~島岡達三の作品に出合った~
以前のブログで、日本酒「九平次」を巡る大変珍しい偶然話を書かせていただいたのですが、今度は「焼き物」を巡る偶然話です。
昨年の暮れに、一年間お世話になった骨董店へご挨拶にお伺いしたのですが、その際、人間国宝の「島岡達三さん」といって、最近お亡くなりになられた作家の作品を私にくださるというのですね。「縄文象嵌」という作法で焼かれた徳利と湯のみでした。私がそもそも焼き物(最初は現代作家)を集め始めたきっかけが、松本洋一さんという私と同年代の現代作家が焼き上げた、縄文時代の土器を思わせるような自然釉の力強い作品を見てからなのですが、縄文という言葉を聞いただけで、私の体内を流れている縄文時代の血が騒ぐのです。
その後、年末年始は実家のある秋田に帰り、30日には「怪しい税理士」と連れだって、私にとっては日本一のお寿司屋さんである「たつ福」に出かけたのです。そこに出てきたお寿司を乗せる皿が、どう見ても「縄文象嵌」なのですね。そんな偶然があるはずはないし、乏しい知識をひけらかして恥をかくのも嫌なので、その場はおいしくいただくことに専念し、満足して帰ったのでした。
年が明け、しばらく秋田には戻ってこられないと思った私は、新幹線の出発時間が14時であることを確認し、私の連れ合いを加えて3人で、名古屋に戻る当日の昼に再び「たつ福」へと向かったのでした(このあたりの時間は切符をとるときに計算済み)。お正月ということもあり、取れたての生きている伊勢エビの握り(一匹から4貫しか握れない)や、これも生きているアワビの握りをはじめ、こんなウニ食べたことないというような甘いウニなど、どうだどうだと言わんばかりの食材が、次から次へと出てくるではありませんか。(私の隣では、生モノが食べられない連れ合いが、かっぱ巻きがおいしいと喜んで食べていましたが)。
食べ終わって、これでまた働く気力が出てきたと思ったところ、お店の職人さんが「実はこの皿は人間国宝の作家が作った皿なのですよ」というではありませんか。しかも「最近亡くなったのですよ」というのですね。その言葉にピンときて、「それってもしかして島岡達三さんではありませんか」と私が聞き返したのと、お店の職人さんが「島岡達三さんというんですよ」というのが、同時に重なり合ったのでした。
今回の年末年始は、新聞とテレビはシャットアウトし、ひたすら焼き物の勉強をして、当初の予定通り10冊読破し、帰りの新幹線で11冊目を読みながら帰ったのですが、こういった偶然があるから人生というものは面白いのですね。