~「それでもやるしかないだろう」の一言が決め手だった~
元東海会会長で、東海会顧問をされていた幅先生が、5月27日、お亡くなりになりました。今年の2月にはお元気そうなお姿を拝見していただけに、大変ショックです。
幅先生が、東海会副会長・会長等、東海会の要職を歴任されていた頃が、ちょうど私が愛知県会の幹事や広報委員を長年担当していた時期と重なりました。愛知県会の行事に参加しては東海会ニュースにひたすら原稿を書きまくっていた時期です。「君の書く文章は面白いな」といつも幅先生には喜んでいただき、私もそう言っていただくのが楽しみで協会活動をやっていたような気がします。会長を退任されてからも、中日本五会等の懇親会の席で、堂々とご挨拶される幅先生の姿を遠くから眺めながら、いつもかっこいいよなぁと思っていたものでした。
4年前の12月末、突然私に東海会会長就任の話が舞い込んできたのですが、年末年始に秋田でじっくり考えて、最終的にはお引き受けできないと結論付けたのです。お断りする理由は山のようにありました。若すぎるし・・・今でも仕事が忙しすぎるのにこれ以上は・・・手足のしびれや不整脈等の体調不良・・・今は話せない秘密の話し・・・等々。
そして、年明け後に行われた東海会の賀詞交歓会の会場で、鈴木先生や幅先生から東海会会長立候補の話があったのですが、丁重にお断り申し上げたのです。その後しばらく会場をうろうろしていたのですが、再び幅先生と立ち話をする機会がありました。そこで先生が言われたのですね。「君もいろいろ大変だとは思うが、それでも引き受けるしかないんじゃないか。考えてみてくれ」と。この言葉が私の心に重く響き、こうなったら法人業務だろうが協会業務だろうが、とことんやってやろうじゃないのと、東海会会長の重責をお引き受けすることにしたのでした。
その後3年間、何とかここまでたどり着き、私の任期も残り20日間ほどとなりました。無事任期を満了した暁には、幅先生のところに行って
「お引き受けするまでは、ずいぶん迷っていたものですが、幅先生の一言で決心がつきました。おかげさまで3年間、無事乗り切ることができました。いい経験をさせていただきました。」
と、ご報告するつもりでいましたので、とても残念でなりません。
心からご冥福をお祈りしたいと思います。