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2025年2月27日木曜日

鉅鹿ー魯山人旧蔵

 ~辻清明コレクション~


 もともとは雑誌「陶説」に掲載されていた、青柳恵介さんのエッセイで興味を抱いた鉅鹿


 鉅鹿の人が盃として使っていたわけではないにしても、日本酒を飲むにはぴったりのサイズです。


 雑誌「陶説」にも鉅鹿の盃の写真が掲載されていました。



 この作品には鉅鹿特有の土銹がなく、きれいな白を呈しています。


 調べてみると、まれに洪水による土砂がパック状になり、保護されることがあるようで、この作品もそういった恵まれた作品だったのでしょう。


 一方こちらは雑誌「緑青」に掲載されていた「辻清明コレクション」の鉅鹿。



 右が渓龍山の徳利で、左が鉅鹿の盃。


 話はそれますが、この渓龍山の徳利も、なかなかのものです。


 解説には、魯山人旧蔵と書いてありました。



 拡大して見ると、鉅鹿の特徴である土銹がありますね。



 とても柔らかいクリーム色をしています。


 魯山人さんも辻清明さんも酒豪だったと思うので、この盃もさぞかしおいしいお酒をたくさんいただいたことでしょう。


 このような作品が、ある日突然私の目の前に現れる…などということは、ほとんどないと思いますが…


 「絶対にない」とあきらめていたのでは、仮に類似品が目の前を通り過ぎたとしても、気が付かないで他の人のところに行ってしまうことでしょう。


 いかにアンテナを四方八方に張り巡らせ、諦めないで思い続けるかが勝負の分かれ目。


 思い続けていれば、願いはいつかかなうものだと信じているのです。

 

 




2025年2月24日月曜日

今朝の雪景色

 ~たろにゃん君もびっくり~



 今朝窓を開けるとまたしても雪。



 見ている分にはいいけど…除雪しなければなりません。

 バックホーを出動させました。


 おや!たろにゃん君の登場です。



 すごい雪だにゃんこ…



 タロ君の小道も雪に埋もれています。



 いつになったら春は来るのだろうか…







2025年2月23日日曜日

冬でも野鳥の来る庭ーその2

 ~代休と有休とゴルフの三角関係を考えた~



 ゴルフ仲間の「チームAbe」またの名を「チームだからゴルフは止められない」の事務局長から、今年のゴルフの予定表が届きました。



 私の年間スケジュール上、冬の間にできることはすべて12月~2月に押し込んでしまっているため、今年も1月2日から仕事を始めてほとんど休日なし。



 世間でいわれるところの代休は、明日でちょうど20日になります。



 これまた世間でいうところの有休を20日間いただくとして、合わせて40日。



 事務局長が作成したゴルフの予定表を私の手帳に当てはめていくと、平日ゴルフができるのは…



 おおおお…なんと40日! ぴったし。



 問題はこの雪。



 昨年の2月20日のブログには、「春の訪れを告げる花たち」というタイトルで、まんさくの花オオイヌノフグリ、それにタンポポの花が咲いている様子を投稿していたのですが、


 今年はまだこんな状況です。



 



 そろそろ仕事の区切りが見え始めてきたのですがね。








2025年2月21日金曜日

仙台へ

 ~幻に終わった鉅鹿探しの旅~


 先週の金曜日、秋田大学の仕事で久しぶりに仙台へ。


 仙台に来るのは、秋田県内の金融機関の会計監査業務を新日本監査法人から引き継ぐためにヒアリングを実施して以来なので、約6年ぶりですか。


 それにしても仙台は人が多いですね。名古屋はもっと多かったかなぁ…

 これだけ人が多いと、クマと遭遇するリスクはないでしょうなぁ…


 せっかく仙台まで来たのでこのまま鉅鹿探しの旅に出かけ、週末は東京まで行こうかとも思っていたのですが…


 東京の日本橋~京橋界隈の古美術店が集まっている通りを


 「鉅鹿鉅鹿鉅鹿鉅鹿鉅鹿…」


 とつぶやきながら歩いていると、都会の人たちから変な目で見られるかもしれないしなぁ…。


 そろそろ無花果の苗木も注文しなければならないので…


 いったん秋田の田舎に戻りますか。


 ということで、農園に戻って無花果の苗木を30本注文したのでした。


 春にむけて…徐々に気持ちを高めていくのです。





2025年2月13日木曜日

鉅鹿を探せ!

 ~盃にしてしまう日本人~


 今でこそ会計の世界に身を置いていますが、大学は文学部

専門学科を選ぶ際は西洋史学科を専攻し、ゼミは古代史


 古代史のゼミといっても専門は古代メソポタミア文明やエジプト文明でしたので、中国文明には詳しくないものの…


 鉅鹿の発掘を知らなかったのは不覚!


 そういえば遠い昔、鉅鹿の戦いというのがありましたね。

 思い出しましたよ。



 1920年における鉅鹿の地の発掘現場からは、金工品、木工品、陶磁器などが多数発掘され、世界中に流れていったそうです。


 もちろん日本にもたくさん入ってきたはずです。


 一部は個人コレクターの元に、優品は美術館や陶磁資料館に入ったのではないでしょうか。


 日本中の美術館や陶磁資料館を調べて片っ端から電話をかけ、


 「鉅鹿置いてありますか?」


 と問い合わせをし、


 「ありますよ!」


 と言われたら、車を走らせて見に行きたいところですが…

 この天気だし…まだ仕事のけりが付いていないしなぁ…。


 やむなく昨日の夕食後、DVDで浜田麻里のライブを見た後、小さな蕾の別冊「徳利とぐい吞み100」を覗いてみると…


 ありました!鉅鹿の盃が。


 鉅鹿の人たちにとっては生活雑器だったと思うのですが、日本人はこれを盃に見立ててしまうのですね。


 実に面白い!


 「厚みのある白釉の肌はふくよかな格調に満ちてこの杯で味わう酒は神秘そのものである」


 と書いてありました。 


 鉅鹿はどこにあるだろうか。

 

 一度お目にかかりたいものです。

 





2025年2月11日火曜日

鉅鹿のその後

~小山冨士夫の本~


 鉅鹿のことがもっと知りたくて、名古屋のこもれび書房から「世界陶磁全集」を購入。


 鉅鹿の地は、1108年(北宋の時代)に川の氾濫で水没してしまったのですが…

 この際全集のうち「宋」だけでなく「遼・金・元」「明」の3冊を購入しました。


 分厚い古本が3冊届いたので、ざっとページをめくってみましたが…


 鉅鹿がない!


 磁州窯の作品画像はあるものの、鉅鹿手の作品は見当たりませんでした。


 読むのは大変そうなので、じっくり活字を追うのは仕事が一段落してからにしましょうか。


 他に手元にある本も見てみましょう。

 鉅鹿が載っていそうなのは…と。


 ありました!

 昭和38年発行の「盃と徳利(小山冨士夫編)」


 小山さんの書く文章は、つくづく一流だなと思います。


 監査法人を退職後すぐ、名古屋の大須観音前にあった古本屋さんから、「小さな蕾」という雑誌の過去30数年分380冊ほどをまとめて購入しました。


 名古屋にいるうちに一通り読んだのですが、まだまだ勉強不足を痛感します。


 冬はまだ続きそうなので…

 もう一度目を通しましょうか。




2025年2月8日土曜日

鉅鹿

 ~君は一体何者?~


 「陶説」という雑誌を読んでいたら、青柳恵介さんのエッセイが掲載されていました。


 「以前鉅鹿(きょろく)の盃を持っていたが、手放してしまった…手放したことを後悔している」というものでした。


 鉅鹿? 知らない…。


 青柳さんは、鉅鹿は朝鮮陶磁の本歌だといいます。

 鉅鹿を知らずして、朝鮮陶磁は語れない…ということでしょうか。


 俄然興味がわいてきました。


 傍らにある陶磁器関係の本や雑誌をいろいろ調べて見ましたが、鉅鹿は出てきませんでした。


 ならば最後の手段!


 陶器関係の広辞苑ともいうべき、「原色陶器大辞典(加藤唐九郎編)」で調べましょう。

 頁をめくるのは、十年ぶりくらいになります。


 ありました! 鉅鹿。

 

 「鉅鹿の発見は、中国陶磁史を考えるうえでロゼッタ石の発見に相当しよう」


 と、結んでいます。


 なるほど…そうだったのか。勉強不足でした


 原色陶器大辞典によると、鉅鹿と磁州窯とは深い関係にあるようですが、磁州窯で頭に浮かぶ盃がありました。


 確か…「緑青」という雑誌に掲載されていたような…


 手元にある1991年10月発行の「古美術緑青」No4に、「辻清明コレクション 魯山人旧蔵」の鉅鹿の盃が掲載されていました。


 これだ…鉅鹿の盃!

 何度も何度も目を通した盃でした…てっきり磁州窯だとばかり思っていました。


 君は…鉅鹿だったのか!