~財務諸表の真贋を見極められるか~
「人が見たら蛙になれ」とは青山二郎さんの言葉です。別冊太陽の「青山二郎の眼」を読んでいたら、そう書かれていました。青山二郎さんが、自分が集めた骨董に対して語った言葉のようですが、はじめは何の事を言っているのかよくわからなかったのです。でも、よくよく読んでみると「いいものは自分が見つけるから、他人が見たら蛙の格好をしていなさいね」と作品(この場合骨董)に語りかけていたということのようです。何という自信にあふれた言葉でしょう。よほど自分の見る目に自信がなければ、このような言葉は出てこないでしょうね。本物を見分けるには厳しい目が要求されるのだ!ということを言われたような気がします。
最近、人間社会でよく見かけるのが、上の人が自分を見たら急に宝石になろうとする人です。目がくもっている人は、それをまともに受け入れてしまい、すぐ「あいつはいいやつだ」と騙されてしまいます。人を見る目のない人や、自分のお気に入りの人だけを差別してかわいがる人には困ったものですが、これが経営者となると最悪です。自分にとって都合の悪いことをいう人は排除し、おとなしく黙っている人たちで周りを固めてしまったら、たしかにやりやすいかもしれませんが、自分が裸の王様になるだけなのに。それに気づかない人がトップに立つと、その組織は崩壊してしまうでしょう。
また、鞄になろうとする人もいます。「上の人を見たら鞄になれ」を信条とする人のなんと多いことか。鞄になるどころか、人間宅急便となって、鞄を持ち運んでしまう人もいるようです。こういう人を「カバン持ち」といいます。あなたの周りにもよくいますね。
世の経営者の中には「会計士が見たら美人になれ」とばかりに、お化粧直しをした財務諸表を作成する人もいるようです。それを見た会計士も、常に職業的懐疑心をもって監査にあたらないと、財務諸表の真贋を見分けることはできないでしょう。骨董の収集家であれば、だれでも贋物をつかんでしまうことはよくあることで、それによって勉強していけば本物を見分ける眼が養われてくるのですが、会計士の監査となると、そんなのんびりしたことは言っていられません。贋物の財務諸表を見分けるだけの「眼」が常に必要です。どこから見ても蛙にしか見えないような監査調書を作成することのないよう、緊張感を持って監査を実施しなければなりません。
27日に行われた地域会会長会議の帰り道、新幹線の中で村田喜代子さんの「人が見たら蛙に化れ」という本を読んでいたのですが、なかなか面白い本でした。会議の今回のアジェンダの一つが「地域会の活動評価について」でしたが、もう3年近く毎回同じテーマが出てくるので、この時ばかりは私も蛙になっていましたが。
2010年5月29日土曜日
2010年5月14日金曜日
東海会の事務局長に渡邉さんが就任
~大倉さん、お疲れ様でした~
東海会事務局長の大倉さんが、3月末で定年退職となりました。引き続き私の任期が終了する6月までは事務局に残ってお手伝いしていただけるのですが、とりあえずは一区切りです。事務局長として約13年間、大変お疲れ様でした。
この間、大倉さんは、パソコンをかたくなに拒否し、ひたすらワープロを打ち続けていたのです。そのワープロも今では交換部品がなくなり、最後まで持つかどうか心配でしたが、残り後1カ月、なんとかがんばってほしいものです。
大倉さんの場合、長谷川元会長の途中から事務局長に就任され、その後3年ごとに、幅先生、小澤先生、前川先生、そして私と5人の会長を支えてこられました。みなさん個性があるので、変わるたびにいろいろ気を遣われたことと思います。またこの間、名古屋での全国研究大会も2回開催されましたし、この業界の浮き沈みもいろいろご経験され、ご苦労も多かったことと思います。ありがとうございました。
大倉さんの後任として、4月から事務局長に就任されたのが、渡邉さんです。私と渡邉さんは同じ年齢ですが、一緒に飲み比べてみたら、私のほうが少しだけお酒が強いようでした(あまり自慢にはなりませんが)。事務局での勤務期間が長いため会務に精通しており、人脈もたっぷしです。どのような活躍をしてくれるか、今後に期待したいと思います。
先日の東海会役員会後に行われた、東海共済会代議員総会において、東海共済会の解散も決議され、この3年間で、東海会における未解決事項はすべて決着。後は1カ月後の総会を無事乗り切れば、私の任期は終了です。そのあとは、東海会の顧問としての役割を果たすことになるのですが、あまり会務に口出しすることなく、東海会の活動を静かに見守っていきたいと考えているのです。「長寿会」への入会を勧められているのですが、まだ53歳だしなぁ、それだけはまだ勘弁していただきたいものです。
私が東海会会長を退いた後、この「越麻呂日記」はいったいどうなってしまうのだろうか?最後のほうは当たり障りのないものになってしまいました。書きたいことはたくさんあったのですが、いろいろ差し障りがありそうだったので・・・。
東海会事務局長の大倉さんが、3月末で定年退職となりました。引き続き私の任期が終了する6月までは事務局に残ってお手伝いしていただけるのですが、とりあえずは一区切りです。事務局長として約13年間、大変お疲れ様でした。
この間、大倉さんは、パソコンをかたくなに拒否し、ひたすらワープロを打ち続けていたのです。そのワープロも今では交換部品がなくなり、最後まで持つかどうか心配でしたが、残り後1カ月、なんとかがんばってほしいものです。
大倉さんの場合、長谷川元会長の途中から事務局長に就任され、その後3年ごとに、幅先生、小澤先生、前川先生、そして私と5人の会長を支えてこられました。みなさん個性があるので、変わるたびにいろいろ気を遣われたことと思います。またこの間、名古屋での全国研究大会も2回開催されましたし、この業界の浮き沈みもいろいろご経験され、ご苦労も多かったことと思います。ありがとうございました。
大倉さんの後任として、4月から事務局長に就任されたのが、渡邉さんです。私と渡邉さんは同じ年齢ですが、一緒に飲み比べてみたら、私のほうが少しだけお酒が強いようでした(あまり自慢にはなりませんが)。事務局での勤務期間が長いため会務に精通しており、人脈もたっぷしです。どのような活躍をしてくれるか、今後に期待したいと思います。
先日の東海会役員会後に行われた、東海共済会代議員総会において、東海共済会の解散も決議され、この3年間で、東海会における未解決事項はすべて決着。後は1カ月後の総会を無事乗り切れば、私の任期は終了です。そのあとは、東海会の顧問としての役割を果たすことになるのですが、あまり会務に口出しすることなく、東海会の活動を静かに見守っていきたいと考えているのです。「長寿会」への入会を勧められているのですが、まだ53歳だしなぁ、それだけはまだ勘弁していただきたいものです。
私が東海会会長を退いた後、この「越麻呂日記」はいったいどうなってしまうのだろうか?最後のほうは当たり障りのないものになってしまいました。書きたいことはたくさんあったのですが、いろいろ差し障りがありそうだったので・・・。
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徒然
2010年4月7日水曜日
マイ盃のブームなのだ
~「マイ箸」があるなら「マイ盃」があってもいいではないか~
先日の新聞に、子供たちが間伐材を利用して、「マイ箸」作りに励んでいる姿が写真で紹介されていました。会計士協会の増田本部会長が「マイ箸」を持ち歩いているということは、知る人ぞ知る、知らない人は知らない、有名な?話ですが、私の場合は「マイ盃」なのです。自分のお好みのものを持ち歩くというのは、なかなかこだわりがあっていいではないですか。
日経新聞の2月の「私の履歴書」は、細川護熙元総理大臣が執筆されていましたが、その中に、細川さんがある陶芸家のもとに弟子入りする話が出てきます。その陶芸家は辻村史朗さんというのですが、先日その辻村さんが制作した志野の盃をいただくことができました。本当は桃山時代か江戸初期の志野の盃を手に入れたいのですが、それははかない夢。仮に目の前にあったとしても、高価すぎておそらく手が出ないでしょう。骨董を収集するようになってからは、現代ものにはあまり興味がなくなっていたのですが、志野の盃に関しては当面は現代ものでしのぐしかないのです。
たとえ現代ものでも、使っているうちに酒を吸い込んで、とろとろに変化していくのを期待したいのですが、なにしろ自宅で日本酒を飲む機会は限られているので、膨大な時間が必要です。こうなったら少しでも多く酒を飲ませる機会を増やすために、毎日持ち歩くしかないではありませんか。また、一日も早くとろとろ化させたいので、邪道ではありますが、夜自宅に帰ってから朝出かけるまで、その盃を日本酒の入った器の中に漬けこんでいるのです。私の行動は異常だろうか?
本来であれば、紅茶で煮詰めるとか、土の中に埋め込むとかすれば、もっと骨董品らしく見えるのかもしれませんが、私は悪徳骨董業者ではないし、そもそもそんな事をすれば酒の味が落ちてしまうので、自然体で(どこが?)いくことにするのです。何ヶ月かして盃に変化あったら、またご報告したいと思います。
先日、骨董市に行くついでに、美濃にある美術館と、瀬戸の陶磁資料館をはしごしてみてきたのですが、志野の焼き物は感動モノでしたね。また、桃山時代の陶片に触ることができただけでも大満足でした。
会計士協会のHPにはあまり関係のない話かもしれませんが、監査も自分なりのこだわりと創意工夫を持ってやっていただけたらと思います。
先日の新聞に、子供たちが間伐材を利用して、「マイ箸」作りに励んでいる姿が写真で紹介されていました。会計士協会の増田本部会長が「マイ箸」を持ち歩いているということは、知る人ぞ知る、知らない人は知らない、有名な?話ですが、私の場合は「マイ盃」なのです。自分のお好みのものを持ち歩くというのは、なかなかこだわりがあっていいではないですか。
日経新聞の2月の「私の履歴書」は、細川護熙元総理大臣が執筆されていましたが、その中に、細川さんがある陶芸家のもとに弟子入りする話が出てきます。その陶芸家は辻村史朗さんというのですが、先日その辻村さんが制作した志野の盃をいただくことができました。本当は桃山時代か江戸初期の志野の盃を手に入れたいのですが、それははかない夢。仮に目の前にあったとしても、高価すぎておそらく手が出ないでしょう。骨董を収集するようになってからは、現代ものにはあまり興味がなくなっていたのですが、志野の盃に関しては当面は現代ものでしのぐしかないのです。
たとえ現代ものでも、使っているうちに酒を吸い込んで、とろとろに変化していくのを期待したいのですが、なにしろ自宅で日本酒を飲む機会は限られているので、膨大な時間が必要です。こうなったら少しでも多く酒を飲ませる機会を増やすために、毎日持ち歩くしかないではありませんか。また、一日も早くとろとろ化させたいので、邪道ではありますが、夜自宅に帰ってから朝出かけるまで、その盃を日本酒の入った器の中に漬けこんでいるのです。私の行動は異常だろうか?
本来であれば、紅茶で煮詰めるとか、土の中に埋め込むとかすれば、もっと骨董品らしく見えるのかもしれませんが、私は悪徳骨董業者ではないし、そもそもそんな事をすれば酒の味が落ちてしまうので、自然体で(どこが?)いくことにするのです。何ヶ月かして盃に変化あったら、またご報告したいと思います。
先日、骨董市に行くついでに、美濃にある美術館と、瀬戸の陶磁資料館をはしごしてみてきたのですが、志野の焼き物は感動モノでしたね。また、桃山時代の陶片に触ることができただけでも大満足でした。
会計士協会のHPにはあまり関係のない話かもしれませんが、監査も自分なりのこだわりと創意工夫を持ってやっていただけたらと思います。
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骨董
サラカイセン ~292-295~
292.数年後 あなたも私も 除去債務
293.大学の 代返国会 よりはまし
294.子供手当 いずれ自分の つけとなる
295.報酬を 開示できない もどかしさ
293.大学の 代返国会 よりはまし
294.子供手当 いずれ自分の つけとなる
295.報酬を 開示できない もどかしさ
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川柳
2010年4月6日火曜日
人事の季節
~運命は自分で切り開くものと思っていたが~
年明けに、五木寛之の「人間の運命」を読んだのですが、重苦しい本でした。高校2年の夏に親友を海で亡くしてからは、目に見えない何がしかのものは信用できなくなると同時に、運命というものは「自分で切り開くもの」と思い続けてきました。大学受験もそうでしたし、音楽の道に挫折して公認会計士試験を目指したときも「自分で切り開いた」つもりでした。その私がなんとなく「運命」みたいなのものを、このところ感じるようになったのですね。ここ7~8年の出来事が、あたかも目に見えない何がしかのものに導かれるように行動していたのではないかと・・・。
☆以下、私小説
健司45歳の時の3月に、当時所属していたエスペランサ監査法人に、代表社員の枠が2つできたらしいのです。普通こういった人事というものは、事務所を統括する人が人知れず打ち合わせをして決めるものだと思うのですが、その時は小野寺代表社員が健司ら社員を集めて
小野寺:「君たちの中から代表社員を決めなければならなくなった」
というのですね。仕事には自信があった健司ですが、年齢的にも経験的にも後輩である健司は自ら辞退を申し入れたのです。健司は東北出身でしたが、東北人というのはこういう時に控えめだからだめなのですね。小野寺は、
小野寺:「一晩考えさせてくれ」
というセリフを残し、その日の打ち合わせは終了したのでした。
翌日の朝、健司は小野寺代表社員に呼び出されて説明を受けました。
小野寺:「君は仕事はよくやってくれているし、事務所に対する貢献は申し分ないが、年功だから今回は我慢してくれ」
健司:「ねっ、年功ですか?」
この「年功だから」という小野寺の言葉が健司の頭の中からしばく離れず、その後、成果主義が企業の中で一般的になってきたときに、健司は人事関係の本をひたすら読み漁ることになるのですが、それはさておき、「年功」のおかげでその年における、健司の代表社員への推薦はなくなったかに思えました。
なんとなくすっきりしない気持で過ごしていた健司ですが、2週間ほどたったある日、副理事長の篠原専務理事から直接電話がかかってきたのです。
篠原:「どうして君が推薦されなかったのだ」
健司:「年功だそうです。それに自分から辞退しました」
以下もっと書きたいけれど省略(いつか機会があったら)
その後さらに一カ月くらいたったある日、再び篠原専務理事から電話がありました。
篠原:「君を代表社員に推薦することになった」
健司:「えっ!本当ですか?いったいどういうことなんですか?」
こうして健司は、土壇場のタイミングで代表社員に滑り込むことになったのでした。
この時、OZさんが電話で言葉をかけてくれなかったら、私が事務所長になることはなかったでしょうし、カネボウ事件を契機にみすず監査法人が清算に追い込まれる過程で、名古屋事務所が人員・クライアントともスムーズにそのまま統合することもなかったでしょうし、ましてやその後、私が東海会会長になることもなかったでしょう。このブログもなかったし、テレビドラマ「監査法人」の内容も別なものになっていたにちがいありません。映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではありませんが、私自身まったく別の人生を歩んでいたと思われますし、結果的にいろんなところに影響を与えることにもなったのでしょう。
そう考えた時、OZさんの一言から一本の線に導かれるように、その後のいろんな出来事が結び付いて、きれいにつながっていったような気がするのです。これからの人生、どうなるかはわかりませんが、これが運命というものだったのかも・・・。
気のせいかもしれませんが、年をとったせいか、そんな気がするのですよ。
年明けに、五木寛之の「人間の運命」を読んだのですが、重苦しい本でした。高校2年の夏に親友を海で亡くしてからは、目に見えない何がしかのものは信用できなくなると同時に、運命というものは「自分で切り開くもの」と思い続けてきました。大学受験もそうでしたし、音楽の道に挫折して公認会計士試験を目指したときも「自分で切り開いた」つもりでした。その私がなんとなく「運命」みたいなのものを、このところ感じるようになったのですね。ここ7~8年の出来事が、あたかも目に見えない何がしかのものに導かれるように行動していたのではないかと・・・。
☆以下、私小説
健司45歳の時の3月に、当時所属していたエスペランサ監査法人に、代表社員の枠が2つできたらしいのです。普通こういった人事というものは、事務所を統括する人が人知れず打ち合わせをして決めるものだと思うのですが、その時は小野寺代表社員が健司ら社員を集めて
小野寺:「君たちの中から代表社員を決めなければならなくなった」
というのですね。仕事には自信があった健司ですが、年齢的にも経験的にも後輩である健司は自ら辞退を申し入れたのです。健司は東北出身でしたが、東北人というのはこういう時に控えめだからだめなのですね。小野寺は、
小野寺:「一晩考えさせてくれ」
というセリフを残し、その日の打ち合わせは終了したのでした。
翌日の朝、健司は小野寺代表社員に呼び出されて説明を受けました。
小野寺:「君は仕事はよくやってくれているし、事務所に対する貢献は申し分ないが、年功だから今回は我慢してくれ」
健司:「ねっ、年功ですか?」
この「年功だから」という小野寺の言葉が健司の頭の中からしばく離れず、その後、成果主義が企業の中で一般的になってきたときに、健司は人事関係の本をひたすら読み漁ることになるのですが、それはさておき、「年功」のおかげでその年における、健司の代表社員への推薦はなくなったかに思えました。
なんとなくすっきりしない気持で過ごしていた健司ですが、2週間ほどたったある日、副理事長の篠原専務理事から直接電話がかかってきたのです。
篠原:「どうして君が推薦されなかったのだ」
健司:「年功だそうです。それに自分から辞退しました」
以下もっと書きたいけれど省略(いつか機会があったら)
その後さらに一カ月くらいたったある日、再び篠原専務理事から電話がありました。
篠原:「君を代表社員に推薦することになった」
健司:「えっ!本当ですか?いったいどういうことなんですか?」
こうして健司は、土壇場のタイミングで代表社員に滑り込むことになったのでした。
この時、OZさんが電話で言葉をかけてくれなかったら、私が事務所長になることはなかったでしょうし、カネボウ事件を契機にみすず監査法人が清算に追い込まれる過程で、名古屋事務所が人員・クライアントともスムーズにそのまま統合することもなかったでしょうし、ましてやその後、私が東海会会長になることもなかったでしょう。このブログもなかったし、テレビドラマ「監査法人」の内容も別なものになっていたにちがいありません。映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではありませんが、私自身まったく別の人生を歩んでいたと思われますし、結果的にいろんなところに影響を与えることにもなったのでしょう。
そう考えた時、OZさんの一言から一本の線に導かれるように、その後のいろんな出来事が結び付いて、きれいにつながっていったような気がするのです。これからの人生、どうなるかはわかりませんが、これが運命というものだったのかも・・・。
気のせいかもしれませんが、年をとったせいか、そんな気がするのですよ。
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徒然
2010年4月1日木曜日
サラカイセン ~286-291~
286.限度額 引き上げられても 金はなし
287.その発言 末代までの 恥となる
289.この国は 言った言わぬの レベルかな
290.熱冷めて 破談が続く 産業界
291.そのしこな そろそろなんとか してあげて
287.その発言 末代までの 恥となる
289.この国は 言った言わぬの レベルかな
290.熱冷めて 破談が続く 産業界
291.そのしこな そろそろなんとか してあげて
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川柳
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