このシーンで、福山はタブレットを駆使して半沢を追いつめていくわけですが、最後に半沢の逆襲が始まります。あの長いセリフです。反撃のきっかけとした言葉は、「血が通っていない」でした。福山が提案した伊勢島ホテルの再建策を、「血が通っていない」と断罪するわけです。「企業は人」「先入観だけで判断してはいけない」「現場が大事」…。その通りですね。
ドラマを見ていて、この「血が通っていない」という言葉に反応しました。どこかで聞いた言葉であると。それは、監査を受ける側からお聞きした言葉でした。その方が属する団体で、話題になっているのだそうです。
監査をする側の人たちは、大部分の人が、血が通っているかいないかなど、おそらく考えたことはないと思うし、そもそも監査に血を通わせる必要があるのかと考えているのかもしれませんが、監査を受ける側の人たちは、そのような思いをしているのだと、あらためて立場の違いを考えずにはいられませんでした。
「血が通う監査」とは、もちろん会社にとって都合のいい会計処理を容認することでは決してないし、独立不羈の第三者である監査人が、企業側に有利に立つことなど到底できることではありません。
ただ、「財務諸表は記録と慣習と判断の総合的所産である」とも言われています。監査を受ける側の立場も理解してこそ、最も望ましい会計処理ができるのではないかと考えます。
「血が通う監査」とは何かについて、ここではコメントは差し控えますが、将来再び監査をやることになったら、「血の通う監査」を頭の片隅に置いて実施したいと考えているのです。
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