込めて表現したわけです。そして指板に描いていただいたのは、日本を代表するインレイ職人、加藤穂高さんです。穂高さんのウェブサイトには、「K.YairiCustom Order 2010」の作品として、この2本のギターのインレイが紹介されています。完成するまでにはさらに1年ほどかかりました。

 今回「越麻呂日記」をパートⅡとしてスタートするに当たり、左側の写真を「音楽の扉」ボタンに用いています。ギターに恥じないよう、いい内容のブログにしたいと考えているのです。

2011年7月6日水曜日

耳を疑う発言

~知恵と汗~


  最近耳も目も悪くなってきたため、この発言が真実の事実なのかと記事を見た瞬間、我が目を疑いました。任命されたばかりの松本復興相(7/5辞任)が、宮城県知事との会談で「知恵を出さないやつは助けない」などと述べたのだそうです。こういった発言は、いったいどういう感覚の持ち主だと出てくるのでしょうか。ましてや未曾有の大災害に襲われて、絶望感のなかから少しでも光を見つけ出そうと、どん底の状態から必死になって立ち上がろうとしている人たちに対しての発言です。これから国を挙げて一緒に復興していきましょうというときの、一番責任ある立場の人の発言がこのありさまです。日本の政治家のレベルはこの程度なのかと正直悲しくなってしまいます。話の流れもあるし、真意のほどは別の所にあるのかもしれませんが、発言が事実であるとするなら、政治家としてというよりも、人としてどうなのだろうかと思ってしまいます。


  数年前、「頭を使って知恵を出せ!知恵の出せないものは汗を出せ!知恵も汗も出せないものは静かに去れ。」という言葉を教えてもらって、なるほどなと思ったのですが、調べてみると、永大産業の創業者、深尾茂氏の言葉のようです。松本前復興相の頭の中にこの言葉があったのかどうかはわかりませんが、この言葉はプロ集団や一般事業会社の中で通用する言葉であって、今回のケースでの発言としては、あきらかにふさわしくないです。


  震災直後は、悲しみを胸にしまってじっと耐えている被災者の姿や、不幸をだまって受け入れる精神的な強さ、またそういった方たちを応援しようと全国から集まる支援の声、思いやり、優しさ等に対し、世界中から日本人は素晴らしいと絶賛の声があがったのですが、その後の政治家の行動は目を覆うばかりです。もうすぐ震災から4カ月。いまだに復興相も決まっていないという異常事態ですし、震災がマスコミから取り上げられる頻度もだんだん減ってくるかもしれませんが、復興はまだまだこれからだと思います。


  知恵と汗といえば、最近一般的に組織の中では進んで汗をかく人が少なくなってきているような気がします。モチベーションをいかに高めたまま維持させるかというのが大事だと思うのですが、景気が悪くなって業績が悪くなってくると、決まってモチベーションが下がるような施策に走ってしまいがちですね。それでも人を動かすようなメッセージを送って、組織を引っ張っていくことができる人がいれば、組織内も活性化すると思うのですが、そういう経営者は残念ながら少ないのでしょう。
人が見ていないところで汗をかいていると、いつしかいい知恵も湧いてくるのだと思います。

2011年6月24日金曜日

節電対策その4・・・髪の毛を切ってみた

~遼君の髪の毛論争~


私にとって髪の毛は反骨精神の象徴なのです。長めに伸ばしてはいるものの、毎朝髪の毛を洗っているし、ゴルフのときは朝とゴルフの後の2回洗うことになるため、結局年間400回ぐらいは洗っていることになります。したがって、長いからといって周りの人に不快な思いをさせているということはないはずです・・・多分。


中学校は青森県の黒石中学校に入学したのですが、1年生の時、急遽学校の方針として、「男子生徒は全員坊主頭にすること」という予想もしていなかった命令が下りました。私は最後の一人になるまで抵抗したのですが、結局丸坊主にされてしまったのです。その後中学2年の夏に秋田市の中学校に転校になったのですが、そこは都会的で自由な校風だったため、坊主頭の反動もあり、髪の毛を伸ばし始めました。特に前髪は長く「世の中の醜いことには目を向けたくないケンネ」とばかりに、ニヒルにかっこつけて、鼻のあたりまで伸ばしていたのです。高校に入学してからは、校則を破って2年のときにパーマをかけ、大学入学後は肩のあたりまで伸ばしながらギターを担ぎ「なんか文句あるのか」と肩で風を切りながら三田のキャンパスを闊歩していたのでした。


公認会計士試験の合格後も、面接で「髪の毛が長い」と注意しながら内定をくれた監査法人を蹴散らし、比較的自由な雰囲気の中瀬宏通先生の監査室にお世話になったこともあって、その後も長髪を維持することができました。納得できないことがあったり、反発してしまう出来事が起こるたびに、私の髪の毛はその都度長くなっていきます。


しかし今年の夏に関しては、このままではエアコンなしの節電の夏は乗り切れないと思い、思い切って髪の毛をばっさり切り落としてしまいました。節電カットなのだ。これで多少暑さが厳しくても、汗だくの不快な思いから解放されますし、シャワーを浴びてもすぐに乾きます。家に帰っても私だとは気付かれないし、人と会っても別人と思われ、外出先で悪さをしても、私のそっくりさんがやったことにできるのです。いいことずくめではありませんか。


でも、私の反骨精神の象徴を、どこへもっていったらいいのだろうかと考えていたのですが、ありました、ありました。不良中年扇子です。東急ハンズから買ってきました。納得できない出来事があったら、この「不良中年扇子」をひけらかして扇ぐことにするのです。


最近、ゴルフ場で話題に上がるのが遼君の髪の毛です。一緒に回るメンバーやキャディさんの中には「髪の毛を切ってしまえばもっと成績が上がるのに」とか「あの髪の毛をむしり取ってしまいたい」という方もいますが、私は「若者よ、伸ばせるのは今のうちだけかもしれないからね」と、気持ちをおおらかにして容認してあげているのです。でも、無免許運転が発覚してしまったことですし、この際反省の意味を込めて、また節電カットの象徴として、髪の毛を私みたいに切り落としてしまうのもいいかもしれませんね。


2011年6月11日土曜日

チャンスに気がつくのも能力のうち

~大競争時代が待っている~


  もともとアメーバ人間であるため、仕事でも遊びでも、面白そうなものにはすぐ飛びついてしまいます。監査ひとつとってみても、同じクライアントを長年担当するのは、それはそれで慣れてしまえば楽であるし、そのほうがクライアントにとってもいいとは思うのですが、私の場合は次から次へと新しい会社を担当するほうが、楽しいものがあります。もちろん、以前から担当している会社にプラスαで新規にクライアントが増えても、その分楽しみが増えるだけですし、同時並行的に仕事をこなすのは得意ですので、何の苦でもありません。本だって、今はIFRSの本を読みながら学校法人会計や国立大学法人の本、それに小説やエッセイに焼き物関係の本や雑誌を同時並行的に読んでいるのです。


  このあたりの考え方は、自然に我が身にしみついてしまっていますので、仕事上も特にチャンスを生かそうと思ったりすることもないし、あるいは、とうとうオレの番がきた、などという発想もなく、まったくもって自然体で、面白そうなものは何でもやるという、私にとっては極めて当たり前のスタンスでやってきました。


  でも、最近なんとなく思うのは、一般的な話として、低いハードルをクリアして、それで満足している人が増えてきているのではないかということです。新聞によるアンケート結果などを見てもそれが顕著に表れていますし、人事の本を読んでいると、人事制度の失敗が組織の活力を削いでしまうという、一般企業の事例もいろいろ紹介されています。


  例えば新しい仕事が取れたとして、誰かに業務を担当してもらわなければならないというケースを考えてみましょう。打診された側の反応としては

  ①何事もなかったかのように「はい、わかりました」と引き受ける人
  ②忙しいけれど、何とか工夫してやり遂げようと試みる人
  ③やりますやります、なんでもやりますという前のめり派
  ④このくらいの仕事を、「こぉ~んなに大変なんです。だからできません」と力説する鯖男君
  ⑤「あの人にやってもらえばいいんじゃない」という自己回避型
  ⑥話を聞きつけても「ワシには関係ないケンネ」と知らん顔を決め込む「無関心的ケンネ症候群」の人
  ⑦理由もなく辞退する人


等、さまざまな反応があることと思います。
レベル7の人は、公認会計士にならなければよかった人ですけど。


監査法人を取り巻く現在の環境を考えると、ここ数年の大量合格・大量採用が今後の給与体系や人事制度にどのような影響を及ぼすかは、容易に想像できると思うのですが、みんな気が付いているのだろうか。もうわかっている人は、黙っていてもすでに自分を高めるための行動をしているはずです。


大競争時代が目の前に迫っています。与えられたチャンスに気がつくのも、それを放棄してしまうのも、本人の大切な能力のうちだと思います。

2011年6月4日土曜日

節電対策その3・・・電気はないものと思ってみたら?

~なければないで何とかなるのではないか~


 年に何回か偏頭痛に悩まされます。早めに頭痛薬を飲むと治まるのですが、タイミングを逸してしまうと、薬を飲んだだけではどうにもならず、3~4日間は仕事に集中できなくなってしまいます。こんな時、頭痛を治す方法がひとつだけあるのですが、それは「この頭は自分の頭ではないのだ!」とひたすら思い込むことです。そうすると、頭痛は気にならなくなります・・・ウソですけど・・・。


 3年前の3月18日に始まったのが耳鳴りです。それ以来止むことはなく、24時間鳴りっぱなしの状態です。鳴り始めた当初は、夜中に突然目が覚め、このまま狂い死にするのではないかという恐怖に襲われたのですが、今では慣れてしまい、「この耳はワシの耳ではないのだ」と思っていたら、特に気になることもなくなってしまいました。


 さて電気です。電気は空気のようなものですので、あって当たり前の生活に体が慣れてしまっています。ですから、いざ節電するといってもなかなか大変ですが、この際、発想を変えて、「今我々は、電気のない世界に住んでいるのだ」と頭に思い込ませてしまうのはいかがでしょうか。冷蔵庫のように必要最低限のものは、中の温度を調整して使うしかないのかもしれませんが、洗濯機は乾燥機を使わずに(我が家にはないですけど)洗濯物は外へ干せばいいし、テレビだってアホバカお笑い番組などを見て喜んでいてもしょうがありません。トイレの便座も電源を切ってしまいました。我が家ではエアコンをすでに13年間も使っていますので、省エネタイプに切り替えるという手もありますが、なければなくても過ごせるのではないかと考えているのです。厳しい夏は、みんなで東北へ大移動すればいいのだ。そうすれば電気を使わなくても済むではありませんか。


 東北の夏は、暑いときもあることはありますが、湿度が全然違いますし、暑いのは日中だけです。しかも期間限定で、長期間続くこともありません。今年は7月に、仙台で東北の祭りが結集し「東北祭り六魂祭」が開かれるそうです。そして8月には上旬に、青森の「ねぶた祭り」からはじまって、秋田の「竿灯」、そして山形の「花笠祭り」へと続いていきます。


 私は、東北人というのはつくづくPRが下手だと思うのですが、素晴らしい観光地がたくさんあります。よく東京や名古屋の方々が夏に長野の蓼科などを訪れ、女神湖や白樺湖を眺め、ビーナスラインをドライブして、素晴らしかったと感動して満足しているのですが、そういう方が例えば十和田湖の雄大な景色を見たら、そのスケールの大きさに感動し、蓼科方面の観光地の方には申し訳ないのですが、大自然というのはこういうものだということがよくわかると思います。十和田湖を去るときに、高いところから眺めた圧倒的な風景は、いまだに頭の中に焼きついています。それに奥入瀬渓流白神山地も素晴らしい。温泉だって、玉川温泉乳頭温泉後生掛温泉など、秘湯がたくさんあります。酒も旨いでよ。


 今年は、電気はないのであるから、夏はぜひ東北へ出かけていって、さわやかな汗をかきましょう。そしてボランティアも。


2011年5月28日土曜日

節電対策その2・・・クールビズ

~ワイシャツの袖を切ってみた~


 物持ちがいいほうである。前の車は15年乗りましたし、スーツだって今着ることができる最も古いものは96年製ですのでこちらも15年。ちなみにカミサンとは26年(すみません、全く関係ないです)。子供のころから物を大事にするよう育てられましたので、一度購入したものは大事に使います。鞄や名刺入れも飴色に光っていますし、PRGRのゴルフウエアだって10年以上は着ています。

 スーツに関しては、自分の考えている退職時から逆算するともう買う必要はないため、衣類で購入するのは週末も着ることができるジャケスラと、Off時に楽しむことができる普段着です。普段着にもこだわりがあり、mon sakata」「真木千秋」「酒井真知子」オリジナルを購入して楽しんでいます。男物はレアなので、購入ルートは秘密なのだ。


 今年の夏はどうもかなり暑いようですし、節電も加わりますので乗り切るのは大変かもしれません。クールビズも5月の連休明けくらいから始めるところが多かったようです。超クールビズなる服装もテレビ等で紹介され、これが導入されると、今のところなかなか着る機会のないこだわりの普段着を着ることができるため、私としてもうれしい限りなのですが、仕事着としてはなかなか理解が得られないでしょうね。


 今までは、夏が暑いといってもエアコンをガンガン効かせているところも多かったため、夏用のワイシャツも半袖は全く持っておらず、全部長袖ばかりです。そこで今年は半袖のワイシャツを購入しようと考えたのですが、ここで物持ちのいい私は考えたわけです。長袖ワイシャツの袖を切ってしまえば半袖になるではないかと。
 さっそく5枚ほど実行に移し、出来上がってきたものに袖を通してみた(半分だけですけど)のですが、もう十分すぎるほど十分です。今年の夏はこれで乗り切ることにします。こうなったらジーンズも、膝のあたりから切り落としてしまおうかと考えたのですが、いい歳をした中高年の男が、そんなことでいいのかといった見栄えの問題もあり、こちらはやめることにしました。
 

 そういえば、最近ステテコ姿を見かけなくなったのですが、どこへ消えてしまったのだろうか。ランニングシャツにステテコをはき、麦わら帽子をかぶってサンダルをひっかける姿は、私たちが子供のころの昭和30年代の懐かしい風景です。これに冷えたスイカがあればセピア色の絵になりますね。
 今年の夏は、ステテコ復活なのだ。


2011年5月22日日曜日

節電対策その1・・・早寝早起き

~まずは歩くことから始めました~


 節電のためにまず考えたのが、朝型の生活をすることです。今の時期は日が長いので、早寝早起きをすれば部屋の明かりの電気量を減らすことができます。疲れたら早く寝てしまい、朝はカーテンを広げて太陽の光とともに目覚めるのです。そうすると健康にもいいし、頭も早めにすっきりします(早めに疲れるかもしれませんが・・・)。早く起きた分、時間も有効に使うことができます。私の場合は例えばギターの練習もできるし、のんびり抹茶をたてることもできます。さらには集中的にIFRSの本を読むこともできます(やってないけど・・・)


 それとは別に、朝早く起きるようになって最近始めたのが、歩くことです。昨年の末ごろだったと思いますが、ゴルフのホームコースで、顔なじみのキャディーさんに「越山さん、最近筋トレでもやっているのですか?上半身がずいぶんがっちりしてきましたね」と言われたのですね。30代のころは3番アイアンのティーショットでも一緒に回る人の放つドライバーショットと飛距離的にはそんなに引けはとらなかったのですが、40歳代の後半くらいからは飛距離の衰えは隠しようもなく、何とかカバーしたいという気持ちはあります。
 
 でも前川元会長からの年賀状にも「飛距離を追求するものはゴルフのすべてを失う」と書いてありましたし、もともと軟弱な私がゴルフのために筋トレなどやるはずはなく、クラブを変えてみたりシャフトを変えるなどして、何とか衰えを少しでもカバーしていたにすぎないのです。でも、キャディーさんの言葉が気になったので、家へ帰って体重計に乗ってみたら愕然としてしまいました。なんと70㎏をオーバーしているではありませんか。上半身ががっちりしてきたのではなくて、単に太っただけだったのでした。


 結婚当初一時的に70㎏をオーバーしたことはありましたが、それ以降は少しでもオーバーすると絶食して、常に67~68㎏を維持してきました。おかげで体形が変わらなかったため、一度購入したスーツは10年以上も長持ちします。会長職が終わってほっとしたため気が緩んだのかもしれません。


 最近手足のしびれがひどいので、薬を飲む以外に何か対策はないものかといろいろ調べてみると、散歩がいいというのですね。いまさら体重を減らすために絶食するのもいやだし、手足のしびれが治るかもしれないというのであれば、一石二鳥です。歩くことにしました。いつもは覚王山の駅から地下鉄に乗るのですが、池下・今池となり、今は千種まで到達。特に春のこの時期は気候がいいので大変気持ちがいいです。徐々に距離を延ばして名古屋駅前まで到達したいと考えていたのですが、先日逆に名古屋駅から伏見に向かって歩いていたら、途中で車に轢かれそうになったため、危ないのでそれは断念しました。


 東北の人たちも、復興に向けて歩き始めています。一日も早く従来の生活を取り戻すことができるよう、ひたすら祈っています。


2011年5月18日水曜日

電気の大切さを知る

~冷えたビールだけは確保したいが・・・~


 人類史上重要な発明といえるものをいくつか挙げよと問われた場合、真っ先に思い浮かぶのが「ことば」「文字」「紙」「簿記」等ですが、「電気」もかなり上位に食い込むのではないでしょうか。普段当たり前のように使っている電気ですが、電気がこの世に存在しなかったら、人類はかなり不自由な生活を強いられるはずです。


 私は朝起きるとまず洗面台の蛍光灯を付け、電気カミソリでひげをそります。その後シャワーを浴びてドライヤーで髪の毛を乾かし、お風呂場を換気します。電気炊飯器のご飯は保温されており、電気ポットにはお茶を飲むためのお湯も保温されています。冷蔵庫からおかずを取り出し、電子レンジで温め、おもむろにテレビをつけてニュース番組を見ながら朝食タイムです。トイレでは便座も適温に保たれているというわけですね。そして出勤時間までケータイも充電されています。
 このように、私たちの日常生活に電気は欠かせないものになっているのです。
 

 3月決算会社の監査で忙しくなり始めた4月の中頃、夜中に帰宅して遅い夕食を取り、後片付けをしている最中に、突然我が家の電気が全面的に落ちてしまいました。突然目の前が真っ暗状態となってしまったのです。たまたま2本だけ用意してあったろうそくとマッチを取り出して火を付け、枕元の懐中電灯を持ち出してまずは心を落ち着けました。とりあえずこの地区が全面的に停電状態なのか窓からのぞいて確かめたのですが、外は灯りがついています。また、同じマンションの様子をうかがったのですが、どうやら停電したのは我が家だけのようでした。ブレーカーは落ちていなかったし、原因がよくわからなかったので、もう夜も遅いしこのまま朝まで寝てしまおうかとも考えたのですが、電気がないと冷蔵庫の冷凍食品関係が全部だめになってしまいます。やむなく、修理を行ってくれる連絡先をインターネットで調べようとPCを立ち上げようとしたのですが、当然のごとく電源は入るはずもありません。そこで、最低1年間は保管している領収書関係の箱の中を捜して電気料金の領収書を取り出してみると、緊急の連絡先が書いてありました。深夜でしたのでつながるかどうか心配でしたが無事に連絡することができ、30分ほどで我が家に駆け付けてくれました。24時間体制で対応していただいているようで、大変ありがたいことです。


 ということで電気の大切さをあらためて認識したわけですが、このたびこの地区に電気を供給していると思われる浜岡原子力発電所が急遽停止されることになり、電力不足を解消するために私たちも節電に全面的に協力しなければならなくなりました。私の実家は、私や弟が公認会計士試験や税理士試験に合格して一人前になるまでは、大学が二人とも私学だったこともあり経済的にも大変厳しい時期を過ごしていましたので、蛍光灯は夕方7時には消してしまい、テレビの明かりで夜を過ごしていた時期が長くありました。これから夏に向けて電力消費量が増えてくると思いますが、昔はエアコンもなかったし、この時の体験を考えれば節電などいろいろやることができるのだ。でも、仕事から帰って風呂上がりに飲むビールを冷やすだけの電気だけは確保させてください。

2011年5月9日月曜日

IFRSがつながった

~熱しやすく冷めやすいとならないように~


 年末年始にIFRSの千ページ本に挑戦したのですが、結局休み中に読むことができたのは6割くらいで、完読したのは2月に入ってからでした。それまでIFRSに関しては、基本的な内容は簡単な本を数冊読み、専門的な内容は雑誌を読んでそれなりに知識を蓄えていたつもりでしたが、どうもすっきり頭の中に入ってきませんでした。実際に適用されるのがまだまだ先の話であることを考えると、そのまま何もしないまま逃げ切ってしまうことも可能ではないかと思ったのですが、会計のプロとしてはそういうわけにもいかないだろうし、やはり大学でIFRSの講座を持つことができるくらいは知識を蓄えておく必要があります。ということで、この際真正面からIFRSに取り組むことにしたというわけです。英語英語と騒いでいますが所詮会計の世界の話ですので、「どこからでもかかってきなさい」なのだ。


 千ページ本を完読して思ったのですが、今まで雑誌等で断片的に覚えていた知識が、分厚い本を最初から最後まで通して読むことによって、見事につながったような気がするのですね。この際だからASBJから出された「収益」「リース」に関する論点整理を読破し、さらにもう一冊の「初度適用本」を今読んでいるのですが、IFRSを巡っては、新聞や雑誌等で、その後もいろいろ興味深い内容が掲載されており、なかなか目が離せません。


 そういえば、内部統制監査も導入前は大いに盛り上がり、私もいろいろなところで挨拶するときには「資本市場の安定化のために、ぜひこの制度を定着させなければなりません」を決まり文句にしていたのですが、実際導入されてみるといわゆるひとつの「重要な欠陥」のある会社はごく少数に限られる反面、不正は後を絶たないようです。また制度自体も、最近、財務報告に係る内部統制に関する基準(意見書)が改定され、こちらも完読してみたのですが、どうやら内部統制監査が簡素化の方向となっています。もう安定的に定着したといえるのだろうか。

 
 IFRSが今後日本においてどのように適用されることになるのは、まだはっきりしないのですが、世界中の100カ国以上で採用されているといった記述がある一方、まったくカーブアウトせずに全上場会社に対して適用している国はほんのわずかしかないといった記事があったりして、本当のところはどうなのかよくわかりません。一時的なブームに踊らされることのないよう、情報の入手だけはしっかり行わなければならないのですが、今回の震災でなんとなく雰囲気的にIFRSが遠ざかったような気もしないではありません。ただ、いずれにしても会計の専門家であり、上場会社の監査を行っている公認会計士は、どんな結論になろうとも対応できるようにしてかなければならないのだと思います。


 突然ですが、ここで【問題】です。






以下の日本語を解読し、何の基準の抜粋か5分以内に答えなさい。

『①顧客は企業が履行する各タスクの便益を企業が「各タスクを履行するごとに」享受する ②他の企業が顧客への残存義務を満たすべき状態である場合に、当該他の企業は、その時までに履行されたタスクを再履行する必要がない・・・』

・・・・・・経営財務より・・・・・・



 

 意味がわかった人?
 でもこれを逆に英語に翻訳できる人がいるのだろうか。










********************************
【答え】
収益認識における「連続的な移転」の判断要件

2011年4月21日木曜日

継続的にできることはないだろうか

~継続は力なり!~


企業会計原則の中に「継続性の原則」というのがあります。「いったん採用した会計処理の原則及び手続きは毎期継続的に適用し、みだりにこれを変更してはならない」という例のやつです。この原則を、今回の地震による災害復興支援と新たなる創造にも当てはめようではありませんか。


最近原発関係に報道の眼が向いているような気がしますが、震災で被害を受け、いまだに避難所等でつらい思いをしている多くの被災者の方々にとっては、まだまだ厳しく長い道のりが続きます。震災直後から、個人・法人からたくさんの義捐金が集まりましたが、これを一時的なものではなく、継続的に実施できたらいいなと思っています。新聞等によると、企業によっては、商品が一個売れるごとにそのうちの一定額を義捐金に充てる会社もあるようで、そういった会社がたくさん増えてきています。また、名古屋からもインフラ整備のために駆け付けている多くの人たちがいますし、お医者さんも被災地にいって活躍しています。弁護士さんも法律相談に応じていますし、税理士さんが行っている会計や税務に関する相談をはじめ、各士業も合同で相談会を実施しているようで大変頼もしいです。教師の方も青空教室を検討されていると聞きます。ぜひ「継続性の原則」でお願いしたいと思います。


では、公認会計士に継続的にできることはないのでしょうか?


例えば、「産学官民での地域再生にリーダーシップを発揮し、地元産業復興に向けてアイディアを絞り出す」、「東北地域産業機構の設置と活動」、等々。


もちろん政治に期待する面も大きいかもしれませんが、公認会計士にできることがこれからたくさん出てくるような気がするのです。


高校1年生の時、「ザ・ストレンジャーズ」というバンドを作って音楽活動をしていたのですが、3年になってそろそろ受験体制に入ろうと思って解散しました。そして勉強のために聞きはじめたのがラジオ講座でした。ラジオで繰り返し聞いた勝浦捨造先生の言葉が忘れられません。「継続は力なり!待てば海路の日和あり。皆さん頑張りましょうね」そう、何事においても「継続は力なり」なのです。


2011年4月9日土曜日

東北に駆けつけたい!

~いったい自分に何ができるだろうか~


東北で生まれ、高校卒業までの18年間東北で育ちました。その後東京で11年間過ごし、名古屋に来て25年になります。必要な時以外はあまりしゃべらない無口な性格と、何度はね返されてもなかなかあきらめない粘り強さは、おそらく東北で過ごした間に身に着いたのだと思っています。その東北に、今回大きな災害が襲いかかりました。


地震が起きたその日、自宅に帰って映像を見た瞬間、言葉を失ってしまいました。仕事をやっていても手につかず、すべての仕事を放り投げて東北へ駆けつけたかったのですが、そこには何もできない無力な自分がいたのです。「ペンは武より強い」といいますが、とても文章を書く気にはなれず、何も言葉が浮かんできませんでした。テレビを見ては涙し、地下鉄などで新聞を読んではこみ上げて来るものを抑えきれない日々が続きました。


こんな時、公認会計士としていったい何ができるのだろうか。
あまり思いつかなくて申し訳ないです。


結局は日本人一人ひとり、あるいは世界中の人たちの被災者に対する思いの強さが力になるのだとあらためて思いました。また、経営者の中にも自分の企業ができることを素早く判断し決断して行動する人がたくさんいました。日本の非常事態に企業の利益を顧みず行動できる懐の広い経営者がたくさんいたことが心強かったです。


では、自分は義捐金を送る以外に東北復興のためにいったい何ができるのだろうか?東北復興そして創造のためには長期間かかると思われます。東北にいつか移り住んで自分にできることがあるかもしれない。親を失った子供のために、卒業するまで教育資金を援助することができるかもしれない。皆さんも少しでも自分に出来ることを考えてみませんか。


「すったげ強い東北」はかならず復活するはずです。


2011年3月8日火曜日

編集後記がよかったです

~JICPAニュースレターの「TANZANITE」…読書のすすめ~


毎月公認会計士協会に登録している会員・準会員には「JICPAニュースレター」が郵送されてくるのですが、3月号の編集後記「TANZANITE」になかなかいい話が掲載されていました。本部の女性の広報委員の方ですが、最近どうも活字中毒になってきたというのです。書店に行くことが多くなり、そこが宝の山のように見えてきて、専門書以外のいろんな本を何冊もまとめ買いしてしまうとのこと。しかも忙しくてもつい読んでしまうというのですね。もうこの際どんどん読んでしまいましょう。


私も20代の後半から8年くらい前までは、毎年本を100冊~130冊くらい読んでいたのですが、ここ何年間かは面白そうな本を購入しても、移動時間以外はほとんど読んでいる時間がなく積読状態で、恥ずかしいことに未読の本が100冊ほどたまってしまいました。昨年の7月頃からまたワシワシ読みはじめているのですが、世界がどんどん広がるような気がして読んでいて楽しいです。


公認会計士になるには厳しい試験を通らなければならないため、いったん受験の世界に突入してしまうと余裕がなくなってしまい、どうしても視野が狭くなってしまいがちです。合格後それに気づいて、新しい世界に興味を持つようになれば、世の中を見る目が開けてくると思うのですが、中には合格後もその延長線上で過ごしてしまう人もいて、ますます視野が狭まってしまい、会計分野の単なる専門バカになってしまいかねません。


昨年の暮れだったと思いますが、東区のオレンジタウンビルにある「すし処水乃」に仲間数人で出かけ、おいしい時間を過ごすことができたのですが、食事をしながら話をしていたところ、その場にいた一人の公認会計士が、私の合格体験記を読んで勉強したというのですね。そういえば昭和56年に当時の公認会計士2次試験に合格した後、TACから合格体験記の執筆依頼があり、何人かの分をまとめてエール出版社から本が出されたはずです。確か我が家にもあったはずだと思い、年末に実家へ帰った時本棚を探してみたところ、ほこりをかぶっていましたがしっかりありました。懐かしくてページを繰っていったら、30年前の写真とともに私の合格体験記が載っていたではありませんか。細かい話は別としてそこに書かれていたのは、「日商簿記一級に合格後、公認会計士試験の受験体制に突入しようと思ったら、友人から一緒に音楽をやらないかと誘われた・・・迷ったけれど人は50年~60年かけて人生という芸術作品をつくればいいのであって、その時しかできないことをまずやるべきであると考え、1年限定で音楽へ挑戦した・・・結果的には回り道したがそれでよかったのだ」といった内容でした。今考えるとずいぶん生意気なことを書いているのですが、当時は悩み多き青年だったのだ。我が人生はもう54年もたってしまったのですが、芸術作品からは果てしなく遠い状況なのです。自分が今やるべきことは何なのか・・・仕事なのか家族を大事にすることなのか趣味なのか遊びなのか・・・を常に意識しながら行動していきたいと考えているのです。


2011年3月1日火曜日

意味がわからん

~新幹線での出来事~


先日プライベートな用事があって、新幹線で移動することになりました。新幹線での移動時間は私にとっては貴重な読書タイム。ここ数年、足のしびれがひどいので、グリーン車で移動することにしているのですが、グリーン車では隣の席に人が乗ってくることはほとんどないため、読書に集中できます。その日は雑誌「目の眼」の臨時増刊号「酒・器」を読むのを大変楽しみにしていました。何しろ手に入るかどうか心配だったため、アマゾンに事前予約までして手に入れた雑誌です。


シートに着席後、さぁ読むぞとページをめくり始めたのですが、どうも車内が騒々しいのですね。気がつくと、私の前の席の横一列A席~D席が女性の家族同士らしいのです。周りへの迷惑などお構いなし、大きな声で世間話を延々としているではありませんか。特にB席の若い女性がC席のおばあちゃんに通路を挟んで身を乗り出しながら話しているのですが、これには参りましたね。別に話の内容を聞きたくはないのですが、若い女性の方は日頃の生活にいろいろ不満があるのか、東京までの1時間40分余りの間に「意味がわからん」という言葉を63回くらいつぶやいていました。普段私はテレビを見ないので、世間でどういう言葉がはやっているかよくわからないのですが、そういえば最近よく耳にする言葉のような気もします。


口癖とは面白いもので、講演や挨拶で多いのは、「え~」を連発する人です。聞いているほうがげんなりしてしまうので、自分が講演をするときには絶対やらないようにしています。最近よく聞くのは、言葉の最後に「ということになります」と付け足すやつです。「ということになります発言」のなんと多いことか。話すからには自分で意味をしっかり理解して、噛み砕いてわかりやすく「これはこういうことです!」と断言して説明してほしいのですが、自分の発言に自信がないのでしょうか?
困ったことに、「ということになります」を聞いた人が、別の場で話をするときに、同じように「ということになります」をしっかり受け継いでしまっていることです。これではこの言葉がどんどん伝染するばかりではありませんか。なんとなく、昔はやった鈴木光司のホラー小説「リング」を思い出してしまいます。ん・・・意味がわからん?


「ということになります」に似た言葉で、若者言葉に「これ○○になります」ということがあります(うわっ、自分もおかしくなってきた)。レストランでオムハヤシを注文して待っていると、しばらくしてウエイターが「これオムハヤシになります」と言って持ってくるのですね。持ってきていただいたものは、どこから見ても「オムハヤシ」そのものに見えるのですが、ウエイターのいうことを私なりに解釈すると、「これは、今はオムハヤシではないけれども、時間が経てばそのうちオムハヤシになりますケン」と言っていることになると思うのですが、私の解釈が間違っているのだろうか。そういえば以前ゴルフ場で若いキャディさんが、グリーン上のボールを拭いてくれたあと、「これ、ボールのほうになります」と言って渡してくれたのには、はっきり言って驚きましたね。ボールのほうっていったいどっちのほうですかと厳しく追及しそうになりましたが、大人げないのでやめておきました。


意味がわからん。


2011年2月25日金曜日

ありがとうと言おう!

~いやなことがあったときの対処法~


私が東海会の広報部長を担当していた時の副会長で、当時愛知県の包括外部監査人だった梅田先生とタクシーの中で一緒になったことがありました。梅田先生とは同じ法人でしたので、いろいろ話し相手になっていただいていましたし、私も包括外部監査の補助者としてお手伝いさせていただいていたのですが、その時すでに梅田先生は病に侵されていました。タクシーの中で、「今度私が梅田先生の後を継いで、東海会の副会長を担当することになりました」とお知らせしたのですが、先生は「協会の業務に限らず、ひたすら頑張っていて、たとえそれが今は報われないことであったとしても、想いのまま一生懸命頑張ってやっていると、長い間にはいつか自分の所に戻ってくるよ、人生とはそういうものだよ」と静かに優しく言われたのを覚えています。


会計士協会の活動自体は、私の場合法人の業務プラスαで行っていたため、全体の仕事量としてはかなり大変でしたが、自分としては楽しみながらやっていたことでしたので、それが報われようが報われなかろうが全く関係なかったのですが、梅田先生のこの言葉は、その後の人生においてしっかり私の頭の中に刻み込まれました。


なぜこのことを思い出したかというと、先日知り合いの税理士に会ったときに出た話ですが、ある顧問先のために長年一生懸命仕事をしていたというのに、どうも先方の一方的な思い上がりにあったようで、大変嫌な思いをしたということでした。しばらく悩んでいたようですが、ある人から、嫌なことがあって反撃したくなった時には、「ありがとう!」と声に出して言いなさいと諭されたようです。そうすると気持ちが落ち着きますよと。まるでお坊さんのような人なのだ。


私は以前から、仕事中や日常生活の中でも、怒ることは4年に1回くらいしかなかったのですが、最近はもう成仏してしまったのか、もうほとんど怒ることはなくなってしまいました。それでも嫌な思いをすることは人並みにあるのですが、以前は大きく息を吸って、ふ~っと吐き出していたのですね。そうすると気持ちがだいぶ落ち着きます。でもこれからは嫌なことがあったら、大きく息を吸って「ありがとう!」と声に出して言ってみることにするのです。このブログを読んだあなたもさっそくやってみませんか。


その知り合いの税理士は、思いがけないほど落ち込んでいたので、さっそく私のお気に入りのお寿司屋さんである「たつ福」に連れていくことにしました。






たつ福の大将も励ましに、最上級においしいウニの握り(というよりウニのてんこ盛り)を握ってくれました。これこそ本当の「ありがとう」なのだ。



2011年2月20日日曜日

「便」という字はあまりいい字ではないらしい

~犬猫論争のついでに~


 先日、犬派の私と猫派の連れ合いが、「犬と猫はどちらが可愛いか」という、たわいない論争をしていたのです。犬は飼い主に従順で、自分を頼りにしてくれているという実感があるため、お互い信頼関係で結ばれています。従って、たとえ家族に冷たくあしらわれたとしても、「お前だけは俺の味方だよな」といえば、尻尾を振りながら近寄ってくれるのですね。それに比べて猫は、自分勝手できまぐれで、こちらが可愛いといって近づいていっても知らん顔、挙句の果てに爪で引っ掻かれて逃げていってしまうのです。「猫」を含んだ言葉でも、「猫ばば」・「ドロボー猫」・「猫なで声」・「猫かぶり」などとろくな言葉がないではないかとたたみかけたのですが、先方も然る者、犬だって「犬死に」・「犬の遠吠え」・「幕府の犬」・「権力の犬」などというではないかと突っ込まれ、逆襲にあってしまいました。ボキャブラリーではとてもかなわないため、私は黙り込んでしまうのです。


 最近話題になっているのが「便」という字です。IFRSでも「経済的便益」という言葉が頻繁に出てきますし、昔は「会計便覧」という専門辞書があり、私もずいぶんお世話になりました。もちろん「便利」というありがたい言葉もあります。でも、最近話題になっている「便」「方便」という言葉のようです。ちなみに「新明解国語辞典」で調べてみると、「目的を果たすために仮に用いる便宜的な手段」のことをいい、例として「ウソも方便」とありました。


 もう少し「便」を調べてみると、「便宜…その時の都合で臨機の処置をする」・「便宜上…その時最上のものが得られないので、それに次ぐもので当座の用を間に合わせる」・「便宜的…理想的ではないが、他に上策もないので、仮にそれに従うようす」とあります。どうもあまりいい意味では使われていないようですね。我々市民が日常生活の上でやむにやまれず方便するのは、ある面やむを得ないケースもあるとは思いますが、企業の経営者や責任ある立場の方が方便されては困ります。「方便」する人を見かけたら、その心を見抜くだけの「眼力」を養わなければならないのですが、正直で素直な人にとってはなかなか難しいことだと思います。


 この際「経済的便益」も、「便」という字はやめにして、例えば「経済的価値」とか「経済的有用性」といったほうが、日本語的にも通りがいいような気がするのですがいかがでしょうか。


2011年1月31日月曜日

「監査法人」が小説化された

~健司を復活させることはできるだろうか~


昨年の10月だったと思いますが、何気なく日経新聞一面の下の欄を見ていたら「監査法人」という字が眼に入ってきました。どうやらテレビドラマが小説化されたようです。さっそくジュンク堂へ行って購入し、読んでみました。


内容的にはドラマと一緒で、会話もほとんどテレビドラマと変わるところがなかったのですが、情景描写や心理状態等の説明が加わったためわかりやすいという面はありました。でもやはりテレビのほうがテンポがあって、より緊張感があるように感じます。ドラマを作るときは、一話が完成するまでに台本が第5~6稿までかかり、その都度集中力を高めて真剣に何度も読んでいましたので、ほとんどの会話が頭の中に記憶されています。読んでいて大変懐かしい思いがしました。このドラマが放映されてからもう2年半以上経過しているのですが、NHKの「感想掲示板」をみると昨年の11月まで871のコメントが掲載されていました。つい最近もNHKのBSハイビジョンで再放送されていたようです。このドラマを見て、「自分も会計士になろう」と思った人も多いと思います。


しかし、このドラマを作っていた当時とは、公認会計士業界を取り巻く環境も大きく変わってしまいました。制作当時は、それまですでに4~5年ほどに亘って、毎月100時間以上の残業をこなし、いつ過労死するかもしれないという恐怖と闘いながらも「俺がやるしかないんだ!(小野寺みたいですけど)とばかりに使命感をもって、何かに憑かれたように毎日を過ごしていたものです。一度自宅で倒れたこともありましたが、何とか生きてここまで過ごすことができました(大げさですが)。朝、目がさめた時、「ああ、今日も生きていた」と感謝したものです。


ところが最近はどうでしょう。監査法人も採用しきれないくらい試験合格者が増え、一時に比べたらずいぶん時間的なゆとりがでてきたようです。ドラマでも、徹夜が続いて職員が倒れるシーンがありましたが、ほんの2~3年間でこんなにも環境が変わってしまうのでしょうか。もうあの当時には戻りたくないという思いもありますが、逆に物足りなさも感じます。


小説を読んでいくにつれて、健司を監査法人にカムバックさせて、新たに活躍させてあげたいという思いが強くなってくるのですが、エッセイや専門書を書くのと違って小説を書くとなると、やはりかなりのセンスが必要です。自分にそのセンスがあるかどうか試してみたい気もするのですが・・・。


それにしてもアーバンエステートの問題は、ドラマの第六話「プレシャス・ドーナツ」のストーリーとダブってしまうのですが、考えすぎだろうか。


2011年1月28日金曜日

偶然が重なった

~久しぶりにいい曲に出合いました~


最近IFRS本をはじめとして、ジュンク堂で本を物色する機会が多いのですが、先日は桃山時代の焼き物の研究をしようとパラパラと写真集をめくっていました。するとその時です。突然隣のおっさんが、私の横で大きなおならをしたではありませんか。私はあわてて裏側の列の本棚に移動したのですね。でもそこはたまたま音楽関係の本を集めた棚でしたので、やれうれしやとばかりに、ほとぼりが冷めるまで面白そうな本を探し始めました。そこで目についたのが、吉田拓郎かぐや姫といっしょに開催した「つま恋」コンサートのことを書きつづった本です。特に拓郎は、楽譜がなかった当時、レコードやテープを擦り切れるほど聞いて、独特のギターの弾きまわしを必死で練習してコピーしただけに、大変思い入れがあります。つま恋コンサートは2回行われているのですが参加できなかったため、DVDを購入して何回も見ました。一回目は「ウッドストック」を思い出してしまいますし、二回目は年齢を重ねた分力みがなかったのですが、なんとなく元気をいただいたような気がしました。その舞台裏に興味があったので早速購入。読んでみました。


3年前の3月18日に突然耳鳴りが始まってから、ヘッドフォンを付けて大音量で音楽を聴くことはなくなってしまいましたし、おじさんは最近の歌にはついていけないため、CDを購入することはほとんどなくなってしまいました。その代わり、一時気が狂ったように買い集め、1500枚ほどたまったCDをもう一度じっくり聞き直してみることにしたのです。お好みのアーティストを順番に選んで車に持ち込むことにしているのですが、「つま恋」を読んでからは拓郎のCDを6枚ほど挿入して聞くことにしました。するとそれまで全く聞いたことのなかった曲で、聞いた瞬間これはいい曲だと思う曲に出会ってしまったのですね。リズムも歌詞も文句なしです。なぜ気がつかなかったのだろうか。曲はすぐ覚えてしまいましたし、コード進行も簡単そうでしたので、さっそくギターを取り出して練習。でも困ったことに歌詞がなかなか覚えきらないのですね。昔はすぐに覚えられたのになぁ。これも年齢を重ねたせいなのでしょうか。就寝前と出勤前のそれぞれ20分間が、非常に充実するようになりました。こういった偶然の巡り合いには大変うれしくなってしまいます。


タイガーマスク現象を見ていると、日本もまだまだ捨てたものではないなと思ってしまいますが、私の人生も骨董市で200円で購入した骨董品といい、置き去りにしていたいい曲との出会いといい、ささいなことではありますが、まだまだ楽しいことが身の回りにいろいろありそうな気がします。「おならおじさん」に感謝!


2011年1月21日金曜日

公認会計士と税理士試験

~特別税理士はどのように考えるのか?~


 今年の冬は雪が多いようです。年末に実家の秋田に帰る際も、無事にたどり着くことができるかどうか心配していたのですが、ほぼ予定時刻に到着。改札口には二人の税理士が私たちを待ち構えていました。そのうちの一方の税理士は、あいかわらず怪しい雰囲気を醸し出しているのですが、今回は母親が身に着けていた指輪をループタイにして、首から下げていました。そして私に会うなり開口一番、「公認会計士は税理士試験の税法科目を通るべきである」ときたではありませんか。おお!越麻呂日記をさっそく読んでいてくれたのかとうれしくなったのですが、その話は後にして、とりあえずは会食の場へと直行です。


 ひとしきり世間話しをした後、話題はどうしてもそちら方面へと進んでしまいます。何しろこの税理士は、大学在学中に税理士試験の「簿記論」「財務諸表論」を1年で同時に一発合格し、翌年には税法3科目を一発合格するという離れ業を演じたバリバリの試験合格組なのです。当然のごとく「公認会計士が税務を行うのであれば、税法の試験を通るべきである」となるわけですね。そこで私は切り返すわけです。「では、特別税理士はどうなのか」と。私の父親も税理士なのですが、55歳で退職するまで税務署に勤務しており、私が高校2年生の時に、いわゆる特別試験なるものに合格して税理士となる資格を取得したわけです。それでも試験合格組にいわせると、「きちんと税理士試験に合格すべきである」となるわけですね。まさしく正論です。しかし当のご本人は、「特別税理士は特別だから一番偉いのだ!」などとわけのわからないことを言いながら、カキフライをカリカリ食べていたので、もうこの話題は切り上げることにしました。この道30年になろうとしていますが、この間特にトラブルもなく、いまだにコツコツ税理士業務を続けています。

 
 3年くらい前までならば、なにもこのような業界同士の大きな論争にはならなかったのでしょうが、最近公認会計士試験の合格者が多いため、税理士業界に流れ込む人が増えてくることが予想されます。その辺の危機感があるのも十分わかります。試験合格組の税理士は「税理士にも監査をさせるべきではないか」と言っていましたが、会計監査は公認会計士の独占業務であるため、そういうわけにはいきません。包括外部監査をやる機会は税理士にも開かれているのだし、政治資金規正法の監査もできるではないかと言いたかったのですが、これを監査だと思われても困るしなぁ。特に後者は、監査というものに対して世間の大きな誤解を生む可能性があるため、できれば監査とはいってほしくないのですけど、この話題はのちのテーマとして改めて書きたいと思います。