~なぜ刈払い機なのか~
昨年の今頃は、果樹園や畑にする予定の敷地約4千坪ほどを、必死に刈払い機で草刈りしていました。
懐かしいですな・・・と、のんびり構えているわけにはいきません。昨年ほどではないにしても、今年もある程度時間をかけて草刈りを行わなければなりません。
昨年の自分はといえば、一宮にあるコマツの教習所で刈払い機の7時間コースを受けたとはいえ、実践は乏しく、ただひたすらやみくもに「前進あるのみ」といった感じで突き進んでいました。
ところが助っ人のFさんが草を刈った後は、秩序整然と刈った草がまとめられていたのです。刈った草を後で片付けやすいようにするためだといいます。まぁ結局は刈った草はそのままにしておくのですが、でも刈った後は美しく、景観的にもいいので、私も早くこのように草を刈りたいものだと思っていたものでした。
今年草を刈っていて、なんとなくそのコツが呑み込めてきました。
以前「山茶花はなぜ『さざんか』か」という本がありましたね。もう内容は忘れてしまいましたが、名前を付けられるからにはそれなりの理由があるのだということです。
なぜ「リスクアプローチ」なのか、なぜ「循環取引」なのか、なぜ「統合報告」や「二重否定の監査意見」なのか・・・何事もその理由がわかれば、物事の本質を理解することができます。
今年の秋、私は刈払い機は「草刈り機」ではなくて、刈「払う」のだというのがわかったのです。新発見でした。
草は、刈った後で「ほいっ」と刈り払い機の回転している丸い刃に乗せるようにして左横へ払います。そして、Uターンして今度もまた「ほいっ」と左横に払うと、両方から払われた草が、双方から集められるというわけです。
刈払い機の刈払い機たる所以がわかりました。
「越麻呂さんも、ずいぶん草を刈るのがうまぐなったすな!」といわれて、私もいい気分です。
それにしても「カメムシ」はなぜ「カメムシ」なのだろうか?