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2011年5月28日土曜日

節電対策その2・・・クールビズ

~ワイシャツの袖を切ってみた~


 物持ちがいいほうである。前の車は15年乗りましたし、スーツだって今着ることができる最も古いものは96年製ですのでこちらも15年。ちなみにカミサンとは26年(すみません、全く関係ないです)。子供のころから物を大事にするよう育てられましたので、一度購入したものは大事に使います。鞄や名刺入れも飴色に光っていますし、PRGRのゴルフウエアだって10年以上は着ています。

 スーツに関しては、自分の考えている退職時から逆算するともう買う必要はないため、衣類で購入するのは週末も着ることができるジャケスラと、Off時に楽しむことができる普段着です。普段着にもこだわりがあり、mon sakata」「真木千秋」「酒井真知子」オリジナルを購入して楽しんでいます。男物はレアなので、購入ルートは秘密なのだ。


 今年の夏はどうもかなり暑いようですし、節電も加わりますので乗り切るのは大変かもしれません。クールビズも5月の連休明けくらいから始めるところが多かったようです。超クールビズなる服装もテレビ等で紹介され、これが導入されると、今のところなかなか着る機会のないこだわりの普段着を着ることができるため、私としてもうれしい限りなのですが、仕事着としてはなかなか理解が得られないでしょうね。


 今までは、夏が暑いといってもエアコンをガンガン効かせているところも多かったため、夏用のワイシャツも半袖は全く持っておらず、全部長袖ばかりです。そこで今年は半袖のワイシャツを購入しようと考えたのですが、ここで物持ちのいい私は考えたわけです。長袖ワイシャツの袖を切ってしまえば半袖になるではないかと。
 さっそく5枚ほど実行に移し、出来上がってきたものに袖を通してみた(半分だけですけど)のですが、もう十分すぎるほど十分です。今年の夏はこれで乗り切ることにします。こうなったらジーンズも、膝のあたりから切り落としてしまおうかと考えたのですが、いい歳をした中高年の男が、そんなことでいいのかといった見栄えの問題もあり、こちらはやめることにしました。
 

 そういえば、最近ステテコ姿を見かけなくなったのですが、どこへ消えてしまったのだろうか。ランニングシャツにステテコをはき、麦わら帽子をかぶってサンダルをひっかける姿は、私たちが子供のころの昭和30年代の懐かしい風景です。これに冷えたスイカがあればセピア色の絵になりますね。
 今年の夏は、ステテコ復活なのだ。


2011年5月22日日曜日

節電対策その1・・・早寝早起き

~まずは歩くことから始めました~


 節電のためにまず考えたのが、朝型の生活をすることです。今の時期は日が長いので、早寝早起きをすれば部屋の明かりの電気量を減らすことができます。疲れたら早く寝てしまい、朝はカーテンを広げて太陽の光とともに目覚めるのです。そうすると健康にもいいし、頭も早めにすっきりします(早めに疲れるかもしれませんが・・・)。早く起きた分、時間も有効に使うことができます。私の場合は例えばギターの練習もできるし、のんびり抹茶をたてることもできます。さらには集中的にIFRSの本を読むこともできます(やってないけど・・・)


 それとは別に、朝早く起きるようになって最近始めたのが、歩くことです。昨年の末ごろだったと思いますが、ゴルフのホームコースで、顔なじみのキャディーさんに「越山さん、最近筋トレでもやっているのですか?上半身がずいぶんがっちりしてきましたね」と言われたのですね。30代のころは3番アイアンのティーショットでも一緒に回る人の放つドライバーショットと飛距離的にはそんなに引けはとらなかったのですが、40歳代の後半くらいからは飛距離の衰えは隠しようもなく、何とかカバーしたいという気持ちはあります。
 
 でも前川元会長からの年賀状にも「飛距離を追求するものはゴルフのすべてを失う」と書いてありましたし、もともと軟弱な私がゴルフのために筋トレなどやるはずはなく、クラブを変えてみたりシャフトを変えるなどして、何とか衰えを少しでもカバーしていたにすぎないのです。でも、キャディーさんの言葉が気になったので、家へ帰って体重計に乗ってみたら愕然としてしまいました。なんと70㎏をオーバーしているではありませんか。上半身ががっちりしてきたのではなくて、単に太っただけだったのでした。


 結婚当初一時的に70㎏をオーバーしたことはありましたが、それ以降は少しでもオーバーすると絶食して、常に67~68㎏を維持してきました。おかげで体形が変わらなかったため、一度購入したスーツは10年以上も長持ちします。会長職が終わってほっとしたため気が緩んだのかもしれません。


 最近手足のしびれがひどいので、薬を飲む以外に何か対策はないものかといろいろ調べてみると、散歩がいいというのですね。いまさら体重を減らすために絶食するのもいやだし、手足のしびれが治るかもしれないというのであれば、一石二鳥です。歩くことにしました。いつもは覚王山の駅から地下鉄に乗るのですが、池下・今池となり、今は千種まで到達。特に春のこの時期は気候がいいので大変気持ちがいいです。徐々に距離を延ばして名古屋駅前まで到達したいと考えていたのですが、先日逆に名古屋駅から伏見に向かって歩いていたら、途中で車に轢かれそうになったため、危ないのでそれは断念しました。


 東北の人たちも、復興に向けて歩き始めています。一日も早く従来の生活を取り戻すことができるよう、ひたすら祈っています。


2011年5月18日水曜日

電気の大切さを知る

~冷えたビールだけは確保したいが・・・~


 人類史上重要な発明といえるものをいくつか挙げよと問われた場合、真っ先に思い浮かぶのが「ことば」「文字」「紙」「簿記」等ですが、「電気」もかなり上位に食い込むのではないでしょうか。普段当たり前のように使っている電気ですが、電気がこの世に存在しなかったら、人類はかなり不自由な生活を強いられるはずです。


 私は朝起きるとまず洗面台の蛍光灯を付け、電気カミソリでひげをそります。その後シャワーを浴びてドライヤーで髪の毛を乾かし、お風呂場を換気します。電気炊飯器のご飯は保温されており、電気ポットにはお茶を飲むためのお湯も保温されています。冷蔵庫からおかずを取り出し、電子レンジで温め、おもむろにテレビをつけてニュース番組を見ながら朝食タイムです。トイレでは便座も適温に保たれているというわけですね。そして出勤時間までケータイも充電されています。
 このように、私たちの日常生活に電気は欠かせないものになっているのです。
 

 3月決算会社の監査で忙しくなり始めた4月の中頃、夜中に帰宅して遅い夕食を取り、後片付けをしている最中に、突然我が家の電気が全面的に落ちてしまいました。突然目の前が真っ暗状態となってしまったのです。たまたま2本だけ用意してあったろうそくとマッチを取り出して火を付け、枕元の懐中電灯を持ち出してまずは心を落ち着けました。とりあえずこの地区が全面的に停電状態なのか窓からのぞいて確かめたのですが、外は灯りがついています。また、同じマンションの様子をうかがったのですが、どうやら停電したのは我が家だけのようでした。ブレーカーは落ちていなかったし、原因がよくわからなかったので、もう夜も遅いしこのまま朝まで寝てしまおうかとも考えたのですが、電気がないと冷蔵庫の冷凍食品関係が全部だめになってしまいます。やむなく、修理を行ってくれる連絡先をインターネットで調べようとPCを立ち上げようとしたのですが、当然のごとく電源は入るはずもありません。そこで、最低1年間は保管している領収書関係の箱の中を捜して電気料金の領収書を取り出してみると、緊急の連絡先が書いてありました。深夜でしたのでつながるかどうか心配でしたが無事に連絡することができ、30分ほどで我が家に駆け付けてくれました。24時間体制で対応していただいているようで、大変ありがたいことです。


 ということで電気の大切さをあらためて認識したわけですが、このたびこの地区に電気を供給していると思われる浜岡原子力発電所が急遽停止されることになり、電力不足を解消するために私たちも節電に全面的に協力しなければならなくなりました。私の実家は、私や弟が公認会計士試験や税理士試験に合格して一人前になるまでは、大学が二人とも私学だったこともあり経済的にも大変厳しい時期を過ごしていましたので、蛍光灯は夕方7時には消してしまい、テレビの明かりで夜を過ごしていた時期が長くありました。これから夏に向けて電力消費量が増えてくると思いますが、昔はエアコンもなかったし、この時の体験を考えれば節電などいろいろやることができるのだ。でも、仕事から帰って風呂上がりに飲むビールを冷やすだけの電気だけは確保させてください。

2011年5月9日月曜日

IFRSがつながった

~熱しやすく冷めやすいとならないように~


 年末年始にIFRSの千ページ本に挑戦したのですが、結局休み中に読むことができたのは6割くらいで、完読したのは2月に入ってからでした。それまでIFRSに関しては、基本的な内容は簡単な本を数冊読み、専門的な内容は雑誌を読んでそれなりに知識を蓄えていたつもりでしたが、どうもすっきり頭の中に入ってきませんでした。実際に適用されるのがまだまだ先の話であることを考えると、そのまま何もしないまま逃げ切ってしまうことも可能ではないかと思ったのですが、会計のプロとしてはそういうわけにもいかないだろうし、やはり大学でIFRSの講座を持つことができるくらいは知識を蓄えておく必要があります。ということで、この際真正面からIFRSに取り組むことにしたというわけです。英語英語と騒いでいますが所詮会計の世界の話ですので、「どこからでもかかってきなさい」なのだ。


 千ページ本を完読して思ったのですが、今まで雑誌等で断片的に覚えていた知識が、分厚い本を最初から最後まで通して読むことによって、見事につながったような気がするのですね。この際だからASBJから出された「収益」「リース」に関する論点整理を読破し、さらにもう一冊の「初度適用本」を今読んでいるのですが、IFRSを巡っては、新聞や雑誌等で、その後もいろいろ興味深い内容が掲載されており、なかなか目が離せません。


 そういえば、内部統制監査も導入前は大いに盛り上がり、私もいろいろなところで挨拶するときには「資本市場の安定化のために、ぜひこの制度を定着させなければなりません」を決まり文句にしていたのですが、実際導入されてみるといわゆるひとつの「重要な欠陥」のある会社はごく少数に限られる反面、不正は後を絶たないようです。また制度自体も、最近、財務報告に係る内部統制に関する基準(意見書)が改定され、こちらも完読してみたのですが、どうやら内部統制監査が簡素化の方向となっています。もう安定的に定着したといえるのだろうか。

 
 IFRSが今後日本においてどのように適用されることになるのは、まだはっきりしないのですが、世界中の100カ国以上で採用されているといった記述がある一方、まったくカーブアウトせずに全上場会社に対して適用している国はほんのわずかしかないといった記事があったりして、本当のところはどうなのかよくわかりません。一時的なブームに踊らされることのないよう、情報の入手だけはしっかり行わなければならないのですが、今回の震災でなんとなく雰囲気的にIFRSが遠ざかったような気もしないではありません。ただ、いずれにしても会計の専門家であり、上場会社の監査を行っている公認会計士は、どんな結論になろうとも対応できるようにしてかなければならないのだと思います。


 突然ですが、ここで【問題】です。






以下の日本語を解読し、何の基準の抜粋か5分以内に答えなさい。

『①顧客は企業が履行する各タスクの便益を企業が「各タスクを履行するごとに」享受する ②他の企業が顧客への残存義務を満たすべき状態である場合に、当該他の企業は、その時までに履行されたタスクを再履行する必要がない・・・』

・・・・・・経営財務より・・・・・・



 

 意味がわかった人?
 でもこれを逆に英語に翻訳できる人がいるのだろうか。










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【答え】
収益認識における「連続的な移転」の判断要件

2011年4月21日木曜日

継続的にできることはないだろうか

~継続は力なり!~


企業会計原則の中に「継続性の原則」というのがあります。「いったん採用した会計処理の原則及び手続きは毎期継続的に適用し、みだりにこれを変更してはならない」という例のやつです。この原則を、今回の地震による災害復興支援と新たなる創造にも当てはめようではありませんか。


最近原発関係に報道の眼が向いているような気がしますが、震災で被害を受け、いまだに避難所等でつらい思いをしている多くの被災者の方々にとっては、まだまだ厳しく長い道のりが続きます。震災直後から、個人・法人からたくさんの義捐金が集まりましたが、これを一時的なものではなく、継続的に実施できたらいいなと思っています。新聞等によると、企業によっては、商品が一個売れるごとにそのうちの一定額を義捐金に充てる会社もあるようで、そういった会社がたくさん増えてきています。また、名古屋からもインフラ整備のために駆け付けている多くの人たちがいますし、お医者さんも被災地にいって活躍しています。弁護士さんも法律相談に応じていますし、税理士さんが行っている会計や税務に関する相談をはじめ、各士業も合同で相談会を実施しているようで大変頼もしいです。教師の方も青空教室を検討されていると聞きます。ぜひ「継続性の原則」でお願いしたいと思います。


では、公認会計士に継続的にできることはないのでしょうか?


例えば、「産学官民での地域再生にリーダーシップを発揮し、地元産業復興に向けてアイディアを絞り出す」、「東北地域産業機構の設置と活動」、等々。


もちろん政治に期待する面も大きいかもしれませんが、公認会計士にできることがこれからたくさん出てくるような気がするのです。


高校1年生の時、「ザ・ストレンジャーズ」というバンドを作って音楽活動をしていたのですが、3年になってそろそろ受験体制に入ろうと思って解散しました。そして勉強のために聞きはじめたのがラジオ講座でした。ラジオで繰り返し聞いた勝浦捨造先生の言葉が忘れられません。「継続は力なり!待てば海路の日和あり。皆さん頑張りましょうね」そう、何事においても「継続は力なり」なのです。


2011年4月9日土曜日

東北に駆けつけたい!

~いったい自分に何ができるだろうか~


東北で生まれ、高校卒業までの18年間東北で育ちました。その後東京で11年間過ごし、名古屋に来て25年になります。必要な時以外はあまりしゃべらない無口な性格と、何度はね返されてもなかなかあきらめない粘り強さは、おそらく東北で過ごした間に身に着いたのだと思っています。その東北に、今回大きな災害が襲いかかりました。


地震が起きたその日、自宅に帰って映像を見た瞬間、言葉を失ってしまいました。仕事をやっていても手につかず、すべての仕事を放り投げて東北へ駆けつけたかったのですが、そこには何もできない無力な自分がいたのです。「ペンは武より強い」といいますが、とても文章を書く気にはなれず、何も言葉が浮かんできませんでした。テレビを見ては涙し、地下鉄などで新聞を読んではこみ上げて来るものを抑えきれない日々が続きました。


こんな時、公認会計士としていったい何ができるのだろうか。
あまり思いつかなくて申し訳ないです。


結局は日本人一人ひとり、あるいは世界中の人たちの被災者に対する思いの強さが力になるのだとあらためて思いました。また、経営者の中にも自分の企業ができることを素早く判断し決断して行動する人がたくさんいました。日本の非常事態に企業の利益を顧みず行動できる懐の広い経営者がたくさんいたことが心強かったです。


では、自分は義捐金を送る以外に東北復興のためにいったい何ができるのだろうか?東北復興そして創造のためには長期間かかると思われます。東北にいつか移り住んで自分にできることがあるかもしれない。親を失った子供のために、卒業するまで教育資金を援助することができるかもしれない。皆さんも少しでも自分に出来ることを考えてみませんか。


「すったげ強い東北」はかならず復活するはずです。


2011年3月8日火曜日

編集後記がよかったです

~JICPAニュースレターの「TANZANITE」…読書のすすめ~


毎月公認会計士協会に登録している会員・準会員には「JICPAニュースレター」が郵送されてくるのですが、3月号の編集後記「TANZANITE」になかなかいい話が掲載されていました。本部の女性の広報委員の方ですが、最近どうも活字中毒になってきたというのです。書店に行くことが多くなり、そこが宝の山のように見えてきて、専門書以外のいろんな本を何冊もまとめ買いしてしまうとのこと。しかも忙しくてもつい読んでしまうというのですね。もうこの際どんどん読んでしまいましょう。


私も20代の後半から8年くらい前までは、毎年本を100冊~130冊くらい読んでいたのですが、ここ何年間かは面白そうな本を購入しても、移動時間以外はほとんど読んでいる時間がなく積読状態で、恥ずかしいことに未読の本が100冊ほどたまってしまいました。昨年の7月頃からまたワシワシ読みはじめているのですが、世界がどんどん広がるような気がして読んでいて楽しいです。


公認会計士になるには厳しい試験を通らなければならないため、いったん受験の世界に突入してしまうと余裕がなくなってしまい、どうしても視野が狭くなってしまいがちです。合格後それに気づいて、新しい世界に興味を持つようになれば、世の中を見る目が開けてくると思うのですが、中には合格後もその延長線上で過ごしてしまう人もいて、ますます視野が狭まってしまい、会計分野の単なる専門バカになってしまいかねません。


昨年の暮れだったと思いますが、東区のオレンジタウンビルにある「すし処水乃」に仲間数人で出かけ、おいしい時間を過ごすことができたのですが、食事をしながら話をしていたところ、その場にいた一人の公認会計士が、私の合格体験記を読んで勉強したというのですね。そういえば昭和56年に当時の公認会計士2次試験に合格した後、TACから合格体験記の執筆依頼があり、何人かの分をまとめてエール出版社から本が出されたはずです。確か我が家にもあったはずだと思い、年末に実家へ帰った時本棚を探してみたところ、ほこりをかぶっていましたがしっかりありました。懐かしくてページを繰っていったら、30年前の写真とともに私の合格体験記が載っていたではありませんか。細かい話は別としてそこに書かれていたのは、「日商簿記一級に合格後、公認会計士試験の受験体制に突入しようと思ったら、友人から一緒に音楽をやらないかと誘われた・・・迷ったけれど人は50年~60年かけて人生という芸術作品をつくればいいのであって、その時しかできないことをまずやるべきであると考え、1年限定で音楽へ挑戦した・・・結果的には回り道したがそれでよかったのだ」といった内容でした。今考えるとずいぶん生意気なことを書いているのですが、当時は悩み多き青年だったのだ。我が人生はもう54年もたってしまったのですが、芸術作品からは果てしなく遠い状況なのです。自分が今やるべきことは何なのか・・・仕事なのか家族を大事にすることなのか趣味なのか遊びなのか・・・を常に意識しながら行動していきたいと考えているのです。