~FM愛知で放送していただきました~
7月6日は「公認会計士の日」です。今年もそうですが、例年新聞に名刺広告を出し、それに文章や図等を付け加えて、公認会計士のことをPRしています。でも、おそらくじっくり目を通すのは公認会計士が多く、それ以外の方は少ないのではないでしょうか。インパクトのある広告というのはなかなか難しいものです。
今年は、新聞広告に加えて、FM愛知さんで「公認会計士の日」のことを説明していただきました。当日の朝、担当者の方からお電話をいただいて、11時50分前後の放送になるというご連絡をいただいたため、その時間帯になったとき、じっとラジオに耳を傾けていました。なぜ私がこの時間帯にラジオを聴くことができたのか?それは、申し訳ないのですが午前中だけお休みをいただいていたからなのです。
皆さんも、一般的に昼食時は込み合うため、早めに食事に出る機会があるかと思いますが、東海会がある伏見の駅近辺で私がよく行くラーメン屋さんは、この時間帯でも大変込み合うのです。そして、いつもFM愛知のラジオが流れていりのですね。ラーメンをいただきながら、公認会計士の日の説明に耳を傾けた人もたくさんいらっしゃったことでしょう。
FM愛知さんの公認会計士特集は、今後も続きます。先日いろいろ打ち合わせをしたのですが、9月から10月にかけて、夜に5分間番組を4回ほど流していただけることになりました。公認会計士とアナウンサーの方が、対談形式で行う予定ですが、内容は今のところ未定です。堅苦しい話だと印象に残らないし、原稿を棒読みしているような話し方だと聞いているほうが恥ずかしくなるため、なかなか難しいですね。公認会計士は役者ではないし。でも、これを機会に公認会計士がいろんな媒体に登場するようになると、この業界のことをもっとPRすることができると思うのです。毎年、あるいはぜひ定期的にこのような機会を設けていただきたいものです。
ご期待ください。
2010年7月22日木曜日
倫理規則が変わったぞ
~骨董の神様は私のブログを読んでいるのであろうか~
7月7日、公認会計士協会の本部定期総会が帝国ホテルで開催され、無事終了いたしました。増田会長の下における理事会構成メンバーは、3年間の任期を終了することになります。引き続き山崎新会長の下でご活躍される方もいらっしゃいますが、私の場合は藤沼前会長時代から増田会長のまでの6年間務めてきた協会本部理事を、ここでいったん退任いたします。あまりお役に立てなかったかもしれませんが、刺激的な6年間でした。
今回の総会で私が注目したのは、「倫理規則」の一部変更に関する議案でした。以前このブログの「経済的便益の巻」でもちらっと書かせていただいたのですが、実務補習所で倫理規則を教えていて一番気になったのは、「用語の問題」でした。その原稿にも書こうかどうか迷ったのですが、読んだ方に変な誤解を与えると困ると思ってあえて書かなかったのが、倫理規則に出てくる「脅迫の脅威」という文言です。私の倫理規則の講義を聞いたここ3年間の補習生は印象に残っているかもしれませんが、「脅迫の脅威」とは何やら穏やかではない話ですねといった説明をさせていただきました。まだ実務についていない会計士試験に合格したばかりの補習生に、監査を実施していると、会計士が会社から脅迫されることでもあるのだろうかという、変な誤解を与えたくなかったのですね。
ところが今回の総会で倫理規則が改正され、用語の変更として、「脅迫の脅威」が「不当なプレッシャーを受ける脅威」に、「脅威」が「阻害要因」に変更されることになりました。なんとなくホッとした気分です。そういえば、内部統制における「重要な欠陥」も変更することが検討されているようです。「改善を要する事項」くらいでいいような気がしますが。ついでに四半期レビュー報告書の例の文言「適正に表示していないと信じさせる事項が・・・認められなかった」も何とかしていただけると、これを読まれる多くの関係者の方々もホッとされるのではないでしょうか・・・私の個人的な見解ですが。
それはそれとして、協会活動がとりあえず一段落したということもあり、なんとなく自分への御褒美を考えていたのですが、先日ヤイリギターのゴッドハンドこと小池健司さんからご連絡があり、2年前から構想を練ってきたギターが、とうとうネックの太さの微調整ができるところまでたどり着いたというご連絡がありました。いままで郵便やメールでいろいろやり取りしていたのですが、今回は工場までお伺いして、現物をじっくり見てきたのです。ムフフフフフ!。
それから数日後、ブログで以前「念じれば通じるのであるかの巻」で書かせていただいたのですが、ほしいほしいとひたすら念じていた唐津のぐい飲みや、刷毛目の盃(しかも鶏龍山!)が、なんということでしょう、偶然私の目の前に出現したのです。骨董品は二度と生産できないものですので、ほしいものは時間をかけて、ひたすら運と出会いと偶然に任せるしかないのですが、仮に骨董の神様がいるとしたら、御褒美として私の願いをかなえてくれたのでしょうか。それとも骨董の神様は、私のブログをお読みになっているのだろうか?
7月7日、公認会計士協会の本部定期総会が帝国ホテルで開催され、無事終了いたしました。増田会長の下における理事会構成メンバーは、3年間の任期を終了することになります。引き続き山崎新会長の下でご活躍される方もいらっしゃいますが、私の場合は藤沼前会長時代から増田会長のまでの6年間務めてきた協会本部理事を、ここでいったん退任いたします。あまりお役に立てなかったかもしれませんが、刺激的な6年間でした。
今回の総会で私が注目したのは、「倫理規則」の一部変更に関する議案でした。以前このブログの「経済的便益の巻」でもちらっと書かせていただいたのですが、実務補習所で倫理規則を教えていて一番気になったのは、「用語の問題」でした。その原稿にも書こうかどうか迷ったのですが、読んだ方に変な誤解を与えると困ると思ってあえて書かなかったのが、倫理規則に出てくる「脅迫の脅威」という文言です。私の倫理規則の講義を聞いたここ3年間の補習生は印象に残っているかもしれませんが、「脅迫の脅威」とは何やら穏やかではない話ですねといった説明をさせていただきました。まだ実務についていない会計士試験に合格したばかりの補習生に、監査を実施していると、会計士が会社から脅迫されることでもあるのだろうかという、変な誤解を与えたくなかったのですね。
ところが今回の総会で倫理規則が改正され、用語の変更として、「脅迫の脅威」が「不当なプレッシャーを受ける脅威」に、「脅威」が「阻害要因」に変更されることになりました。なんとなくホッとした気分です。そういえば、内部統制における「重要な欠陥」も変更することが検討されているようです。「改善を要する事項」くらいでいいような気がしますが。ついでに四半期レビュー報告書の例の文言「適正に表示していないと信じさせる事項が・・・認められなかった」も何とかしていただけると、これを読まれる多くの関係者の方々もホッとされるのではないでしょうか・・・私の個人的な見解ですが。
それはそれとして、協会活動がとりあえず一段落したということもあり、なんとなく自分への御褒美を考えていたのですが、先日ヤイリギターのゴッドハンドこと小池健司さんからご連絡があり、2年前から構想を練ってきたギターが、とうとうネックの太さの微調整ができるところまでたどり着いたというご連絡がありました。いままで郵便やメールでいろいろやり取りしていたのですが、今回は工場までお伺いして、現物をじっくり見てきたのです。ムフフフフフ!。
それから数日後、ブログで以前「念じれば通じるのであるかの巻」で書かせていただいたのですが、ほしいほしいとひたすら念じていた唐津のぐい飲みや、刷毛目の盃(しかも鶏龍山!)が、なんということでしょう、偶然私の目の前に出現したのです。骨董品は二度と生産できないものですので、ほしいものは時間をかけて、ひたすら運と出会いと偶然に任せるしかないのですが、仮に骨董の神様がいるとしたら、御褒美として私の願いをかなえてくれたのでしょうか。それとも骨董の神様は、私のブログをお読みになっているのだろうか?
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徒然
2010年7月3日土曜日
総会記念ゴルフで優勝してしまった
~これもひとつの御褒美か~
東海会の総会を無事に乗り切り、懇親パーティも終わって自宅に戻ったら、急に疲れが出てきたため、お気に入りの絵唐津の片口型ぐい飲みで日本酒を流し込み、感傷に浸りながら静かに雨の音を聞いていたのです。ん?でも明日は総会記念ゴルフではないですか。土砂降りの雨だったらいやだなぁと思っていたのですが、ダブルぺリアの帝王こと牧野先生が晴れ男だそうで、一縷の望みにすがって眠りに就いたのです。
翌日の朝は残念ながら雨。レインウェアを着用して練習場へ行き、球を打っていたのですが、疲れからか打ち終わった後にパッティンググリーンやクラブハウスまで戻る気にならず、そのまま一番ティグラウンドの周辺にある椅子に深く腰掛けたまま、皆さんが来るのを待っていました。でも、なかなか皆さんが集まってこないのですね。スタート時間が近くなったので心配していたのですが、なんと、私がスタート前の挨拶の集合場所に行くのを忘れていただけの話でした。
コンペが行われた南山カントリーは、私のホームコースなのですが、「難産カントリー」と言われているくらい、中部地区では難しいコースなのです。初めて来た人は、「二度と来るまい」と思うか「もう一度挑戦したい」と思うかのどちらかのようです。
最初は雨が降っていましたが、途中からは何とか小降りになり、無事18ホール回ることができました。結果はなんと優勝!今まで頑張ってきた御褒美かもしれません。東海会会長を退任し、昨日の総会の挨拶が最後の挨拶で、今後は挨拶からやっと解放されたと思っていたのですが、またまた優勝者の挨拶。でも、このような挨拶なら何回やってもいいのだ。
翌日は、同じコースでマンスリー大会です。この勢いで、マンスリーも優勝だぁ!と意気込んで臨んだのですが、3番ホールでOB2連発を叩き、あえなく玉砕。トホホホ・・・。ゴルフは難しい。
東海会の総会を無事に乗り切り、懇親パーティも終わって自宅に戻ったら、急に疲れが出てきたため、お気に入りの絵唐津の片口型ぐい飲みで日本酒を流し込み、感傷に浸りながら静かに雨の音を聞いていたのです。ん?でも明日は総会記念ゴルフではないですか。土砂降りの雨だったらいやだなぁと思っていたのですが、ダブルぺリアの帝王こと牧野先生が晴れ男だそうで、一縷の望みにすがって眠りに就いたのです。
翌日の朝は残念ながら雨。レインウェアを着用して練習場へ行き、球を打っていたのですが、疲れからか打ち終わった後にパッティンググリーンやクラブハウスまで戻る気にならず、そのまま一番ティグラウンドの周辺にある椅子に深く腰掛けたまま、皆さんが来るのを待っていました。でも、なかなか皆さんが集まってこないのですね。スタート時間が近くなったので心配していたのですが、なんと、私がスタート前の挨拶の集合場所に行くのを忘れていただけの話でした。
コンペが行われた南山カントリーは、私のホームコースなのですが、「難産カントリー」と言われているくらい、中部地区では難しいコースなのです。初めて来た人は、「二度と来るまい」と思うか「もう一度挑戦したい」と思うかのどちらかのようです。
最初は雨が降っていましたが、途中からは何とか小降りになり、無事18ホール回ることができました。結果はなんと優勝!今まで頑張ってきた御褒美かもしれません。東海会会長を退任し、昨日の総会の挨拶が最後の挨拶で、今後は挨拶からやっと解放されたと思っていたのですが、またまた優勝者の挨拶。でも、このような挨拶なら何回やってもいいのだ。
翌日は、同じコースでマンスリー大会です。この勢いで、マンスリーも優勝だぁ!と意気込んで臨んだのですが、3番ホールでOB2連発を叩き、あえなく玉砕。トホホホ・・・。ゴルフは難しい。
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徒然
2010年7月1日木曜日
退任のご挨拶
~充実した「林住期」最初の3年間でした~
東海会ニュースよりも一足早く、会長退任のご挨拶をさせていただきます。
6月18日に行われました東海会の定期総会が終了し、おかげさまで私も会長の任期を無事満了することができました。3年間は長いのではないかと思っていたのですが、終わってみればあっという間でした。振り返ってみて一番印象に残っているのは、やはり就任時の決断です。
当時の私は、所属監査法人の名古屋事務所長も4年目に突入し、協会活動としては東海会副会長に本部理事、法人のマネジメントと同時に多くの監査クライアントを担当し、某監査法人との統合話に頭を悩ませ、毎日250通前後のメールをこなすという状況で、いつ倒れてもおかしくないという恐怖と闘いながら、精神的にも体力的にも極限状態で毎日を過ごしていたのです。そんな中で突然降ってきたのが、東海会会長を引き受けくれという話でした。
私にとってはもったいないくらいのお話でしたが、性格的に引き受けてしまった以上はとことん頑張ってしまうし、手足のしびれ等体調もかなり悪い状態でしたので、自分では残念ながらお断りしたほうがいいのではないかと結論付けていました。ただ、研究大会には未練がありましたが。
しばらくは頭の中がモヤモヤしていたのですが、その後鈴木正男先生や幅勇雪先生のアドバイスもあり、また所属法人の名古屋事務所長も代わっていただけるということでしたので、風向きが変わってきました。私はもともと50歳になったら、仏教でいうところの「林住期」ということで、この先の人生は自分の好きなことをやって過ごそうと考えていましたので、むしろ東海会の会長という業務を楽しんでしまおうと考えることにしたのです。また、12年ぶりに名古屋で開催される全国研究大会を、過去のしきたりにこだわることなく、自分なりのオリジナリティをもってやってみたいという思いもありましたので、無謀だとは思いながらも東海会会長をお引き受けすることにしたのでした。心情的にはマラソンを走り終えた後で、続けざまに駅伝一区を走るようなものでしたが、これが私にとっては大変な幸運でした。
さっそく研究大会のポスターにはこだわり続けて強行突破し、またその年の12月にはテレビドラマ「監査法人」制作の話がありました。通常業務をこなしながらも年明けからは本格的にドラマのシナリオのチェックやストーリー展開・制作等の打ち合わせを、研究大会の準備と同時並行的に半年ほど行い、研究大会の開催中にドラマのストーリーがピークをむかえるという最高の展開となったのですね。もちろん全国研究大会の開催は、私にとっては大変達成感のある仕事でした。特に前夜祭の盛り上がりは印象的で、研究大会の成功を確信した瞬間だったと思います。
それから、私のブログである「越麻呂日記」。途中でかなり脱線しましたが、思いのままに書かせていただきました。川柳は目標通り300本を達成。原稿のほうは、当初は週一本で合計150本を目指していたのですが、途中なかなか時間がなく、書きたいことはたくさんあったのですが、原稿にしたのは130本くらいでしょうか。これで肩書きが取れましたので、これからは肩の力を抜いて、もっと自由な立場で書くことができると思います。何しろ「ペンは武より強い!」のですから。
この3年間は、「魅力ある東海会創り」を私のオリジナルテーマとして活動してきました。この間、役員の皆さま方、ならびに各委員会の委員の皆さま方におかれましては、ボランティアにもかかわらず活発に活動していただきましてありがとうございました。また、事務局の皆さま方にも大変お世話になりました。ありがとうございました。個々の委員会の活動につきましては、紙面の関係で詳しくご紹介することはできませんが、大変活発に活動されておりました。特にハロー会計につきましては、全国的にも特筆するに値すると思います。お疲れ様でした。
今後、会計士業界が取り組んでいかなければならない課題はたくさんあると思います。名古屋における全国研究大会のテーマが、「夢!魅力ある公認会計士」でした。この業界の将来を、公認会計士一人ひとりが真剣に考えていかなければならない、ある面過渡期に来ているのではないかと思っています。自信を持って魅力ある業界であるということができるよう、微力ながらできるところから行動していくつもりです。
今は任期を無事満了することができてホッとしているところですが、東海会会長を引き受けさせていただきまして、本当にいい経験をしたと思っています。おかげさまで充実した日々を過ごすことができました。また、皆さま方にもいろいろご協力いただきまして、大変感謝いたしております。途中で、山田洋久副会長がお亡くなりになったり、私の母親が他界したりでつらい時期もありましたが、何とかゴールまでたどり着くことができました。退任後は顧問だと言われてもピンとこないし、ましてや長寿会はまだまだ先の話です。これまでは、自分のため、法人のため、業界のためと頑張ってきました。時間はまだたくさんあります。社会のためというには年齢的にまだ早いかもしれませんが、これからは、この3年間の経験を生かして、さらにもっといろんな方面で幅広く活動できればいいなと考えているのです。
3年間、いろいろありがとうございました。
東海会ニュースよりも一足早く、会長退任のご挨拶をさせていただきます。
6月18日に行われました東海会の定期総会が終了し、おかげさまで私も会長の任期を無事満了することができました。3年間は長いのではないかと思っていたのですが、終わってみればあっという間でした。振り返ってみて一番印象に残っているのは、やはり就任時の決断です。
当時の私は、所属監査法人の名古屋事務所長も4年目に突入し、協会活動としては東海会副会長に本部理事、法人のマネジメントと同時に多くの監査クライアントを担当し、某監査法人との統合話に頭を悩ませ、毎日250通前後のメールをこなすという状況で、いつ倒れてもおかしくないという恐怖と闘いながら、精神的にも体力的にも極限状態で毎日を過ごしていたのです。そんな中で突然降ってきたのが、東海会会長を引き受けくれという話でした。
私にとってはもったいないくらいのお話でしたが、性格的に引き受けてしまった以上はとことん頑張ってしまうし、手足のしびれ等体調もかなり悪い状態でしたので、自分では残念ながらお断りしたほうがいいのではないかと結論付けていました。ただ、研究大会には未練がありましたが。
しばらくは頭の中がモヤモヤしていたのですが、その後鈴木正男先生や幅勇雪先生のアドバイスもあり、また所属法人の名古屋事務所長も代わっていただけるということでしたので、風向きが変わってきました。私はもともと50歳になったら、仏教でいうところの「林住期」ということで、この先の人生は自分の好きなことをやって過ごそうと考えていましたので、むしろ東海会の会長という業務を楽しんでしまおうと考えることにしたのです。また、12年ぶりに名古屋で開催される全国研究大会を、過去のしきたりにこだわることなく、自分なりのオリジナリティをもってやってみたいという思いもありましたので、無謀だとは思いながらも東海会会長をお引き受けすることにしたのでした。心情的にはマラソンを走り終えた後で、続けざまに駅伝一区を走るようなものでしたが、これが私にとっては大変な幸運でした。
さっそく研究大会のポスターにはこだわり続けて強行突破し、またその年の12月にはテレビドラマ「監査法人」制作の話がありました。通常業務をこなしながらも年明けからは本格的にドラマのシナリオのチェックやストーリー展開・制作等の打ち合わせを、研究大会の準備と同時並行的に半年ほど行い、研究大会の開催中にドラマのストーリーがピークをむかえるという最高の展開となったのですね。もちろん全国研究大会の開催は、私にとっては大変達成感のある仕事でした。特に前夜祭の盛り上がりは印象的で、研究大会の成功を確信した瞬間だったと思います。
それから、私のブログである「越麻呂日記」。途中でかなり脱線しましたが、思いのままに書かせていただきました。川柳は目標通り300本を達成。原稿のほうは、当初は週一本で合計150本を目指していたのですが、途中なかなか時間がなく、書きたいことはたくさんあったのですが、原稿にしたのは130本くらいでしょうか。これで肩書きが取れましたので、これからは肩の力を抜いて、もっと自由な立場で書くことができると思います。何しろ「ペンは武より強い!」のですから。
この3年間は、「魅力ある東海会創り」を私のオリジナルテーマとして活動してきました。この間、役員の皆さま方、ならびに各委員会の委員の皆さま方におかれましては、ボランティアにもかかわらず活発に活動していただきましてありがとうございました。また、事務局の皆さま方にも大変お世話になりました。ありがとうございました。個々の委員会の活動につきましては、紙面の関係で詳しくご紹介することはできませんが、大変活発に活動されておりました。特にハロー会計につきましては、全国的にも特筆するに値すると思います。お疲れ様でした。
今後、会計士業界が取り組んでいかなければならない課題はたくさんあると思います。名古屋における全国研究大会のテーマが、「夢!魅力ある公認会計士」でした。この業界の将来を、公認会計士一人ひとりが真剣に考えていかなければならない、ある面過渡期に来ているのではないかと思っています。自信を持って魅力ある業界であるということができるよう、微力ながらできるところから行動していくつもりです。
今は任期を無事満了することができてホッとしているところですが、東海会会長を引き受けさせていただきまして、本当にいい経験をしたと思っています。おかげさまで充実した日々を過ごすことができました。また、皆さま方にもいろいろご協力いただきまして、大変感謝いたしております。途中で、山田洋久副会長がお亡くなりになったり、私の母親が他界したりでつらい時期もありましたが、何とかゴールまでたどり着くことができました。退任後は顧問だと言われてもピンとこないし、ましてや長寿会はまだまだ先の話です。これまでは、自分のため、法人のため、業界のためと頑張ってきました。時間はまだたくさんあります。社会のためというには年齢的にまだ早いかもしれませんが、これからは、この3年間の経験を生かして、さらにもっといろんな方面で幅広く活動できればいいなと考えているのです。
3年間、いろいろありがとうございました。
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