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2008年8月14日木曜日

篠原理事長の「時代と戦っている」が気にかかる

~NHKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズその7~


Q.「しいていうと時代かな・・・ある時は善といい、ある時は悪という・・・」これは、どんなことを想定しているのですか


Ans
��.日本人の自我のことです。
��.男女交際のことです。
��.例えば「旧長銀の元頭取が逆転無罪になった」ようなこととでもいいましょうか。



会計士協会の全国研究大会が終わって一段落したため、心身の静養をかねて温泉に出かけたのですが、そこで前から気になっていたことを、うちのカミサンに尋ねてみたのですね。「ある時は善で、ある時は悪というものにはどんなものがあるかな?」と。すると即座に答えが返ってきたのです。「日本人の自我」と。私などは、「男女交際」などとつまらないことを考えていたのですが、いきなり難しい言葉が返ってきたため「う~ん、なるほど」といったきり、それ以上その会話は途切れてしまったのでした。
他にも例えば「働くことの美しさ・・・ワーカホリック」「マクドナルドの店長の残業代」など浮かんできたのですが、温泉に入って、うすらぼけ頭化している状況では、なかなかいいものが浮かんできませんでした。
「粉飾決算」が、「ある時は善」という事はありうるのでしょうか?確かに粉飾決算には大義名分がつきものであり、粉飾をしなければ会社が債務超過になって上場廃止になるからとか、粉飾しなければ配当が出来ず、株主から責任を追及されるからとか、「仕方がないんだかんな!」と、なんとなくやむをえないではないかという思いがあり、罪悪感が乏しいことは事実かもしれません。堀江時代のライブドアは、むしろそのような消極的な理由ではなく、時価総額を上げたいという積極的理由から粉飾を行ったという、珍しい例だと思います。とにかく、いずれにしても、粉飾決算が「善」という事にはならないと思いますし、もちろん時代に関わらず、今後もあってはならないことだと思います。
と思っていたら、7月19日の日経新聞にこのような見出しが載っていました。「旧長銀粉飾 元頭取ら逆転無罪 最高裁判決 会計処理、違法といえず」「厳格な会計へ過渡期 新基準 明確でなく」というものです。つまり、当時は厳格な資産査定へと向った金融行政の転換期で、会計基準も過渡的な状況にあったとの判断を示したわけです(新聞記事より)。今の基準では、貸出金に対する貸倒引当金不足で、明らかに「有罪」という事になるのでしょうが、当時は新基準が強制適用されているわけではなく、緩やかな不良債権処理を事実上容認する方式だったから、「悪ではない」したがって「無罪」という事になるのでしょうね。
我々会計の専門家からすると、なんとなくすっきりしない判決ではありますが。


「男女交際」は、昔(昭和の中ごろまで?)は禁止されていたようですが、今の学校教育ではどうなっているのでしょうか?街中を歩いていても、なんとなくあっけらかんとしたものだと思うのですが、恥じらいとか控えめといった日本人の美徳は一体どこへ行ってしまったのでしょうね。