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2012年1月23日月曜日

悲しい宿命 出る杭は打たれる

~出過ぎた杭と曲がった杭~




 出る杭は打たれる。悲しい宿命である。アンサイクロペディアによると、日本人の打杭主義者の割合は83%だそうです。それでは残りの17%はというと、出る杭として打たれる人なのだそうです。そうだったのか!つまるところ日本には2種類の人間しかいないということですね。出る杭を打つ人と打たれる出る杭である人と。


 出過ぎた杭は打たれないとよく言われますが、この辞典では単純に迫害が激化するだけであると結論付けています。それでも少数派はそれを乗り越えて強くなれると。


 では曲がった杭は打たれないのだろうか。あいつはしょうがない奴だから放っておけといわれると、のびのびと力を発揮して思わぬ成果をもたらすこともあるでしょう。でもそれさえも許されず、無理やりまっすぐに矯正させられ、そのうえで打たれてしまったら、なんだかかわいそうですね。


 今はすっかり忘れられてしまった人かもしれませんが、ライブドアの経営者たちがいました。個人的な好き嫌いは別として、マスコミに登場し始めたころは盛んに持ち上げられていたのですが、5~6年ほど前の1月でした。逮捕のニュースが流れ、いったん事件として取り上げられると、これでもかとばかりに打ちつけられてしまいました。あれはいったいなんだったのでしょうか。


 新聞のアンケート調査などを見ると、最近の若い人たちは保守的な傾向が強く、あまり争いごとを好まないのだそうです。なるべく目立たないように過ごし、できるだけ周囲に合わせることによって何事もなく日々を乗り切っていくといいます。防衛本能が働いているからなのでしょうね。


 もともと日本人には「侘び寂」の世界観があったはずです。焼き物の世界ひとつとっても、例えば古田織部は「ひょうげもの」と言われ、彼がプロデュースした作品などは、ゆがみや曲がりがあったものでも、それが面白いということで多くの茶人たちの心をつかんでいます。中国の陶磁器は完璧さを追求したものですが、李朝の陶磁器にはゆがみやシミがあります。でもそうした湧き出たシミさえも、当時の日本人は「雨漏り」と称し、その景色にいわゆる一つの「美」の感覚というか侘び寂の世界を見ることができたはずです。


 最近そういった日本人的な心の余裕がないというか、一定の枠から外れた人間は認めたくないというような、窮屈な世相になってきてはいないかと、心配になることがあります。

 
 ウソをついたり悪いことをしたり、人に迷惑をかけるのは問題外ですが、そうでなければ、出過ぎていても、曲がっていても、そういった個性を認めてあげて伸ばしてあげられるようなおおらかさがあるといいですね。