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2010年6月10日木曜日

公認会計士の将来を考える

~「夢!魅力ある公認会計士」と自信を持って言えるか~


私の東海会会長としての「越麻呂日記」も、残りわずかとなってきました。かなり抑えたとはいえ、比較的書きたいことを書いてきたので、本来であればこの日記もいつ終焉を迎えてもおかしくなかったのですが、幸い「越麻呂日記」は面白いと言ってくださった先生もいらっしゃったので、何とかここまで持ちこたえることができたのです。感謝!


最近よく考えるのが、2年前に名古屋行われた研究大会のテーマ「夢!魅力ある公認会計士」のことです。私にとっては非常に思い入れのあるテーマで、公認会計士という職業ほど面白い職業はないと、真剣に考えて選択したテーマでした。この業界の明るい将来が限りなく続くものと確信を持っていたのですね。
研究大会における奥田元経団連会長の記念講演の冒頭で、私が挨拶した原稿には、このようなことが書かれていました。


「・・・テーマは、夢!魅力ある公認会計士とさせていただきました・・・公認会計士の業務はこんなに魅力がありますよ!また、達成感や満足感を得られて、充実感を味わうことができますね!あるいは、いろいろな仕事ができて楽しいですよね!ということを、特に若い会計士にアピールしたいと考えて、このようなテーマにいたしました。・・・仕事のおもしろさとか業務の多様性、あるいは将来の可能性という面では、大変魅力的な業界だと思っておりまして、将来に夢を持っていただきたいという思いを、このテーマにこめさせていただきました・・・」、と。


確かにその後、公認会計士の業務は、内部統制の監査が加わり、公会計の分野でも広がりを見せ、国際会計基準の採用へと向かって進んでいます。新しい分野へチャレンジするごとに、会計のプロとしての知的好奇心を刺激してくれています。以前に比べて公認会計士という職業や監査法人の行っている業務も注目されるようになってきました。

おかげさまで、公認会計士を目指す人が増えてきたのは大変望ましいことなのですが、その一方でここ2~3年、試験合格者が一気に増えたため、就職問題や実務補習所の運営等新たな課題も浮き彫りになってきています。「公認会計士制度に関する懇談会」でいろいろ議論されているようですが、この業界のことを本当に理解していただいたうえで、将来に明るい展望が開けるような結論に導いていただけるよう、期待したいと思います。


先日、名古屋のある大学から講演依頼があり、9月にお話をすることになっているのですが、とりあえずテーマを決めてくれと頼まれました。もちろん「公認会計士の魅力について」とお答えしておいたのは言うまでもありません。


2010年6月2日水曜日

経済的便益とは?

~日本語が植民地化される「脅威」を認識して評価して除去しよう~


 「お~い!そこのコンダラ、こっちへ持ってこい」

野球場での練習風景です。どうやら、先輩が後輩に命じているらしいのですが、言われた後輩のそばには、グラウンドを固めるためのローラーがそばにあるだけです。コンダラ???「あの~、コンダラって何っすか?」と、後輩。「だから、お前のそばに置いてあるコンダラだよ」


最近、地下鉄での通勤時に「梶原一騎伝 夕焼けを見ていた男」を読んでいるのですが、 子供のとき、ちょうどカラーテレビが出始めた頃に、スポ根漫画「巨人の星」が放映されていたのを思い出します。

「♪思い込んだら 試練の道を♪」

という歌詞がうたわれている画面の中で、主人公の星飛雄馬が、いかにも重そうなローラーを、汗をかきながら苦しい表情で引いている場面が映し出されるのですが、その姿を眼の中に焼き付けられている方も多いと思います。その先輩は、その歌を聴きながら「思い込んだら」を「重いコンダラ」と取り違えてしまったのですね。

私などは、エイトマンの歌詞の中にある

「♪行こう 無限の 地平線♪」

と歌っているところの歌詞の意味がわからず、「ユコームゲン」っていったい何の意味だろうと、かなり後年になるまでわからないままでした。昔は、今みたいにやたらとテレビの下に、日本語の字幕が出ることはなかったのです。

「♪夕焼けこやけの赤とんぼ おわれてみたのは いつの日か♪」

「おわれて」も、狼かクマにでも追われたのだろうかと、しばらくわからなかったのですが、おそらく「背負われて」「おんぶされて」の「おわれて」ですよね・・・たぶん・・・自信ないけど。
私の友人の中には「順風満帆」をいまだに「じゅんぷうまんぷう」と言っている方もいます。バブルをバルブと言っている方も・・・。


IFRSの勉強をしていると、収益の認識のところで必ず出てくるのがいわゆるひとつの「経済的便益」というやつです。「経済的」は日常会話でもよく使うので、比較的なじみがあるのですが、「便益」というのは、なかなかなじみのない言葉ですね。ちなみに新明解国語辞典で調べてみると「それを使うことが自分にとって便利であり、かつ利益がある様子」と書いてあります。なるほと、確かにその通り。でも使わないよなぁ、この言葉。経営財務によると、IFRS適用第一号となった会社も、収益の認識基準を、出荷基準から着荷基準へと変えたそうですが、その変更理由にもこの「経済的便益」という用語が出てきます。そのうち「便益」が新聞や雑誌に氾濫するのだろうか。便益便益便益便益・・・


先日JICPAジャーナルのIFRSに関する記事を読んでいたら、金融商品会計に関するところで、とうとう出てきました。「まれでない回数の売却」が売却目的とみなされて・・・。「まれでない回数」とは一体どういう回数なのだろう。頻繁とは違うのだろうか。「頻繁ではないけれども少なくはない」といったニュアンスなのだろうか。ちなみにこちらも新明解国語辞典で調べたのですが、「まれ(めったになくて、珍しい様子)は載っているのですが、「まれでない」はありませんでした。「まれ+でない(つまり否定・・・英語で書いてもDeny・・・デナイ・・・なんちゃって)と解釈すればいいのだろうか。う~ん!よくわからん。


この3年間、実務補習所で「職業倫理」を教えてきたのですが、「脅威を認識した場合、評価して除去するか許容可能な水準まで軽減しなければならない」というようなことがレジュメに書かれていたため、いわゆる翻訳して説明しました。はたして聞いている補習生は、すんなり頭に入っただろうか?


私は日本語が好きなので、本や雑誌を読んでいるときに、よくわからない言葉が出てくると、頭の中が整理できずに途中でつかえて、先に進めなくなってしまいます。こんな日本語が世間にあふれ出てきたら、私は発狂するかもしれません。その前に、早く秋田の田舎に引っ込んだほうがいいのだろうかと真剣に考えてしまいます。それとも、慣れて乗り切るしかないのでしょうか。生活もかかっているし。


先週の日曜日、日本酒を飲もうと刺身を何種類かスーパーから買ってきて、部屋の中に飾ってある高麗時代の鉢に盛るつもりで手にしたところ、カミサンに「それ、オキッパだから、しっかり洗ってね」と言われてしまったのですね。この場合の「オキッパ」は、もちろん置きっぱなしのことです。「オキッパ」くらいだったら、苦笑いするだけですませられるのですが。


戦中、日本国民は、今でいうところの「カレーライス」を、「からし入り汁かけめし」と言っていたそうです。野球でも「ストライク」「いい球」と。日本酒は米ジュース・・・というのはウソですけど。


2010年6月1日火曜日

東海会顧問 幅先生が永眠されました

~「それでもやるしかないだろう」の一言が決め手だった~


 元東海会会長で、東海会顧問をされていた幅先生が、5月27日、お亡くなりになりました。今年の2月にはお元気そうなお姿を拝見していただけに、大変ショックです。

 幅先生が、東海会副会長・会長等、東海会の要職を歴任されていた頃が、ちょうど私が愛知県会の幹事や広報委員を長年担当していた時期と重なりました。愛知県会の行事に参加しては東海会ニュースにひたすら原稿を書きまくっていた時期です。「君の書く文章は面白いな」といつも幅先生には喜んでいただき、私もそう言っていただくのが楽しみで協会活動をやっていたような気がします。会長を退任されてからも、中日本五会等の懇親会の席で、堂々とご挨拶される幅先生の姿を遠くから眺めながら、いつもかっこいいよなぁと思っていたものでした。

 
 4年前の12月末、突然私に東海会会長就任の話が舞い込んできたのですが、年末年始に秋田でじっくり考えて、最終的にはお引き受けできないと結論付けたのです。お断りする理由は山のようにありました。若すぎるし・・・今でも仕事が忙しすぎるのにこれ以上は・・・手足のしびれや不整脈等の体調不良・・・今は話せない秘密の話し・・・等々。


 そして、年明け後に行われた東海会の賀詞交歓会の会場で、鈴木先生や幅先生から東海会会長立候補の話があったのですが、丁重にお断り申し上げたのです。その後しばらく会場をうろうろしていたのですが、再び幅先生と立ち話をする機会がありました。そこで先生が言われたのですね。「君もいろいろ大変だとは思うが、それでも引き受けるしかないんじゃないか。考えてみてくれ」と。この言葉が私の心に重く響き、こうなったら法人業務だろうが協会業務だろうが、とことんやってやろうじゃないのと、東海会会長の重責をお引き受けすることにしたのでした。


 その後3年間、何とかここまでたどり着き、私の任期も残り20日間ほどとなりました。無事任期を満了した暁には、幅先生のところに行って

「お引き受けするまでは、ずいぶん迷っていたものですが、幅先生の一言で決心がつきました。おかげさまで3年間、無事乗り切ることができました。いい経験をさせていただきました。」
と、ご報告するつもりでいましたので、とても残念でなりません。


 心からご冥福をお祈りしたいと思います。