~いきなり先生と言われてしまった新人の頃~
現在の補習生の実務補習所入所式が昨年の12月だったため、各監査法人に入所された方々は、もうそろそろ入所後3カ月ということで、監査実務に駆りだされて慣れない日々を送っていることと思います。
私が監査法人に入所した頃も、1週間ほどは事務所内で研修を受けたり監査調書をみたりしていましたが、その後はすぐに監査現場に駆り出されました。10月入所だったので、ちょうど中間決算監査の真っただ中だったからです。今では各法人とも研修制度がしっかりしているため、1が月ほど社内研修を受けることになっていると思いますが、それでも試験と実務はまったく異なるため、監査の現場に出るといろいろわからないこともたくさんあると思います。何しろ、会計士試験に合格したといっても、それはあくまで教科書的なことばかりですので、私の場合のように実務を全く経験したことがない人にとっては大変です。なにしろ、伝票一枚起票したこともない者が会社の帳簿を監査しようというのですから、今考えるとずいぶん無謀な話だと思いますが、最初はだれでもそうなのです。
私のデビュー戦は、池袋にあったA社でした。監査調書がたっぷり入ったジュラルミンのケースを持ち運び(これは新人の役目なのですが、今のようにキャリーバックではなかった)、タクシーに乗り込んで会社へ行ったのはいいものの、何をやったらいいのか全く見当もつかず、足が地についていない状態でした。
会社に到着すると経理の方をご紹介されたのですが、名刺を交換するなり、いきなり「先生、よろしくお願いします」などというではありませんか。先生っていったい誰のことかいな?と思っていたのですが、ただいまの状況から察するに、それはなんだか自分のことのような雰囲気でした。ここで余裕をもって「まぁ、まかせなさい」とでもいうことができたのなら、「あいつは大物だ」ということにでもなるのでしょうが、私の背中にはタラーリと冷たい汗が流れていたのです。
いざ仕事に突入して、社員の先生に「越山君、精査しなくていいんだからね、試査でいいんだからね」とは言われてみたものの、何をどう監査していいのか全くわかりませんでした。いったい会社にはどういう帳簿があるのかすらわからない状態だったため、監査調書用紙を前にしてボーゼンとしているうちに、時間だけがどんどん過ぎていってしまったのです。
本当は、会社の人に「どういう帳簿があるのですか」と聞けばそれで済むことなのですが、最初に経理の人にセンセーなどと言われてしまったため、先生というものは何でも知っていなければならない、したがってつまらない質問をしてはいけない、要するに笑われたくない、あいつはアホだと思われたくないという意識が先にたってしまい、なにも質問できないような精神状態になってしまっていたのでした。
チームの先輩たちはというと、自分の仕事に没頭しており、とても仕事を教えてくれそうな気配すらありません。「仕事は自分で覚えるものである」と身にしみて理解したのはこの時でした。この考えは、今では自分の信念みたいなものになっており、よく上の人に「若い人にもっと丁寧に仕事を教えてやれ」ということを言われたものでしたが、やはり仕事は自分で覚えようという意思がなければ身に付かないものであり、また、自分で仕事を覚えたいという意思のある人は、こちらが黙っていても覚えるものなのです。
それはともかく、とにかく監査調書を作らねばと焦っていた私は、とりあえず一番楽そうな「受取手形の監査手続」からやろうと決心し、意を決して会社の人に「この手形を見せてください」と言ったのです。「はい、センセー」といった会社の人は、しばらくすると受取手形なるものを持ってきてくれました。受取手形というものはこういうものである、ということはもちろん知ってはいましたが、何を隠そう恥ずかしい話、受取手形の現物を見たのはその時が初めてだったのです。
私は正直に、「いや~、手形の現物を始めてみましたわ~、これが手形というものでしたか、ハッハッハ・・・」などというと、会社の人は最初は「このセンセーは一体何を言っているのだ」と不審そうな眼でこちらを見ていたのですが、事情を説明するとやっと理解してくれたらしく、やさしく笑ってくれたのでした。その後は、こちらが実務に関してはほとんど素人だということを会社の人もわかってくれたため、逆に経理の人から実務を教えてもらうような形となり、仕事も比較的スムーズに進んだのですが、一日が終わったらどおっと疲れましたなぁ。
帰り際に今は亡きGさんが、「越山君、ウチの連中は聞かなきゃ誰も教えてくれないよ」と言ってくれたのを今でも覚えています。そのとき、「あっ、仕事ぶりを観察されていたな」と思うと、また背中にタラーリと冷や汗が流れ出たのでした。
「センセーといわれるほどバカじゃない」とはよく言われる言葉ですけれど、20年以上たった今でも、センセーと言われるのは本当にいやなものです。
デビュー当時の思い出でした。