2009年6月25日木曜日
先週もなかなかすさまじい日程だった
本来であれば今頃の時期になると、有価証券報告書のチェックも一段落し、緊張感から解放され、つかの間の休息を取ることも可能になります。
なのになのに・・・私の先週の日程もすごかったなぁ。
通常の業務以外にも月曜日の午後からは、全国の実務補習所委員長会議が名古屋で開催され、東海実務補習所の所長となっている私は主催者側として参加、終了後懇親会。火曜日は税務業務委員会会議と懇親会。水曜日は地域会会長打ち合わせ会と地域会会長会議が東京で行われ、東海会のほうは広報委員会と懇親会。木曜日は午前中、中部経済新聞社の取材を受け、午後からは名古屋税理士会の総会に招待。金曜日は東海会の部長委員長会議に研修事業委員会と懇親会といった状況でした。
東海会の総会が終わってすぐに、各委員会がさっそく活動を行ってくれているので、私としても大変満足です。基本的には、各委員会にはなるべく出席するようにしているのですが、仕事が重なってしまうケースがあるため、出席できるのは半分くらいでしょうか。
名古屋税理士会の総会には、河村市長がご挨拶されたのですが、名古屋弁丸出しで減税をPRしていました。久野会長も2年任期を3期勤められたそうですが、今回は会長をご退任され、小川新会長が引き継ぐことになりました。久野会長、大変お疲れ様でした。会計士協会としても、できれば税理士会とはあまり波風立てることなく、仲良くやっていければいいと思っています。
中部経済新聞社の取材も今回で3回目ですが、7月6日の公認会計士の日の記事になります。今回も写真をバシャバシャとかなり撮られたのですが、最近床屋にいっている時間がなかなか取れず、髪の毛が伸び放題となっているので、むさくるしい頭の状態で新聞に載ってしまうのだろうなぁ。もう2ヶ月ほど伸ばすと、吉田拓郎のデビュー当時の髪型になりそうな勢いなのですが、伸ばしたくてもそのうち物理的に伸ばせなくなってしまう可能性もあるため、伸ばすなら今のうちなのだ。
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徒然
2009年6月21日日曜日
九平次に出会った
~偶然に偶然が重なった奇跡なのだ~
先日、東京事務所の友人から、「名古屋に【九平次】というおいしいお酒があると雑誌に出ていましたよ」という、うれしい連絡をいただいたのです。【九平次】というのはもちろん杜氏さんの名前なのでしょう。挑戦的な名前がなかなか気に入りました。杜氏さんの名前そのものを日本酒の銘柄にしているケースはけっこうあるようで、例えば私の故郷の秋田にも、能代の酒で【喜三郎の酒】という銘柄があります。自分の名前を銘柄にするくらいですので、よほど自信があるのでしょう。「どうだ!」という杜氏さんの意気込みが感じられますね。
私の名前は「かおる」というのですが、あまり日本酒の銘柄に似合う名前ではないようです。確かにいい香りはしそうですが、なんとなく日本酒の持つ力強さに欠けてしまいます。芳香剤の名前に使えるくらいでしょうか。
「かおる」で思い出すのが、私が心から敬愛するギタリスト、石川鷹彦さんが愛用している「カオルギター」です。このギターは順番待ち状態で、数年以上待たないと出来上がってこないと聞いています。今から頼んでも、出来上がってくる頃には私の指も動かなくなっている可能性もあるため、注文は断念しています。でも私には「ヤイリギター」のゴッド・ハンド、小池健司さんがついているので、それでいいのだ。
また、「カオリン」という名称も使えそうですが、これは陶磁器の原料だそうです。私の所有している高麗・李朝時代の骨董品もカオリンでできていると思うと、なんとなく愛着が湧いてきます。
この地域の日本酒については、東海会事務局の渡辺さんが詳しいので、早速【九平次】というという銘柄のお酒を知っているかどうか聞いてみたのですが、これはもう当然のごとく知っていて、緑区大高町にある酒蔵で作られていることや、このお酒が置いてある店もすらすら出てくるので、驚いてしまいました。いつかこのお酒を飲んでみたいと思いながら、東海会を後にしたのです。
その日はたまたま早く帰ることができたので、帰りに骨董屋さんの前を通ったのですが、ちょうど閉店前10分でしたので、ちょっと顔を出してみることにして、店の中に入っていきました。するといきなり店の人が「越山さん、いいところに来た。いいお酒が手に入ったんだわ」というのですね。「えっ、なんというお酒ですか」と覗いてみたら、
ぬわんということでしょう。
【九平次】ではありませんか。しかも私にくださるという。「本当にいただいちゃっていいんですか」と念押ししたのですが、「私にはこちらがありますので」といって一升瓶の【九平次】が出てきました。「これだと家まで持ち帰るのは大変でしょうから」といって、私に4合瓶を渡してくれたのです。「日本酒のためなら一升瓶でも持って帰れます」と言いたかったところですが、そこはぐっと我慢して、ありがたくいただいて家へ帰ったのでした。
冷蔵庫で冷やした後、さっそく翌日お気に入りの李朝初期の徳利と、これも李朝初期の三島の盃でいただいたのですが、まさしく至福の時間を過ごすことができました。うまかったなぁ。手に入る店を教えてもらったので、今度は自分で注文して溜め込んでおくことにしようと思っているのです。
先日、東京事務所の友人から、「名古屋に【九平次】というおいしいお酒があると雑誌に出ていましたよ」という、うれしい連絡をいただいたのです。【九平次】というのはもちろん杜氏さんの名前なのでしょう。挑戦的な名前がなかなか気に入りました。杜氏さんの名前そのものを日本酒の銘柄にしているケースはけっこうあるようで、例えば私の故郷の秋田にも、能代の酒で【喜三郎の酒】という銘柄があります。自分の名前を銘柄にするくらいですので、よほど自信があるのでしょう。「どうだ!」という杜氏さんの意気込みが感じられますね。
私の名前は「かおる」というのですが、あまり日本酒の銘柄に似合う名前ではないようです。確かにいい香りはしそうですが、なんとなく日本酒の持つ力強さに欠けてしまいます。芳香剤の名前に使えるくらいでしょうか。
「かおる」で思い出すのが、私が心から敬愛するギタリスト、石川鷹彦さんが愛用している「カオルギター」です。このギターは順番待ち状態で、数年以上待たないと出来上がってこないと聞いています。今から頼んでも、出来上がってくる頃には私の指も動かなくなっている可能性もあるため、注文は断念しています。でも私には「ヤイリギター」のゴッド・ハンド、小池健司さんがついているので、それでいいのだ。
また、「カオリン」という名称も使えそうですが、これは陶磁器の原料だそうです。私の所有している高麗・李朝時代の骨董品もカオリンでできていると思うと、なんとなく愛着が湧いてきます。
この地域の日本酒については、東海会事務局の渡辺さんが詳しいので、早速【九平次】というという銘柄のお酒を知っているかどうか聞いてみたのですが、これはもう当然のごとく知っていて、緑区大高町にある酒蔵で作られていることや、このお酒が置いてある店もすらすら出てくるので、驚いてしまいました。いつかこのお酒を飲んでみたいと思いながら、東海会を後にしたのです。
その日はたまたま早く帰ることができたので、帰りに骨董屋さんの前を通ったのですが、ちょうど閉店前10分でしたので、ちょっと顔を出してみることにして、店の中に入っていきました。するといきなり店の人が「越山さん、いいところに来た。いいお酒が手に入ったんだわ」というのですね。「えっ、なんというお酒ですか」と覗いてみたら、
ぬわんということでしょう。
【九平次】ではありませんか。しかも私にくださるという。「本当にいただいちゃっていいんですか」と念押ししたのですが、「私にはこちらがありますので」といって一升瓶の【九平次】が出てきました。「これだと家まで持ち帰るのは大変でしょうから」といって、私に4合瓶を渡してくれたのです。「日本酒のためなら一升瓶でも持って帰れます」と言いたかったところですが、そこはぐっと我慢して、ありがたくいただいて家へ帰ったのでした。
冷蔵庫で冷やした後、さっそく翌日お気に入りの李朝初期の徳利と、これも李朝初期の三島の盃でいただいたのですが、まさしく至福の時間を過ごすことができました。うまかったなぁ。手に入る店を教えてもらったので、今度は自分で注文して溜め込んでおくことにしようと思っているのです。
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骨董
2009年6月20日土曜日
総会続きの一週間だった
~2年目が終了したのです~
5月の下旬から6月にかけては総会のシーズンとなります。会計士協会東海会関係の総会や他士業団体の総会に企業の総会と、かなりの出席回数です。私の場合、5月23日(土)の司法書士会の総会に始まり、翌週の30日(これも土曜日)は三重県会、さらに翌週は、1日(月)が愛知県会、2日(火)が静岡県会、4日(木)が岐阜県会に東海会の総会と、総会一色です。
昨年までは、各県会の総会は、東海会の総会の前後2週間くらいに亘って行われていたのですが、各県会の決算が東海会の決算に取り込まれるため、原則的には東海会の総会の前に各県会の決算承認を取っておく必要があるということなのですね。確かにそのとおりなのですが、行う方はなかなか大変なのだ。
東海会の総会も無事終了し、私の任期3年間のうちの2年間が終了し、残り1年となりました。例年ですと、東海会の決算が赤字になるということはなく、毎年、東海会の活動が不十分なのではないかとか、会費を値下げした方がいいのではないかという、同じような質問をいただくのですが、今年の東海会の決算は、どうだどうだの赤字決算なのでした。予算に比べると確かに未達成の部分もあるのですが、会員の皆さんから集めた会費ですので、派手に使うわけにもいかず、このくらいの赤字でちょうどいいと思っています。芸術的なくらい見事な着地点でした。
そのほかの質問としては、会計士協会が単一会だということで、最近本部に権限が集中しすぎて、地域会の特色がなくなってしまうのではないかというご意見もありましたが、東海会はやりたいことをやっているので、そんなことはないのです。
各県会の総会の中では、県会の存在自身を問う質問など、重いテーマの質問もあったのですが、県会をどうするか、地域会をどうするかは、東京会の再編がすんだ後の大きなテーマとなってくるのではないかと思います。
この2年間、私は「魅力ある東海会創り」をテーマに掲げて、自分なりに楽しみながらやってきました。法人の業務もそれなりに面白い面もありますが、協会の仕事ははじめて経験することが多く、人脈も広がるし、充実感を持ってしかも伸び伸びと仕事をすることができるため、いろいろ楽しませていただきました。特にこの1年間は、全国研究大会があり、中日本五会研究大会もあり、しかも、協会とは直接関係はありませんが、HNKドラマの制作にもかかわらせていただきました。楽しい一年だったなぁ。
そして、いよいよ任期の最終年度の3年目に突入です。私にとっては、この1年間をどうやって過ごすかという問題と、そしてこちらの方がもっと深刻な問題なのですが、任期が終わった後どうしようかという問題の両方を抱えながら、活動していかなければなりません。とりあえず、あと一年かけてゆっくり考えることにするのです。
総会記念ゴルフはあいにくの雨でしたが、ダブルペリアの帝王牧野さんがまたしても優勝。牧野さんにダブルペリアで運を使い果たさせてはいけないと思い、私もひそかに優勝を狙っていたのですが・・・総会疲れという事で・・・言い訳ですけど・・・。
5月の下旬から6月にかけては総会のシーズンとなります。会計士協会東海会関係の総会や他士業団体の総会に企業の総会と、かなりの出席回数です。私の場合、5月23日(土)の司法書士会の総会に始まり、翌週の30日(これも土曜日)は三重県会、さらに翌週は、1日(月)が愛知県会、2日(火)が静岡県会、4日(木)が岐阜県会に東海会の総会と、総会一色です。
昨年までは、各県会の総会は、東海会の総会の前後2週間くらいに亘って行われていたのですが、各県会の決算が東海会の決算に取り込まれるため、原則的には東海会の総会の前に各県会の決算承認を取っておく必要があるということなのですね。確かにそのとおりなのですが、行う方はなかなか大変なのだ。
東海会の総会も無事終了し、私の任期3年間のうちの2年間が終了し、残り1年となりました。例年ですと、東海会の決算が赤字になるということはなく、毎年、東海会の活動が不十分なのではないかとか、会費を値下げした方がいいのではないかという、同じような質問をいただくのですが、今年の東海会の決算は、どうだどうだの赤字決算なのでした。予算に比べると確かに未達成の部分もあるのですが、会員の皆さんから集めた会費ですので、派手に使うわけにもいかず、このくらいの赤字でちょうどいいと思っています。芸術的なくらい見事な着地点でした。
そのほかの質問としては、会計士協会が単一会だということで、最近本部に権限が集中しすぎて、地域会の特色がなくなってしまうのではないかというご意見もありましたが、東海会はやりたいことをやっているので、そんなことはないのです。
各県会の総会の中では、県会の存在自身を問う質問など、重いテーマの質問もあったのですが、県会をどうするか、地域会をどうするかは、東京会の再編がすんだ後の大きなテーマとなってくるのではないかと思います。
この2年間、私は「魅力ある東海会創り」をテーマに掲げて、自分なりに楽しみながらやってきました。法人の業務もそれなりに面白い面もありますが、協会の仕事ははじめて経験することが多く、人脈も広がるし、充実感を持ってしかも伸び伸びと仕事をすることができるため、いろいろ楽しませていただきました。特にこの1年間は、全国研究大会があり、中日本五会研究大会もあり、しかも、協会とは直接関係はありませんが、HNKドラマの制作にもかかわらせていただきました。楽しい一年だったなぁ。
そして、いよいよ任期の最終年度の3年目に突入です。私にとっては、この1年間をどうやって過ごすかという問題と、そしてこちらの方がもっと深刻な問題なのですが、任期が終わった後どうしようかという問題の両方を抱えながら、活動していかなければなりません。とりあえず、あと一年かけてゆっくり考えることにするのです。
総会記念ゴルフはあいにくの雨でしたが、ダブルペリアの帝王牧野さんがまたしても優勝。牧野さんにダブルペリアで運を使い果たさせてはいけないと思い、私もひそかに優勝を狙っていたのですが・・・総会疲れという事で・・・言い訳ですけど・・・。
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徒然
2009年5月7日木曜日
神田の駅前でのストリートファイト
~酒に飲まれてはいけません~
先日、SMAPの草なぎさんが、酒に酔って困ったことになってしまったようです。私も飲む機会が多いのですが、新人の頃、熱海で行われた事務所の忘年会で、酔って涙を流しながら「我々の監査はこんなことでいいいいのですか」と、仕事でいつも一緒の主査とパートナーに殴りかかってしまったことがあったので、それ以来、記憶がなくなるほど飲むということはなくなりました。
酒癖の悪い人は、どこの世界にもいるものです。日頃は非常にまじめで、口から出る言葉は常識ばかりの人でも、いったんアルコールが入ってしまうとそれまでの言動をどこかに置き忘れてしまったかのように、人格が突然変異を起こしてしまうのです。タイプ的にはすぐからんできて説教を始める人や暴力的になる人、社内の人の噂話しかしない人や泣き上戸などいろいろあるようですが。
ごく親しい男と酒を飲むときには、あまり言葉を交わさずに、静かに飲みたいものであると考えている私としては、できれば酒癖の悪い人とはお友達になりたくないものであると常々考えているのです。仕事上は、いつもチームを組んで行動しているため、仕事終了後は帰りに仲間と一杯やることはよくあります。気の会った仲間と飲みに行くときは楽しい酒になるため、仕事の疲れを忘れることができるのですが、お付き合いで断りきれずにしぶしぶ後をついていくとき、そしてそのメンバーの中に酒癖の悪い人がいるときなどは、せっかくのお酒も台無しになってしまいます。
大昔のことになりますが、結婚式を間近に控えたある日、今思えば早く家に帰ればよかったものを、仕事帰りに先輩に一杯やろうと誘われ、神田にある小さな居酒屋ののれんをくぐったのがそもそもの間違いのもとでした。最初のうちはみんなで和やかに談笑していたのですが、途中からTの様子が急におかしくなり始めたのです。それは、U先輩の「お前はまだ専門学校のアルバイトをやってんのか」という言葉がきっかけでした。その時点で既にTの目がすわり始めていたのに気がついてはいたのですが、こちらも酔って気が大きくなっていたため、よせばいいのに「いつまでもそんなことをやっていてはいかんよ、きちんと監査の仕事に専念した方がいいよ」と追い討ちをかけて、Tを挑発してしまったのがいけなかったようです。
飲むピッチが早くなったなと思ったのですが、どうやら臨界点を超えたようです。いきなり上司のUさんのところに醤油のビンが飛んできました。Uさんは、いつものことで慣れているらしく、「ホッホッホッ」と笑いながら体をヒョイとひねり、なんなくそれをかわしてしまったのでした。その後も爪楊枝入れ、こしょうの入った瓶、割り箸、杯等、次から次へと飛んできたのですが、それをあざ笑うかのように、ことごとくかわしてしまったのです。私はあまりの軽快さにあっけにとられてしまいました。
投げるのがなくなってしまったTは、ブスッと押し黙ったままになってしまったため、我々もそろそろ店を出ることにしました。店を出るとTはにこにこ笑いながら、「よー、お前のカミサンになる人の写真を見せてみろよ」と言ってきたため、私も酔ったせいもあってつい喜んでしまい、写真を取り出したのでした。その写真をさっと取り上げたTは、それを地面にたたきつけるなり、足で踏みつけたではありませんか。私は信じられない状況を目の当たりにして、ただただボーゼンとしていたのですが、こんなアホにかかわっているだけ損だと冷静に考え、その写真を丁寧に拾い上げたのです。
Tは「越山さん、もう一軒行きましょうよ」と左手で私の肩を抱くようにしてもたれかかってきてので、フッとわたしの気が緩んだ瞬間でした。Tの右ストレートパンチが私の顔をめがけて飛んできたのです。不意をつかれた私はよけることもできず、唇の右側にまともに受けてしまいました。生まれてこのかた殴り合いのけんかというものをやったことがなかった(小さい頃は別として)私は、この後どう行動すべきなのか一瞬迷っていたのですが、Tの口からは意外な言葉が漏れてきました。
T「殴れよ」、
私「・・・・」
��「殴ってみろよ」
Tは両手をだらりと下げたまま、歩道の真ん中に立っていました。私はいつの間にか「お前は先輩に対してどういう態度をとったのかわかっているのか?お前のようなヤツを殴ったら、俺の手が汚れるわ」と、怒鳴り散らしていました。私はなんだかむなしくなり、たくさん集まった野次馬の視線が、我々二人に集中して注がれる中、黙って神田駅の改札をくぐり抜けたのでした。
家に帰って鏡の中の顔をのぞいて見ると、やはり口の中が切れていて、はれあがっていました。その日の夜は、何回か自宅に電話があったのですが、受話器を取る気にはならず、布団の中にもぐりこんでしまいました。翌日も同じメンバーで仕事をすることになっていたため、「Tは明日、一体どういう顔をして会社に出てくるのだろうか」と考えていたのですが、翌日Tは、前日飲みに行ったメンバー全員に、サントリーロイヤルを配りながら、「昨日はすみませんでした」と、ひたすら謝っていたのです。
「飲んだら暴れるな、暴れるなら飲むな」、今でも酒を飲むときは、このことを忠実に守ろうと思っているのです。
お酒は楽しく飲みたいものですね。
私小説第2弾でした。
先日、SMAPの草なぎさんが、酒に酔って困ったことになってしまったようです。私も飲む機会が多いのですが、新人の頃、熱海で行われた事務所の忘年会で、酔って涙を流しながら「我々の監査はこんなことでいいいいのですか」と、仕事でいつも一緒の主査とパートナーに殴りかかってしまったことがあったので、それ以来、記憶がなくなるほど飲むということはなくなりました。
酒癖の悪い人は、どこの世界にもいるものです。日頃は非常にまじめで、口から出る言葉は常識ばかりの人でも、いったんアルコールが入ってしまうとそれまでの言動をどこかに置き忘れてしまったかのように、人格が突然変異を起こしてしまうのです。タイプ的にはすぐからんできて説教を始める人や暴力的になる人、社内の人の噂話しかしない人や泣き上戸などいろいろあるようですが。
ごく親しい男と酒を飲むときには、あまり言葉を交わさずに、静かに飲みたいものであると考えている私としては、できれば酒癖の悪い人とはお友達になりたくないものであると常々考えているのです。仕事上は、いつもチームを組んで行動しているため、仕事終了後は帰りに仲間と一杯やることはよくあります。気の会った仲間と飲みに行くときは楽しい酒になるため、仕事の疲れを忘れることができるのですが、お付き合いで断りきれずにしぶしぶ後をついていくとき、そしてそのメンバーの中に酒癖の悪い人がいるときなどは、せっかくのお酒も台無しになってしまいます。
大昔のことになりますが、結婚式を間近に控えたある日、今思えば早く家に帰ればよかったものを、仕事帰りに先輩に一杯やろうと誘われ、神田にある小さな居酒屋ののれんをくぐったのがそもそもの間違いのもとでした。最初のうちはみんなで和やかに談笑していたのですが、途中からTの様子が急におかしくなり始めたのです。それは、U先輩の「お前はまだ専門学校のアルバイトをやってんのか」という言葉がきっかけでした。その時点で既にTの目がすわり始めていたのに気がついてはいたのですが、こちらも酔って気が大きくなっていたため、よせばいいのに「いつまでもそんなことをやっていてはいかんよ、きちんと監査の仕事に専念した方がいいよ」と追い討ちをかけて、Tを挑発してしまったのがいけなかったようです。
飲むピッチが早くなったなと思ったのですが、どうやら臨界点を超えたようです。いきなり上司のUさんのところに醤油のビンが飛んできました。Uさんは、いつものことで慣れているらしく、「ホッホッホッ」と笑いながら体をヒョイとひねり、なんなくそれをかわしてしまったのでした。その後も爪楊枝入れ、こしょうの入った瓶、割り箸、杯等、次から次へと飛んできたのですが、それをあざ笑うかのように、ことごとくかわしてしまったのです。私はあまりの軽快さにあっけにとられてしまいました。
投げるのがなくなってしまったTは、ブスッと押し黙ったままになってしまったため、我々もそろそろ店を出ることにしました。店を出るとTはにこにこ笑いながら、「よー、お前のカミサンになる人の写真を見せてみろよ」と言ってきたため、私も酔ったせいもあってつい喜んでしまい、写真を取り出したのでした。その写真をさっと取り上げたTは、それを地面にたたきつけるなり、足で踏みつけたではありませんか。私は信じられない状況を目の当たりにして、ただただボーゼンとしていたのですが、こんなアホにかかわっているだけ損だと冷静に考え、その写真を丁寧に拾い上げたのです。
Tは「越山さん、もう一軒行きましょうよ」と左手で私の肩を抱くようにしてもたれかかってきてので、フッとわたしの気が緩んだ瞬間でした。Tの右ストレートパンチが私の顔をめがけて飛んできたのです。不意をつかれた私はよけることもできず、唇の右側にまともに受けてしまいました。生まれてこのかた殴り合いのけんかというものをやったことがなかった(小さい頃は別として)私は、この後どう行動すべきなのか一瞬迷っていたのですが、Tの口からは意外な言葉が漏れてきました。
T「殴れよ」、
私「・・・・」
��「殴ってみろよ」
Tは両手をだらりと下げたまま、歩道の真ん中に立っていました。私はいつの間にか「お前は先輩に対してどういう態度をとったのかわかっているのか?お前のようなヤツを殴ったら、俺の手が汚れるわ」と、怒鳴り散らしていました。私はなんだかむなしくなり、たくさん集まった野次馬の視線が、我々二人に集中して注がれる中、黙って神田駅の改札をくぐり抜けたのでした。
家に帰って鏡の中の顔をのぞいて見ると、やはり口の中が切れていて、はれあがっていました。その日の夜は、何回か自宅に電話があったのですが、受話器を取る気にはならず、布団の中にもぐりこんでしまいました。翌日も同じメンバーで仕事をすることになっていたため、「Tは明日、一体どういう顔をして会社に出てくるのだろうか」と考えていたのですが、翌日Tは、前日飲みに行ったメンバー全員に、サントリーロイヤルを配りながら、「昨日はすみませんでした」と、ひたすら謝っていたのです。
「飲んだら暴れるな、暴れるなら飲むな」、今でも酒を飲むときは、このことを忠実に守ろうと思っているのです。
お酒は楽しく飲みたいものですね。
私小説第2弾でした。
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徒然
2009年5月6日水曜日
どうしてこう3月決算の会社が多いのか
~監査法人は今の時期大忙しです~
会社の決算日はそれぞれですが、一般的には大部分の会社が3月決算を採用しています。決算が締まった後に財務諸表監査が始まるため、4月の中旬くらいから6月の中旬くらいまでは、一年で一番忙しい時期を迎えることになるのです。毎年6月下旬になると、特定の日に上場会社の株主総会が集中するのですが、株主総会をスムーズに終わらせたいという思惑があるのか、とにかく3月決算の会社が多くなりました。おかげで我々公認会計士の会計監査は大変です。連結・個別財務諸表の監査に審査、内部統制の監査・審査、有価証券報告書のチェック、報告会の資料作成等、株主総会が終了するまでは、ほっと息をつく暇もないくらいです。
その間は土日もゴールデンウイークも関係なし、来る日も来る日も残業する日々が続きます。特にGWは一年で一番いい季節で、ゴルフをするには絶好の日和が続くわけですが、この仕事をやっている限り、このいい時期にゴルフをするのはあきらめなければなりません。中間決算があったころは秋も忙しく、結局、会計士がゆっくりゴルフをすることができるのは、真夏の暑い時期か真冬の寒い時期しかないのだと観念していました。今は四半期決算なので、いったいいつ休んだらいいのだ。
私も以前は、どうせGWといったところで、どこもかしこも人人人で疲れるばかり、こんな日には仕事をやるに限るなどと自虐的に笑いながら、せっせと審査資料などを作っていたものでした。そして、夜家へ帰って「今日はどこそこの高速道路のインターチェンジは50キロの渋滞でした」などというテレビのニュースを眺めて、「せっかくの休みなのにかわいそうにね」と同情することで、自分を無理やり納得させていたわけですね。
この時期は、会計士だけでなく、会社の経理の人たちも大変です。最近は決算発表の早期化が叫ばれているし、会社が作成しなければならない資料も年々増える一方です。それに会計士の監査対応もしなければならないし、しかも期限のある仕事が多いため、時間に追われるし、ミスがあって会計士に指摘されると、決算財務報告プロセスの内部統制がどうのといわれてしまうため、ストレスも相当なものだと思います。大部分の会社では、経理の方たちはまじめな人が多いので、プレッシャーに負けずにがんばってくださいと、ついエールを送ってしまいたくなります。
我々会計士の立場からは、できるだけ決算月が分散してくれると仕事が一時期に集中しなくて助かるのですが、そんなことを言っても会計士の都合で決算月が決まるわけでもなく、今後もますます3月決算の会社が増えていくような気がします。
それでは一体なぜ3月決算の会社が多いのでしょうか。暦年は1月1日から12月31日までですので、それにあわせたほうがいいような気がしますが(現に外国の会社は12月決算が多い)。流通業界などは、2月がちょうど冬のバーゲンセールが終わって、衣料品が冬物から春物への入れ替え時期にあたるため、在庫が少なくて棚卸しが楽であるという理由で、2月決算が多いようです。日本で3月決算会社が多いのは、やはり国家予算のからみがあるからでしょうか。学校の新学期が始まるからというのは、どう考えてもあまり関係がないでしょうね。
四半期決算が始まるまでは、会社の決算がばらついていたら一年中忙しいことになるので、逆に集中してくれた方が終わった後は楽になっていいではないかと考えていました。その方が7月・8月に夏休みをゆっくり取れるので、それはそれでメリハリがあってよかったわけです。今は夏でさえも、お盆休みの頃までは四半期レビューで忙しくなってきました。代休・有給で2~3週間夏休みが取れた当時が懐かしいですね。
会社の決算日はそれぞれですが、一般的には大部分の会社が3月決算を採用しています。決算が締まった後に財務諸表監査が始まるため、4月の中旬くらいから6月の中旬くらいまでは、一年で一番忙しい時期を迎えることになるのです。毎年6月下旬になると、特定の日に上場会社の株主総会が集中するのですが、株主総会をスムーズに終わらせたいという思惑があるのか、とにかく3月決算の会社が多くなりました。おかげで我々公認会計士の会計監査は大変です。連結・個別財務諸表の監査に審査、内部統制の監査・審査、有価証券報告書のチェック、報告会の資料作成等、株主総会が終了するまでは、ほっと息をつく暇もないくらいです。
その間は土日もゴールデンウイークも関係なし、来る日も来る日も残業する日々が続きます。特にGWは一年で一番いい季節で、ゴルフをするには絶好の日和が続くわけですが、この仕事をやっている限り、このいい時期にゴルフをするのはあきらめなければなりません。中間決算があったころは秋も忙しく、結局、会計士がゆっくりゴルフをすることができるのは、真夏の暑い時期か真冬の寒い時期しかないのだと観念していました。今は四半期決算なので、いったいいつ休んだらいいのだ。
私も以前は、どうせGWといったところで、どこもかしこも人人人で疲れるばかり、こんな日には仕事をやるに限るなどと自虐的に笑いながら、せっせと審査資料などを作っていたものでした。そして、夜家へ帰って「今日はどこそこの高速道路のインターチェンジは50キロの渋滞でした」などというテレビのニュースを眺めて、「せっかくの休みなのにかわいそうにね」と同情することで、自分を無理やり納得させていたわけですね。
この時期は、会計士だけでなく、会社の経理の人たちも大変です。最近は決算発表の早期化が叫ばれているし、会社が作成しなければならない資料も年々増える一方です。それに会計士の監査対応もしなければならないし、しかも期限のある仕事が多いため、時間に追われるし、ミスがあって会計士に指摘されると、決算財務報告プロセスの内部統制がどうのといわれてしまうため、ストレスも相当なものだと思います。大部分の会社では、経理の方たちはまじめな人が多いので、プレッシャーに負けずにがんばってくださいと、ついエールを送ってしまいたくなります。
我々会計士の立場からは、できるだけ決算月が分散してくれると仕事が一時期に集中しなくて助かるのですが、そんなことを言っても会計士の都合で決算月が決まるわけでもなく、今後もますます3月決算の会社が増えていくような気がします。
それでは一体なぜ3月決算の会社が多いのでしょうか。暦年は1月1日から12月31日までですので、それにあわせたほうがいいような気がしますが(現に外国の会社は12月決算が多い)。流通業界などは、2月がちょうど冬のバーゲンセールが終わって、衣料品が冬物から春物への入れ替え時期にあたるため、在庫が少なくて棚卸しが楽であるという理由で、2月決算が多いようです。日本で3月決算会社が多いのは、やはり国家予算のからみがあるからでしょうか。学校の新学期が始まるからというのは、どう考えてもあまり関係がないでしょうね。
四半期決算が始まるまでは、会社の決算がばらついていたら一年中忙しいことになるので、逆に集中してくれた方が終わった後は楽になっていいではないかと考えていました。その方が7月・8月に夏休みをゆっくり取れるので、それはそれでメリハリがあってよかったわけです。今は夏でさえも、お盆休みの頃までは四半期レビューで忙しくなってきました。代休・有給で2~3週間夏休みが取れた当時が懐かしいですね。
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徒然
受験生の皆さんへ・・・もうすぐ短答式試験です
~厳しいハードルが待っているが、やるしかないのだ!~
高校時代か大学時代か忘れましたが、以前加藤諦三先生の本をよく読んでいて、その中に「人間というのは、現実をありのままに受け入れて生きていかなければならない悲しい存在である」と書かれていたのを今でも記憶しています。この言葉は当時の私にとっては大変衝撃的な言葉で、その後の私の人生における考え方の基本方針となってきました。大学受験も一度失敗し、公認会計士試験二次試験に合格したのも2回目だったし、日商の1級も2回目合格(いきなり1級から受けたのだからしょうがないのだ)、そういえばそろばんの3級合格も2回目でしたね。シンガーソングライターになる夢を捨てきれず、日商1級合格後、一年間の期間限定でがんばってみたのですが、実力不足で早々と断念したこともあります。すべて現実をありのままに受け入れてやってきたのです。そのおかげで、例えば仕事で誰かが失敗したとしても、決して怒ることはせず、「わかった。で、次どうする?」と切り替えることもできました。
古きよき時代というか、以前はそれで何とか乗り切れたのでしょうが、最近は世の中が複雑化してきており、なかなかそう簡単には割り切れなくなってきているような気がします。一般的にも、教育の現場もそうですが、職場においてさえも、いわゆる「いじめ」が横行しているようですし、必要以上に人を追い込んだりすることもあるようです。いくら「現実をありのままに・・・」といっても、無理して受け入れようとすると、どこかで何かがはじけてしまいます。大変な世の中になってきました。
5月24日には、公認会計士試験の短答式試験が実施されます。以前は、短答式試験合格後、論文式試験に合格すると、その段階でばら色の将来像を抱くと同時に目の前に可能性という文字が広がって見え、「オレは日本一の公認会計士になってやるぞ!」という気持ちになるのですが、今年はどうやら試験合格後も就職問題という悩ましい問題が待っているようです。
ここ2年ほど、試験合格者が従来の2倍以上になってしまったため、今まで人手不足だったこの業界も昨年で大体落ち着きを取り戻しました。今年は昨年並みの合格者が出た場合、就職できない試験合格者が大量にあふれてしまうかもしれません。
社会問題化する前に、早めに対策を立てる必要があると思います。このままでは試験に合格して実務補習所の修了考査に合格しても、公認会計士として登録できないということになりかねません。こちらは「現実をありのままに・・・」ではすまされない問題です。
また、仮に今年試験に合格できなかったとしても、あきらめる必要はありません。先は長いので、またチャレンジすればいいではないですか。
私はというと、あいかわらず現実をありのままに受け入れて、その中で「人生も仕事もしょせん遊びのうち」と、はぐれ雲のような心境になりました。加藤諦三先生のように「・・・悲しい存在である」などとは全然思っていないのです。
高校時代か大学時代か忘れましたが、以前加藤諦三先生の本をよく読んでいて、その中に「人間というのは、現実をありのままに受け入れて生きていかなければならない悲しい存在である」と書かれていたのを今でも記憶しています。この言葉は当時の私にとっては大変衝撃的な言葉で、その後の私の人生における考え方の基本方針となってきました。大学受験も一度失敗し、公認会計士試験二次試験に合格したのも2回目だったし、日商の1級も2回目合格(いきなり1級から受けたのだからしょうがないのだ)、そういえばそろばんの3級合格も2回目でしたね。シンガーソングライターになる夢を捨てきれず、日商1級合格後、一年間の期間限定でがんばってみたのですが、実力不足で早々と断念したこともあります。すべて現実をありのままに受け入れてやってきたのです。そのおかげで、例えば仕事で誰かが失敗したとしても、決して怒ることはせず、「わかった。で、次どうする?」と切り替えることもできました。
古きよき時代というか、以前はそれで何とか乗り切れたのでしょうが、最近は世の中が複雑化してきており、なかなかそう簡単には割り切れなくなってきているような気がします。一般的にも、教育の現場もそうですが、職場においてさえも、いわゆる「いじめ」が横行しているようですし、必要以上に人を追い込んだりすることもあるようです。いくら「現実をありのままに・・・」といっても、無理して受け入れようとすると、どこかで何かがはじけてしまいます。大変な世の中になってきました。
5月24日には、公認会計士試験の短答式試験が実施されます。以前は、短答式試験合格後、論文式試験に合格すると、その段階でばら色の将来像を抱くと同時に目の前に可能性という文字が広がって見え、「オレは日本一の公認会計士になってやるぞ!」という気持ちになるのですが、今年はどうやら試験合格後も就職問題という悩ましい問題が待っているようです。
ここ2年ほど、試験合格者が従来の2倍以上になってしまったため、今まで人手不足だったこの業界も昨年で大体落ち着きを取り戻しました。今年は昨年並みの合格者が出た場合、就職できない試験合格者が大量にあふれてしまうかもしれません。
社会問題化する前に、早めに対策を立てる必要があると思います。このままでは試験に合格して実務補習所の修了考査に合格しても、公認会計士として登録できないということになりかねません。こちらは「現実をありのままに・・・」ではすまされない問題です。
また、仮に今年試験に合格できなかったとしても、あきらめる必要はありません。先は長いので、またチャレンジすればいいではないですか。
私はというと、あいかわらず現実をありのままに受け入れて、その中で「人生も仕事もしょせん遊びのうち」と、はぐれ雲のような心境になりました。加藤諦三先生のように「・・・悲しい存在である」などとは全然思っていないのです。
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徒然
2009年4月22日水曜日
東海会の監査
~会計監査とレビュー制度に仕事の充実感を見出せるか~
今日は東海会の会計監査の日で、外部の監査法人による会計監査を受けています。先週の14日には、東海会の4人の監事さんによる会計監査が行われたばかりなので、受ける方もなかなか大変です。また5月15日には、協会本部の東海会に対する監事監査も予定されており、ほんとに大変です。
会計士協会もそうなのですが、監査法人も公認会計士協会の品質管理レビューに金融庁の公認会計士監査審査会の調査があるため、どえりゃあ大変です。ほとんど毎日監査とレビュー対応に追われていたら、若い人たちの監査離れが起きるのではないかと心配です。監査の中に面白みを見出すことができればいいのでしょうが。
一般的に組織が大きくなればなるほど組織を守らなければならないという、いわゆる「組織の論理」が働くため、どうしても「個」が埋没してしまい、サラリーマン化現象が進むのはやむをえないことなのですが、大きな組織の中で大きな仕事をこなすという醍醐味もあるため、どちらを選択するかは、あとは個人の価値観や人生観の問題だと思うのです。
私のケースは、最初は大手監査法人に入所し、そこから、小→中→大といろいろ渡り歩いてきたため、それぞれの組織の良し悪しがよく分かります。最初の「大」のときは、大法人といっても個人の事務所が集まってできたところがあり、いくつかの監査室に分かれていました。私の所属していた監査室は60人~70人くらいの監査室で、しかも上下関係があまりなく、一人ひとりがプロという感じで非常に自由な雰囲気の中、大変過ごしやすい事務所でした。また、この先輩はすごいなという人もたくさんいたため、仕事をやるうえで参考になったし、仕事や趣味においてもおおらかに過ごすことができました。今考えてみると、我が会計士人生の黄金時代だったような気がします。
その後名古屋に来て地元の小さな監査法人に入ったのですが、常勤の会計士が8人しかいない事務所で、どうなるか心配だったのですが、別の大手監査法人と合併することになり、名古屋としては「中」の監査法人となりました。「中」のときは、比較的自由で仕事においても裁量があり、成長していく喜びも実感することができます。たまたま「中」のときに名古屋事務所長をすることになってしまったため、事務所を大きくしたいと死に物狂いでひたすらがんばってきました。毎月100時間以上の残業を4~5年続けていたのもこの時期で、けっこう大変でしたがそれはそれで充実していた時期だったと思います。
そして再び名古屋における「大」となり、組織としてはよかったのでしょうが、そこで働く一人ひとりの会計士にとって「大」となってよかったのかどうかは、私にはよく分かりません。多分ひとそれぞれだと思います。ただ、会計士業界としては、今後はやはり中小の監査法人がある程度大きくなっていかなければならないと考えており、どこかでまた合併や再編の波がこの業界にもやってくるのだろうなと、なんとなく感じているのです。
監査法人は再編の歴史なのですから。
今日は東海会の会計監査の日で、外部の監査法人による会計監査を受けています。先週の14日には、東海会の4人の監事さんによる会計監査が行われたばかりなので、受ける方もなかなか大変です。また5月15日には、協会本部の東海会に対する監事監査も予定されており、ほんとに大変です。
会計士協会もそうなのですが、監査法人も公認会計士協会の品質管理レビューに金融庁の公認会計士監査審査会の調査があるため、どえりゃあ大変です。ほとんど毎日監査とレビュー対応に追われていたら、若い人たちの監査離れが起きるのではないかと心配です。監査の中に面白みを見出すことができればいいのでしょうが。
一般的に組織が大きくなればなるほど組織を守らなければならないという、いわゆる「組織の論理」が働くため、どうしても「個」が埋没してしまい、サラリーマン化現象が進むのはやむをえないことなのですが、大きな組織の中で大きな仕事をこなすという醍醐味もあるため、どちらを選択するかは、あとは個人の価値観や人生観の問題だと思うのです。
私のケースは、最初は大手監査法人に入所し、そこから、小→中→大といろいろ渡り歩いてきたため、それぞれの組織の良し悪しがよく分かります。最初の「大」のときは、大法人といっても個人の事務所が集まってできたところがあり、いくつかの監査室に分かれていました。私の所属していた監査室は60人~70人くらいの監査室で、しかも上下関係があまりなく、一人ひとりがプロという感じで非常に自由な雰囲気の中、大変過ごしやすい事務所でした。また、この先輩はすごいなという人もたくさんいたため、仕事をやるうえで参考になったし、仕事や趣味においてもおおらかに過ごすことができました。今考えてみると、我が会計士人生の黄金時代だったような気がします。
その後名古屋に来て地元の小さな監査法人に入ったのですが、常勤の会計士が8人しかいない事務所で、どうなるか心配だったのですが、別の大手監査法人と合併することになり、名古屋としては「中」の監査法人となりました。「中」のときは、比較的自由で仕事においても裁量があり、成長していく喜びも実感することができます。たまたま「中」のときに名古屋事務所長をすることになってしまったため、事務所を大きくしたいと死に物狂いでひたすらがんばってきました。毎月100時間以上の残業を4~5年続けていたのもこの時期で、けっこう大変でしたがそれはそれで充実していた時期だったと思います。
そして再び名古屋における「大」となり、組織としてはよかったのでしょうが、そこで働く一人ひとりの会計士にとって「大」となってよかったのかどうかは、私にはよく分かりません。多分ひとそれぞれだと思います。ただ、会計士業界としては、今後はやはり中小の監査法人がある程度大きくなっていかなければならないと考えており、どこかでまた合併や再編の波がこの業界にもやってくるのだろうなと、なんとなく感じているのです。
監査法人は再編の歴史なのですから。
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