カテゴリリンク

2015年4月24日金曜日

吟醸酢

~健康飲料完成~


 昨年12月にテレビで「人生の楽園」を見ていたら、番組の主人公が「柿酢」なるものを作っていました。耳慣れない言葉だったのですが、なんとなくおもしろそうだと思って、堆肥研究家がさっそく作り始めたことは、拙ブログにも書いた通りです。


 その「柿酢」ですが、やっと出来上がりました。しかも、かなり上出来です。


 昨年秋、干し柿を作るためにたくさん柿を採ったのですが、残った柿は鳥のえさになるか、熟し切って地面に落ちてしまう運命だったのです。


 熟し切った柿は、干し柿用の柿を取る際に採りにくくて残ってしまった柿ですので、なかなかうまく採ることができません。高枝切り鋏が柿の実に触れたとたんに実が地面に落下してしまうのです。幸い地面は雪で覆われていて、崩れることなくうまく採取できました。


 採取した柿を果実酒用の瓶に詰め込んでかき回し、


そのまま寝かせておきます。


 定期的にかき回したほうがいいのか、あるいはそのままほったらかしたほうがいいのかは、ネットでも意見が分かれるところではありましたが、最初のうちはかき回し、その後だまって寝かせておきました。


 そしてできたのがこれです。ふたをあけてみると、しっかりと「酢」の香りがします。




 あの状態からは、想像もできないでしょう。しかもおいしいです。料理用に使うというよりも、むしろ健康飲料として飲んだほうがいいと思います。


 お酒の場合は、醪というか原液を袋に入れて吊るし、一滴一滴絞りとって「大吟醸」として売り出すことがあるのですが、堆肥研究家は袋から一滴一滴落ちてくるのを待ちきれず、グイッと搾り取ったのだそうです。大吟醸といきたかったのですが、「吟醸」で我慢しましょう。


 試作品としては大成功でしたので、今年は大量生産します。エスペランサ村発「吟醸酢」なのです。



2015年4月22日水曜日

山の木搬入

~里山復活の第一歩~


 昨日、「村の集会所」の庭に、庭師さんの山に仮植えしてあった雑木が11本植えられました。

 庭造りが始まったのは3月2日でしたが、その後造成作業が1か月くらい続きました。いったいこの後どうなるのだろうと思っていたのですが、実際に山の木が植えられたのを見ると、いっぺんに庭の雰囲気が変わりましたね。



 山の木は、50本ほど用意されています。木を植えるのは大変な作業ですが、掘り出すはもっと大変だと思います。一気に、というわけにはいきませんが、少しずつ出来上がっていくのを見るのもまた楽しみです。
 できるなら、邪魔にならない程度に手伝いたいのですけど、最近本業のほうが忙しくて・・・。


 先日某銀行から紹介していただいた、税理士としての仕事が思っていた以上に大変で、ここ1週間くらい仕事に追われる毎日です。今月いっぱいかかる見込みですが、監査法人勤務時代も今の時期は忙しかったので、そのペースが体に染みついているのか、あまり苦になりません。


 仕事があるだけ、よしとしましょう。


 それはそれとして、この辺り一帯は50年ほど前までは山だったのですが、その後の「高度経済成長時代」に山土の需要が高まったため、どんどん山が削られてしまったのです。削られて平地になったところに、数軒の家が建ち...私たちもそのうちの一人なのですが、昔の風景を少しでも取り戻したいと考えています。


 今はとりあえず自分の庭が優先ですが、このあたりの「里山風景」を取り戻すための活動を、まずは自分たちで時間をかけてやっていくことにします。


 やるといったらやるのです。





2015年4月18日土曜日

あけび園作りスタート!

~必殺バケツ攻撃さく裂~



 タキイ種苗とJAに果樹の苗を100本ほど頼んでいたのですが、最初に届いたのは「あけびの苗」でした。まだ私が名古屋へ行く前のことで、水菜土農園さんにトラクターで土を掘り起こしてもらう前でした。


 どうしたらいいのか途方に暮れて、とりあえず苗を仮植えしていたのですが、苗がどんどん大きくなっていきます。うわ~、のんびり考えている暇はありません。まずはやってみましょう。


 あけびの苗は、ただ穴を掘って植えればいいというわけにはいきません。きちんと棚を作ってあげる必要があります。でもその前にとりあえず堆肥をまいてあげましょう。


 畑の区画には、堆肥を20トンほど投入して三段重ねに敷き詰めたのですが、



 果樹の場合はとりあえず植える場所を特定し、果樹一本につきバケツで10杯ほど堆肥を小山のように積み上げていました。



 これだけでも結構大変な作業です。


 ところが「あけび命」の堆肥研究家は、あけびの区画全体に堆肥を敷き詰めるのだといいます。また根気と体力のいる作業がはじまりました。幸い堆肥はまだ30トンほど山積みになって残っています。


 堆肥のある場所からあけび園まで、1枚3メートルほどある板を10枚くらい連ねて、エスペランサ2号(一輪車)が通る道を作ります。この板は村の集会所を作った際に、余った板として大工さんからいただいたものでした。とても役に立っています。


 私は100円ショップのダイソーに出かけてバケツを買いに行きます。一番容量の多い10ℓ入りのバケツを6個調達してきました。


 スコップでバケツに堆肥を入れ、両手に抱えて運びます。




 ふ~~まだまだです。



 でも、一日がかりでやっと出来上がりました。



 次はいよいよあけびの棚作りです。



PC稼働

~画像を挿入しました~

 堆肥研究家も、やっと最近の過酷な労働から解放されて一段落したため、新しく購入したPCの設定を行うことができました。

 ここしばらくは画像を挿入できなかったのですが、どうやらうまくいきました。

 過去の投稿分にも追加で画像を挿入しましたので、ご覧ください。

 今回画像を挿入した投稿は、

 ・原木の追加購入

 ・「整地・開墾編」完結その2

 ・こま打ち

 です。

 
 
 ブログはやはり画像がないとつまらないですね。



2015年4月14日火曜日

開拓農民

~強制収容所?~


 ブログをずいぶん空けてしまいましたね。とても忙しい日々でした。


 監査法人に勤めている人たちにとっては、今の時期からGW明けまでの約1か月ぐらいが、一年を通じて最も忙しい時期になると思いますが、「エスペランサ村」の住人にとっては、ここ一週間くらいが仕事の・・・というか遊びのピークでした。


 「タキイ種苗」「JA」に頼んでた果樹の苗が、一気に到着したのです。約100本です。それに加えて、某銀行系から顧問先は紹介されるし、マスターズを見なければならないしで、なかなか大変な1週間でした。新しいPCがきてからもう10日ほどになるのですが、まだ稼働できずにいます。「メールをくださった皆様、返信できずにすみません」と堆肥研究家は言っています。


 監査法人を退職してしまったので、今はどれくらい忙しいのかはわかりませんが、いくら忙しいといっても、昔ほどではないでしょう。


 私の仕事のピークは、40歳代の中ごろから50歳代の中ごろまででした。この頃は一年中夜の10時前に家に帰ることなどなく、ごくごくまれに夜の9時くらいに帰ろうものなら、「今日はどうしたの?体調でも悪いの?」と家人に驚かれたものでした。そして毎日、「明日の朝、はたして自分は生きているのだろうか」と思いながら、寝床についたのでした。


 堆肥研究家も同様で、毎朝5時には起床して6時30分には自宅を出ます。学校の門が閉まるので、20時くらいには家に帰るのですが、その後食事をとり、毎日当たり前のように12時位まで部屋に閉じこもります。試験等で忙しいときは、深夜の2時~3時でも普通に働いていたのでした。いつ寝ていたのだろうかと今でも不思議ですが、私が思うにたぶんバスの中です。


 それに比べたら、今のエスペランサ村での仕事・・・じゃなくて「遊び」が、周りから見てとても大変そうに思えたとしても、私たちにとっては、どうというほどのことではないのですよ。


 ただ大変なのは、 肉体的な面です。「エスペランサ村の将来のため」という、ミッションというか希望というかモチベーションというか「志」があるので、特に苦も無くこなしてきましたが、傍から見たら「強制収容所」で過酷な労働を強いられていると思うでしょうね。


 ここのところの1週間くらいは、我が58年間の人生の中で、最も過酷な労働…ではなくて「遊び」に夢中になっていたのでしたした。そのあたりのことを、これからゆっくり書いていきたいと思います。



2015年4月9日木曜日

フルーツトマト

~ストレスをかける~


 過度のストレスは体に悪いですが、適度なストレスは、それを克服したときの達成感を味わうことができますし、人間を成長させるのだと思います。


 監査法人勤務時代も、この公認会計士はなかなかやりそうだと思った時は、その人にあえて難しいクライアントを担当していただいたし、困難な仕事を与えたりしました。本人にとってはかなりストレスになったと思いますが、今では立派な公認会計士です。


 私自身も、自分ではこれはちょっと厳しいかなと思っても、「やりますやります、なんでもやりますけん」といって、仕事をこなしてきました。いまでも、「なんでそんなに頑張るの?」と、よく人から言われますが、この程度のことは、今までやってきたことに比べたら、なんでもないのです。


 骨董の世界でも、美しと思ったなら、「ちょっと手が出せないかな、でも少し背伸びすれば何とかなるかな、と思う程度のものを購入しなさい」と、小松正衛さんは言っています・・・関係ないですね。


 さて今回はトマトの話です。私のゴルフの友人から、スタート前にトマトをいただきました。水耕栽培ですが、ストレスをかけてあると言われます。


 トマトにストレスをかけるというのは、どのようにしてやるのだろうか、逆さづりにしたり(空中栽培)いじめたりするのだろうか、と思ってお聞きしてみると、どうやら「塩」を使うのだそうです。塩分を含んだ水を使って水耕栽培するのだと思います。


 さっそく家に帰って食べてみたのですが、とても甘くて驚きました。これはもはや野菜というよりも、「フルーツ」ですね。


 名古屋では「かみその」という懐石料理のお店をよく利用していたのですが、あるとき最初に「フルーツトマト」なるものが出てきたのを思い出しました。ミニトマト一個を半分に切って、大事そうに出てきたのです。


 普段ミニトマトは、5~6個をワシワシ食べているので、トマトもこういう丁重な扱いを受けるのだと感心したのでした。


 このフルートトマト、「地産地消」というよりも、むしろ東京や名古屋など都会に打って出たほうがいいのだと思います。







2015年4月7日火曜日

原木の追加購入

~合計6,000個の種菌と、3万回のトンカチ打ち~


 名古屋から戻った後も、なかなか休息は取れません。整地が終わった翌日、以前約束していた「宝の森林(やま)プロジェクト」のFさんのもとに、原木の調達にでかけます。場所は二ツ井です。


 我がケートラ越麻呂号でさっそく出かけます。二ツ井・白神インターを降りて、白神山地方面に向かいました。ケートラで高速道路を走るのは、もうやめにします。正直、怖いです。


 Fさんと合流後は、Fさんの先導でどんどん山奥に進んでいきました。道路もだんだん狭くなっていきます。ケートラでもすれ違うのが困難な道ですが、対向車は来ません。途中、きれいな雪解け水が流れている箇所が何か所もあり、空気もとてもきれいですね。気持ちもすっきりさわやかです。


 さて、目的地に到着です。原木はすでに40~50本ほど調達していたので、今年の目標としては後50本ほどあればいいと思っていたのですが、原木の山をざっと見たところ、もっとありそうです。数えてみたら、106本。しかも、ほとんどが原木しいたけに最も適した、コナラやミズナラで、形もいいです。満足ですね。


 みんなで記念撮影をした後、原木をケートラに積みこみます。



  無事にシイタケが採れたら、もってきますけんね。


 さて、当初の予定より50本ほど多い原木が手に入ったので、新たに種菌を仕入れなければなりません。そして、この後の作業が大変なのです。


 結局、昨日・今日で、電動ドリルで約4,000個の穴をあけ、トンカチでトンカントンカン2万回くらい打ち付け、なめことシイタケの種菌を植え付けました。合計6,000個の種菌です。





  ドリルの刃も、もう限界で、最後の力を振り絞って穴を空けたのでした。


 これでシイタケ・なめこが1万個くらい採れるでしょうか、でも、もう右手に力が入らないのだ。



2015年4月4日土曜日

「整地・開墾編」完結その2

~トラクターはすごい!~



 エスペランサ村の果樹・畑地帯は、「第一区画」から「第三区画」です。「第四区画」はキノコや山菜の地区ですので、開墾の必要はありません。それでも開墾が必要な面積は、1ヘクタールくらいはあるでしょうか。


 さっそく訪れた「水菜土農園」のMさんといろいろ話をした後、トラクターで土を掘り起こす場所の確認を行います。畑の「第一区画」だけでも・・・と頭をよぎりましたが、昨年バックホーで天地返しを行って一冬越した後の土は、固く引き締まっています。どうしても一度はトラクターで掘り起こさなければなりません。私は思い切ってお願いします。


 「あの~、ここからずぅ~っと向こうの、端っこのほうまでなんですけど・・・」


 話題の桐生が全力で走っても、18.6秒くらいはかかる距離です。でも私の心配をよそに、Mさんは快く引き受けてくれました。明日は雨なので、今日やれるだけやりましょうと。


 しばらくするとMさんは、轟音を響かせてやってきました。トラクターを見てびっくりです。一般的にトラクターというと、大きなタイヤを思い浮かべますが、Mさんのトラクターは、キャタピラでした。しかもかなり大きいです。大潟村ではよく使っているようですが、私は初めて見ました。


 掘り起こしは、まずは「第二区画」からです。いよいよ始まりました。



トラクターの後ろで、刃(正式な名前わかりませんが)が高速で回転しています。どんどん進みます。

 


 トラクターが前に進むにつれて、現われてきた土を見てびっくり。それまでの土とはまるで別人・・・じゃなかった、別物の土でした。固かった土に空気が入って、フカフカです。足を踏みいれるのを躊躇してしまうほどです。

 運転、かっこいいですね。私もやってみたいです。



 第二区画が終了しました。


 固くて足で踏みつけてもびくともしなかった土が、触ると指の中でほぐれてきます。この土の感触を待っていたのですよ。特に、大量の堆肥をまいた「第一区画」の畑区画は、堆肥と土が程よくまじりあって、黒々としています。


  昨年8月末にこの地にやってきたときは、購入した5,300坪の敷地一面が草の海で、これからどうやって開墾したらいいのか、希望と同時に大きな不安を抱えながらスタートしたのでした。


 ひたすら前を向いて、「9月には草刈り」「10月はバックホーによる天地返し」「11月は葦の引き抜きと堆肥の投入」と、目の前のやるべきことを、時間をかけて、アリのように、おなじことをコツコツとやってきました。


 これで、エスペランサ村物語の「整地・開墾編」は終了です。「植樹編」は、ブラックベリーや原木しいたけ等一部始まっていますが、これから本格的に取り掛かることになります。


 すべて準備は整いました。「水菜土農園」さんをはじめ、HさんGさんたちには心から感謝です。ありがとうございました。







2015年4月3日金曜日

「整地・開墾編」完結!

~最後を飾ったトラクター~


 エスペランサ村物語「整地・開墾編」の最後を華々しく飾ったのは、トラクターでした。


 名古屋から秋田へ向かう途中、新潟県の朝日村(現在は村上市)にある一軒家の宿泊所に泊まりました。道の駅「朝日村」の食堂で食べた「佐渡のカキのカキフライ」は、我が58年間のカキフライ人生の中で最もおいしいカキフライでした。できれば普通のソースではなく、タルタルソースで食べたかったですけど。


 6時に朝日村の宿泊所を出て、秋田に向かいます。高速道路がかなり行きわたってきたため、9時15分にはエスペランサ村の集会所にたどり着きました。荷物を片付けながら一息ついていると、「ゲンちゃん農園」のGさんがやってきました。


 Gさんは「キウイ」をはじめ、無農薬の果樹を栽培しています。もともと秋田県自体は、有機農業にはあまり積極的ではないようですが、それでも一部の人たちは有機栽培を目指して頑張っているようです。Gさんも先日「秋田県有機農業推進協議会」に加入したようで、私にも加入を勧めに来たのでした。


 一連の話の中で、私たちはGさんに相談を持ちかけます。


 「我々が、第一区画の畑地区に、堆肥を約20トンまいたのだけれど、堆肥の層が深すぎて、せっかく購入した『エスペランサ5号(耕運機)』で耕しても、耕運機の刃が土までたどり着かくて困っている」と。


 Gさんは「俺が頼んであげるから」といって、おもむろにケータイを取り出すと、エスペランサ村の敷地をトラクターで起こしてくれるよう、お願いしているようです。頼んでいる相手は、町会議員のかたでした。


 ちょうど10日ほど前、農家のかたが自分のところが忙しくなる前に、我がエスペランサ村をトラクターで起こしてくれるそうだという話を聞いて喜んでいたのですが、実際に敷地を見に来た方に、「こんなに広いとは思わなかった」と言われ、結局断られたばかりなのでした。


 Gさんが帰った後、町会議員のTさんからさっそく電話がかかってきました。農業法人を経営している「ミナトサン」という方が、エスペランサ村の果樹・畑予定地を起こしてくれるそうです。


 その「ミナトサン」からもすぐに電話がかかってきました。さっそく見に来てくれる言います。


 間もなく「ミナトサン」が車でやってきました。車に書かれてる文字を見てびっくり。「ミナトサン」は以前新聞で見て知っていた、「水菜土農園」の社長さんだったのです。


 なんというめぐり合わせでしょう・・・続く。





2015年4月1日水曜日

名古屋の友人たち

~会食とゴルフとOB会~


 私が名古屋に行っている間に、タキイ種苗からポポーの苗木が届いたようですね。いよいよ「植樹編」が本格的に始まります。


 本当は名古屋には10日間くらい滞在して、南山CCで5回くらいプレイしたかったのですが、「エスペランサ村」での最初の果樹の植樹」という、最も重要な時期だったこともあり、少し日数を減らして当初1週間くらいの滞在を予定していました。ところが、いよいよ名古屋に向かおうという時に、それまでの春の陽気が嘘のように、突然風雪の嵐となってしまったのでした。


 我がケートラ越麻呂号は、もちろんスタッドレスタイヤを履いているのですが、ゴルフバックを積んでいる乗用車はノーマルタイヤですので、この雪では車を出すことができません。ケートラにゴルフバックを積み込んで名古屋まで行くことも考えましたが、冷静になって日程を遅らせることにしました。


 懇親会の日程変更がうまくいき、名古屋に出かけます。定宿に決めたのは、なじみ親しんだ街「覚王山」にある「ルブラ王山」です。到着した日に、さっそく名古屋でいろいろお世話になっていた、Iさんのお店に行きます。「遠方より友来たる」ということで、懐石料理のお店に連れてってもらいました。お店の名前は「新(あらた)」といいます。Iさんには以前「かみその」も教えていただいたのですが、「新」もとても上品な日本料理のお店ですね。名古屋に行ったときには利用することにしましょう。


 翌日から二日間は、南山CCでゴルフです。「どうしたの?」「久しぶり」「ナビで来たでしょう」・・・なじみのメンバーの方やキャディさんたちから次々と声をかけられます。後半のキャディさんのFさんに、「越麻呂日記」「Esperanza Farm」のことをお話したら、さっそく翌日の朝、別のキャディさんから「越麻呂日記見ましたよ」と声をかけられました。おお!我がブログを読んでくれましたか、ありがとね。


 「Esperamza Farm」で順調に収穫物が採れたなら、名古屋にも販路を広げたいと考えているのですが、そんな夢が実現したらうれしいですね。


 ゴルフの後はOB会です。公認会計士のIさんYさんはじめ、皆さんお元気そうでした。


 今回は滞在期間が短くて残念でしたが、果樹の植樹が一段落したらたっぷり時間がとれるので、またゆっくり名古屋を訪れることにしましょう。 


 南山でゴルフ10回なのだ。