私の父親はPCを扱うことはできないし、スマホも持っていないので、インターネットを見ることはできません。でも、何やら私が「越麻呂日記」とかいうブログなるものを書いていることは知っているようです。
その父親が、毎月一回定期的に行われている「金桜会」という会合に出席したときのこと、その仲間たちの間で
「『越麻呂日記』というのがおもしろい」
と話題になっていたのだそうです。そうですか、うれしいです。どうやら越麻呂日記も徐々にではありますが、秋田にも浸透してきたようですね。私も張り合いがあります。もっと読んでください。
さて話題は変わって、世の中には「生き方が器用な人」というのがいるものですね。例えば、世間をスイスイス~イのスイッとわたってしまう人です。たまに見かけますが、私はそのような人は遠ざけています。
亡くなった高倉健さんは、不器用だったようですね。ご自分で言っているので、間違いないでしょう。私は不器用な人は大好きです。信用できますので。
一方、指先の器用な人もいます。残念ながら、私は不器用です。子供のころから指先がものすごく器用だったら、今頃はギターの指板の下のほうで、いわゆる「速弾き」なるものができたのでしょうが、指先の不器用さを悟った大学時代に、速弾きはあきらめました。
おかげで公認会計士になることができたのかもしれませんが、今ではギターの速弾きどころか、電卓を打つのもおぼつかなくなってきました。情けないです。
ところが、堆肥研究家は指先がとても器用です。
今年の春トウガラシの苗を3本植えたのですが、早々と1本がだめになったにもかかわらず、残った2本の苗からは、色鮮やかな見事なトウガラシができました。そして、収穫したトウガラシをひもで一つずつ括り付け、
外に吊るして干しておくのですね。
とても我が家だけでは食べきれないので、堆肥研究家が通っているカルチャースクールの人たちに分けてあげたそうです。
それでもまだたくさんあるトウガラシ、何か使い道はないのだろうか。