~8年と4カ月の歳月が過ぎ去ったのでした~
先日、雑誌「企業会計」-総特集 企業会計激動の時代を読む-を読もうと図書室へ入って、何気なく図書の棚を眺めていたところ、すぐそばに「東海会ニュース」が置いてあるではありませんか。そして同じく何気なく表紙を眺めていたら、なんということでしょう、そこには250号と記載されているではありませんか。ということで、年明けには「東海会ニュース250号記念特集号」が東海会の会員の皆様方のお手元に届くはずです。特集号には、「前東海会会長として」と「元広報委員長として」の原稿2本を事務局にすでに提出してありますので、会員の皆様方には年明けにそちらを読んでいただくとして、ブログには広報委員長時代の原稿をほんの少しだけ掲載いたします。
私が広報委員長を担当していた時に、「東海会ニュース第200号記念特集号」を発刊したのですが、東海会ニュースは隔月発行ですので年6冊発行されます。したがって200号から250号までの間に「8年と4カ月」が過ぎたことになります。私も当時は45歳でした。若かった。2番アイアンを使っていた。骨董にも興味はなかった。髭も黒かった。お酒も一升飲めた。ああ!時が経つのは早いものですね。この間自分はいったい何をしてきたのだろう?と振り返ってみたのですが、そうだ、協会の仕事をしていたのでした。この後、順調にいって300号が出るまでにはさらに8年と4カ月かかりますので、監査法人に勤務し続けたとしたら、ちょうど定年退職を迎えるころになっているはずです。その頃にはこの業界はどうなっているのだろうか?IFRSはもう導入されているのだろうか?なかなか予測するのは難しいですね。
では、150号から200号までの8年4カ月はどうだったのでしょう。広報委員長を担当する前は、広報委員と愛知県会の幹事や副会長をダブルで3期ほど勤めていましたので、この期間のほとんどが該当することになります。この間、行事が行われたといっては東海会ニュースに原稿を書きまくっていたのですが、多い時には一冊に3本ほど投稿させていただいたこともありました。会員の先生にも、失礼ながら私が勝手にニックネームをつけさせていただきまして、例えば毛利先生には「ジョン・モーリー(ゴルフのジョン・デイリーからパクリました)」、伊藤先生には「トムカ・イトー(ゴルフのトム・カイトから)」のお名前で、東海会ニュースに登場していただきました。懐かしいなぁ。この頃、東海会ニュースとは別に、「公認会計士は今日も行くのだ!」というエッセイを自己満足で書いていたのですが、今思えばこのころから原稿を書くのが好きだったのですね。すでに物置部屋化している私の自宅の部屋の机の引き出しに眠っているこの原稿を、いつか引っ張りだす機会があればいいなと思っています。
時代の流れかもしれませんが、最近は情報源が新聞や本・雑誌等の紙媒体によるものからネット経由で入手する方法に急速に移りつつあります。私のようなアナログ人間は、ケータイも電話しか利用しませんし、「iPhone」も「iPad」なるものも持っていません。こんなことで今の世の中、乗り切っていけるのであるかと思うこともありますが、それでいいのだ。紙だっていいではないか。昔は電話もFaxもコピーもなかったのである。古いものにこそ価値が見出される時代がきっとやってくるに違いありません。紙の東海会ニュースよ、ウェブに負けるな!どうか300号をこの目で見届けさせてください。