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2010年7月1日木曜日

退任のご挨拶

~充実した「林住期」最初の3年間でした~


東海会ニュースよりも一足早く、会長退任のご挨拶をさせていただきます。


6月18日に行われました東海会の定期総会が終了し、おかげさまで私も会長の任期を無事満了することができました。3年間は長いのではないかと思っていたのですが、終わってみればあっという間でした。振り返ってみて一番印象に残っているのは、やはり就任時の決断です。


当時の私は、所属監査法人の名古屋事務所長も4年目に突入し、協会活動としては東海会副会長に本部理事、法人のマネジメントと同時に多くの監査クライアントを担当し、某監査法人との統合話に頭を悩ませ、毎日250通前後のメールをこなすという状況で、いつ倒れてもおかしくないという恐怖と闘いながら、精神的にも体力的にも極限状態で毎日を過ごしていたのです。そんな中で突然降ってきたのが、東海会会長を引き受けくれという話でした。
私にとってはもったいないくらいのお話でしたが、性格的に引き受けてしまった以上はとことん頑張ってしまうし、手足のしびれ等体調もかなり悪い状態でしたので、自分では残念ながらお断りしたほうがいいのではないかと結論付けていました。ただ、研究大会には未練がありましたが。
しばらくは頭の中がモヤモヤしていたのですが、その後鈴木正男先生や幅勇雪先生のアドバイスもあり、また所属法人の名古屋事務所長も代わっていただけるということでしたので、風向きが変わってきました。私はもともと50歳になったら、仏教でいうところの「林住期」ということで、この先の人生は自分の好きなことをやって過ごそうと考えていましたので、むしろ東海会の会長という業務を楽しんでしまおうと考えることにしたのです。また、12年ぶりに名古屋で開催される全国研究大会を、過去のしきたりにこだわることなく、自分なりのオリジナリティをもってやってみたいという思いもありましたので、無謀だとは思いながらも東海会会長をお引き受けすることにしたのでした。心情的にはマラソンを走り終えた後で、続けざまに駅伝一区を走るようなものでしたが、これが私にとっては大変な幸運でした。


さっそく研究大会のポスターにはこだわり続けて強行突破し、またその年の12月にはテレビドラマ「監査法人」制作の話がありました。通常業務をこなしながらも年明けからは本格的にドラマのシナリオのチェックやストーリー展開・制作等の打ち合わせを、研究大会の準備と同時並行的に半年ほど行い、研究大会の開催中にドラマのストーリーがピークをむかえるという最高の展開となったのですね。もちろん全国研究大会の開催は、私にとっては大変達成感のある仕事でした。特に前夜祭の盛り上がりは印象的で、研究大会の成功を確信した瞬間だったと思います。


それから、私のブログである「越麻呂日記」。途中でかなり脱線しましたが、思いのままに書かせていただきました。川柳は目標通り300本を達成。原稿のほうは、当初は週一本で合計150本を目指していたのですが、途中なかなか時間がなく、書きたいことはたくさんあったのですが、原稿にしたのは130本くらいでしょうか。これで肩書きが取れましたので、これからは肩の力を抜いて、もっと自由な立場で書くことができると思います。何しろ「ペンは武より強い!」のですから。


この3年間は、「魅力ある東海会創り」を私のオリジナルテーマとして活動してきました。この間、役員の皆さま方、ならびに各委員会の委員の皆さま方におかれましては、ボランティアにもかかわらず活発に活動していただきましてありがとうございました。また、事務局の皆さま方にも大変お世話になりました。ありがとうございました。個々の委員会の活動につきましては、紙面の関係で詳しくご紹介することはできませんが、大変活発に活動されておりました。特にハロー会計につきましては、全国的にも特筆するに値すると思います。お疲れ様でした。


今後、会計士業界が取り組んでいかなければならない課題はたくさんあると思います。名古屋における全国研究大会のテーマが、「夢!魅力ある公認会計士」でした。この業界の将来を、公認会計士一人ひとりが真剣に考えていかなければならない、ある面過渡期に来ているのではないかと思っています。自信を持って魅力ある業界であるということができるよう、微力ながらできるところから行動していくつもりです。


今は任期を無事満了することができてホッとしているところですが、東海会会長を引き受けさせていただきまして、本当にいい経験をしたと思っています。おかげさまで充実した日々を過ごすことができました。また、皆さま方にもいろいろご協力いただきまして、大変感謝いたしております。途中で、山田洋久副会長がお亡くなりになったり、私の母親が他界したりでつらい時期もありましたが、何とかゴールまでたどり着くことができました。退任後は顧問だと言われてもピンとこないし、ましてや長寿会はまだまだ先の話です。これまでは、自分のため、法人のため、業界のためと頑張ってきました。時間はまだたくさんあります。社会のためというには年齢的にまだ早いかもしれませんが、これからは、この3年間の経験を生かして、さらにもっといろんな方面で幅広く活動できればいいなと考えているのです。


3年間、いろいろありがとうございました。


2010年6月10日木曜日

公認会計士の将来を考える

~「夢!魅力ある公認会計士」と自信を持って言えるか~


私の東海会会長としての「越麻呂日記」も、残りわずかとなってきました。かなり抑えたとはいえ、比較的書きたいことを書いてきたので、本来であればこの日記もいつ終焉を迎えてもおかしくなかったのですが、幸い「越麻呂日記」は面白いと言ってくださった先生もいらっしゃったので、何とかここまで持ちこたえることができたのです。感謝!


最近よく考えるのが、2年前に名古屋行われた研究大会のテーマ「夢!魅力ある公認会計士」のことです。私にとっては非常に思い入れのあるテーマで、公認会計士という職業ほど面白い職業はないと、真剣に考えて選択したテーマでした。この業界の明るい将来が限りなく続くものと確信を持っていたのですね。
研究大会における奥田元経団連会長の記念講演の冒頭で、私が挨拶した原稿には、このようなことが書かれていました。


「・・・テーマは、夢!魅力ある公認会計士とさせていただきました・・・公認会計士の業務はこんなに魅力がありますよ!また、達成感や満足感を得られて、充実感を味わうことができますね!あるいは、いろいろな仕事ができて楽しいですよね!ということを、特に若い会計士にアピールしたいと考えて、このようなテーマにいたしました。・・・仕事のおもしろさとか業務の多様性、あるいは将来の可能性という面では、大変魅力的な業界だと思っておりまして、将来に夢を持っていただきたいという思いを、このテーマにこめさせていただきました・・・」、と。


確かにその後、公認会計士の業務は、内部統制の監査が加わり、公会計の分野でも広がりを見せ、国際会計基準の採用へと向かって進んでいます。新しい分野へチャレンジするごとに、会計のプロとしての知的好奇心を刺激してくれています。以前に比べて公認会計士という職業や監査法人の行っている業務も注目されるようになってきました。

おかげさまで、公認会計士を目指す人が増えてきたのは大変望ましいことなのですが、その一方でここ2~3年、試験合格者が一気に増えたため、就職問題や実務補習所の運営等新たな課題も浮き彫りになってきています。「公認会計士制度に関する懇談会」でいろいろ議論されているようですが、この業界のことを本当に理解していただいたうえで、将来に明るい展望が開けるような結論に導いていただけるよう、期待したいと思います。


先日、名古屋のある大学から講演依頼があり、9月にお話をすることになっているのですが、とりあえずテーマを決めてくれと頼まれました。もちろん「公認会計士の魅力について」とお答えしておいたのは言うまでもありません。


2010年6月2日水曜日

経済的便益とは?

~日本語が植民地化される「脅威」を認識して評価して除去しよう~


 「お~い!そこのコンダラ、こっちへ持ってこい」

野球場での練習風景です。どうやら、先輩が後輩に命じているらしいのですが、言われた後輩のそばには、グラウンドを固めるためのローラーがそばにあるだけです。コンダラ???「あの~、コンダラって何っすか?」と、後輩。「だから、お前のそばに置いてあるコンダラだよ」


最近、地下鉄での通勤時に「梶原一騎伝 夕焼けを見ていた男」を読んでいるのですが、 子供のとき、ちょうどカラーテレビが出始めた頃に、スポ根漫画「巨人の星」が放映されていたのを思い出します。

「♪思い込んだら 試練の道を♪」

という歌詞がうたわれている画面の中で、主人公の星飛雄馬が、いかにも重そうなローラーを、汗をかきながら苦しい表情で引いている場面が映し出されるのですが、その姿を眼の中に焼き付けられている方も多いと思います。その先輩は、その歌を聴きながら「思い込んだら」を「重いコンダラ」と取り違えてしまったのですね。

私などは、エイトマンの歌詞の中にある

「♪行こう 無限の 地平線♪」

と歌っているところの歌詞の意味がわからず、「ユコームゲン」っていったい何の意味だろうと、かなり後年になるまでわからないままでした。昔は、今みたいにやたらとテレビの下に、日本語の字幕が出ることはなかったのです。

「♪夕焼けこやけの赤とんぼ おわれてみたのは いつの日か♪」

「おわれて」も、狼かクマにでも追われたのだろうかと、しばらくわからなかったのですが、おそらく「背負われて」「おんぶされて」の「おわれて」ですよね・・・たぶん・・・自信ないけど。
私の友人の中には「順風満帆」をいまだに「じゅんぷうまんぷう」と言っている方もいます。バブルをバルブと言っている方も・・・。


IFRSの勉強をしていると、収益の認識のところで必ず出てくるのがいわゆるひとつの「経済的便益」というやつです。「経済的」は日常会話でもよく使うので、比較的なじみがあるのですが、「便益」というのは、なかなかなじみのない言葉ですね。ちなみに新明解国語辞典で調べてみると「それを使うことが自分にとって便利であり、かつ利益がある様子」と書いてあります。なるほと、確かにその通り。でも使わないよなぁ、この言葉。経営財務によると、IFRS適用第一号となった会社も、収益の認識基準を、出荷基準から着荷基準へと変えたそうですが、その変更理由にもこの「経済的便益」という用語が出てきます。そのうち「便益」が新聞や雑誌に氾濫するのだろうか。便益便益便益便益・・・


先日JICPAジャーナルのIFRSに関する記事を読んでいたら、金融商品会計に関するところで、とうとう出てきました。「まれでない回数の売却」が売却目的とみなされて・・・。「まれでない回数」とは一体どういう回数なのだろう。頻繁とは違うのだろうか。「頻繁ではないけれども少なくはない」といったニュアンスなのだろうか。ちなみにこちらも新明解国語辞典で調べたのですが、「まれ(めったになくて、珍しい様子)」は載っているのですが、「まれでない」はありませんでした。「まれ+でない(つまり否定・・・英語で書いてもDeny・・・デナイ・・・なんちゃって)」と解釈すればいいのだろうか。う~ん!よくわからん。


この3年間、実務補習所で「職業倫理」を教えてきたのですが、「脅威を認識した場合、評価して除去するか許容可能な水準まで軽減しなければならない」というようなことがレジュメに書かれていたため、いわゆる翻訳して説明しました。はたして聞いている補習生は、すんなり頭に入っただろうか?


私は日本語が好きなので、本や雑誌を読んでいるときに、よくわからない言葉が出てくると、頭の中が整理できずに途中でつかえて、先に進めなくなってしまいます。こんな日本語が世間にあふれ出てきたら、私は発狂するかもしれません。その前に、早く秋田の田舎に引っ込んだほうがいいのだろうかと真剣に考えてしまいます。それとも、慣れて乗り切るしかないのでしょうか。生活もかかっているし。


先週の日曜日、日本酒を飲もうと刺身を何種類かスーパーから買ってきて、部屋の中に飾ってある高麗時代の鉢に盛るつもりで手にしたところ、カミサンに「それ、オキッパだから、しっかり洗ってね」と言われてしまったのですね。この場合の「オキッパ」は、もちろん置きっぱなしのことです。「オキッパ」くらいだったら、苦笑いするだけですませられるのですが。


戦中、日本国民は、今でいうところの「カレーライス」を、「からし入り汁かけめし」と言っていたそうです。野球でも「ストライク」は「いい球」と。日本酒は米ジュース・・・というのはウソですけど。


2010年6月1日火曜日

東海会顧問 幅先生が永眠されました

~「それでもやるしかないだろう」の一言が決め手だった~


 元東海会会長で、東海会顧問をされていた幅先生が、5月27日、お亡くなりになりました。今年の2月にはお元気そうなお姿を拝見していただけに、大変ショックです。

 幅先生が、東海会副会長・会長等、東海会の要職を歴任されていた頃が、ちょうど私が愛知県会の幹事や広報委員を長年担当していた時期と重なりました。愛知県会の行事に参加しては東海会ニュースにひたすら原稿を書きまくっていた時期です。「君の書く文章は面白いな」といつも幅先生には喜んでいただき、私もそう言っていただくのが楽しみで協会活動をやっていたような気がします。会長を退任されてからも、中日本五会等の懇親会の席で、堂々とご挨拶される幅先生の姿を遠くから眺めながら、いつもかっこいいよなぁと思っていたものでした。

 
 4年前の12月末、突然私に東海会会長就任の話が舞い込んできたのですが、年末年始に秋田でじっくり考えて、最終的にはお引き受けできないと結論付けたのです。お断りする理由は山のようにありました。若すぎるし・・・今でも仕事が忙しすぎるのにこれ以上は・・・手足のしびれや不整脈等の体調不良・・・今は話せない秘密の話し・・・等々。


 そして、年明け後に行われた東海会の賀詞交歓会の会場で、鈴木先生や幅先生から東海会会長立候補の話があったのですが、丁重にお断り申し上げたのです。その後しばらく会場をうろうろしていたのですが、再び幅先生と立ち話をする機会がありました。そこで先生が言われたのですね。「君もいろいろ大変だとは思うが、それでも引き受けるしかないんじゃないか。考えてみてくれ」と。この言葉が私の心に重く響き、こうなったら法人業務だろうが協会業務だろうが、とことんやってやろうじゃないのと、東海会会長の重責をお引き受けすることにしたのでした。


 その後3年間、何とかここまでたどり着き、私の任期も残り20日間ほどとなりました。無事任期を満了した暁には、幅先生のところに行って

「お引き受けするまでは、ずいぶん迷っていたものですが、幅先生の一言で決心がつきました。おかげさまで3年間、無事乗り切ることができました。いい経験をさせていただきました。」
と、ご報告するつもりでいましたので、とても残念でなりません。


 心からご冥福をお祈りしたいと思います。


2010年5月29日土曜日

「人が見たら蛙になれ」と青山二郎は言った

~財務諸表の真贋を見極められるか~


「人が見たら蛙になれ」とは青山二郎さんの言葉です。別冊太陽の「青山二郎の眼」を読んでいたら、そう書かれていました。青山二郎さんが、自分が集めた骨董に対して語った言葉のようですが、はじめは何の事を言っているのかよくわからなかったのです。でも、よくよく読んでみると「いいものは自分が見つけるから、他人が見たら蛙の格好をしていなさいね」と作品(この場合骨董)に語りかけていたということのようです。何という自信にあふれた言葉でしょう。よほど自分の見る目に自信がなければ、このような言葉は出てこないでしょうね。本物を見分けるには厳しい目が要求されるのだ!ということを言われたような気がします。


最近、人間社会でよく見かけるのが、上の人が自分を見たら急に宝石になろうとする人です。目がくもっている人は、それをまともに受け入れてしまい、すぐ「あいつはいいやつだ」と騙されてしまいます。人を見る目のない人や、自分のお気に入りの人だけを差別してかわいがる人には困ったものですが、これが経営者となると最悪です。自分にとって都合の悪いことをいう人は排除し、おとなしく黙っている人たちで周りを固めてしまったら、たしかにやりやすいかもしれませんが、自分が裸の王様になるだけなのに。それに気づかない人がトップに立つと、その組織は崩壊してしまうでしょう。

また、鞄になろうとする人もいます。「上の人を見たら鞄になれ」を信条とする人のなんと多いことか。鞄になるどころか、人間宅急便となって、鞄を持ち運んでしまう人もいるようです。こういう人を「カバン持ち」といいます。あなたの周りにもよくいますね。


世の経営者の中には「会計士が見たら美人になれ」とばかりに、お化粧直しをした財務諸表を作成する人もいるようです。それを見た会計士も、常に職業的懐疑心をもって監査にあたらないと、財務諸表の真贋を見分けることはできないでしょう。骨董の収集家であれば、だれでも贋物をつかんでしまうことはよくあることで、それによって勉強していけば本物を見分ける眼が養われてくるのですが、会計士の監査となると、そんなのんびりしたことは言っていられません。贋物の財務諸表を見分けるだけの「眼」が常に必要です。どこから見ても蛙にしか見えないような監査調書を作成することのないよう、緊張感を持って監査を実施しなければなりません。


27日に行われた地域会会長会議の帰り道、新幹線の中で村田喜代子さんの「人が見たら蛙に化れ」という本を読んでいたのですが、なかなか面白い本でした。会議の今回のアジェンダの一つが「地域会の活動評価について」でしたが、もう3年近く毎回同じテーマが出てくるので、この時ばかりは私も蛙になっていましたが。

2010年5月14日金曜日

東海会の事務局長に渡邉さんが就任

~大倉さん、お疲れ様でした~


東海会事務局長の大倉さんが、3月末で定年退職となりました。引き続き私の任期が終了する6月までは事務局に残ってお手伝いしていただけるのですが、とりあえずは一区切りです。事務局長として約13年間、大変お疲れ様でした。
この間、大倉さんは、パソコンをかたくなに拒否し、ひたすらワープロを打ち続けていたのです。そのワープロも今では交換部品がなくなり、最後まで持つかどうか心配でしたが、残り後1カ月、なんとかがんばってほしいものです。


大倉さんの場合、長谷川元会長の途中から事務局長に就任され、その後3年ごとに、幅先生、小澤先生、前川先生、そして私と5人の会長を支えてこられました。みなさん個性があるので、変わるたびにいろいろ気を遣われたことと思います。またこの間、名古屋での全国研究大会も2回開催されましたし、この業界の浮き沈みもいろいろご経験され、ご苦労も多かったことと思います。ありがとうございました。


大倉さんの後任として、4月から事務局長に就任されたのが、渡邉さんです。私と渡邉さんは同じ年齢ですが、一緒に飲み比べてみたら、私のほうが少しだけお酒が強いようでした(あまり自慢にはなりませんが)。事務局での勤務期間が長いため会務に精通しており、人脈もたっぷしです。どのような活躍をしてくれるか、今後に期待したいと思います。


先日の東海会役員会後に行われた、東海共済会代議員総会において、東海共済会の解散も決議され、この3年間で、東海会における未解決事項はすべて決着。後は1カ月後の総会を無事乗り切れば、私の任期は終了です。そのあとは、東海会の顧問としての役割を果たすことになるのですが、あまり会務に口出しすることなく、東海会の活動を静かに見守っていきたいと考えているのです。「長寿会」への入会を勧められているのですが、まだ53歳だしなぁ、それだけはまだ勘弁していただきたいものです。


私が東海会会長を退いた後、この「越麻呂日記」はいったいどうなってしまうのだろうか?最後のほうは当たり障りのないものになってしまいました。書きたいことはたくさんあったのですが、いろいろ差し障りがありそうだったので・・・。


サラカイセン ~296-300~

296.


297.参院選 政治とスポーツ 混同し


298.ローテーション 定年前に 期限切れ


299.その人を 選んだ人は 貴方です