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2014年4月18日金曜日

酒器の面白さ


~古いものにだわりたい~

 骨董を収集するといっても、焼き物はもちろん木製品・ガラス・書・掛け軸・絵画・布・仏像・勾玉等それこそたくさんの種類があります。骨董市へ行ってみると、その種類の多さには驚かされるばかりですが、その中でもやはり焼き物の占める割合は、かなり高いのではないでしょうか。そして最も高価なものは、なんといっても茶道具でしょう。茶碗一個が数千万円というのも珍しくないそうです。

 
 私は、茶碗は好きですが、茶道はどうも自分には合わないので、茶道具に対する執着はあまりありません。私がこだわりたいのは、やはりというか酒器です。茶碗は、物本来のよさのほかにも、箱書きがあると値段が跳ね上がり、また伝来の良さも値段を決める際の大きな要因になります。私みたいな単なる酒飲み親父には、そこのあたりがなかなかついていけないというわけです。
 

 酒器に関しても、もちろん伝来の良さが関係してきます。青山二郎・小林秀雄・あるいは白洲正子旧蔵などとなったら、値段も跳ね上がったりすることもあるのでしょうが、茶碗ほど極端なことはないでしょう。また、ほとんど日常使いにできますので、物さえよければ、私は仕覆や箱書きにはこだわりません。巾着袋一つあれば、外へ持ち歩くこともできますので、フットワークも軽いです。
 

 酒器にはもちろん、現代物にもいいものもたくさんありますが、やはり古いものにこだわりたいです。なぜ古いものがいいのかは、言葉で表現するのは難しいのですが、あえて言うと、やさしさがある、味がある、それに同じものが二つとないといった希少性、かっこいい、自分だけが持っているといった優越感でしょうか。一度はまったらやめられない、まさに麻薬みたいなものです。吸ったことないですけど。

 それに、昔の人たちが使っていた時の周りの景色はどのようであったのかという、想像する楽しさもあります。

 

辻清明さんはじめ、小山富士夫さんなどいわゆる現代の陶工と言われる人たちも、古い酒器をたくさん集めていろいろ勉強されたと聞いています。いくらいいものであっても、経年変化あるいは使用による変化といったものは、300400年たたないと表れてこないものです。

例えば同じ志野でも、桃山時代のものと、現代の名陶工と言われる荒川豊三や魯山人の創ったものとは明らかに違います。これはいかんともしようがありません。また、昔のものが今も残っているということは、発掘品を別にすれば、それだけ大切に扱われてきたということでもあります。
 

 酒器に関しては、基本的には使えるものですので、口当たりの良さや手触りの良さが大事です。また、一つ一つが小さいため場所を取らないし、種類や形もたくさんあります。窯もさまざまです。それゆえ数多く集めることもできます。したがって、その時の気分で、毎日とっかえひっかえ使うことができます。

 欠点としては、その分集めてもきりがないというか、なかなか終わりがない、終着点にたどり着けないといったところでしょうか。
 

 酒器は、使えば使うだけ変化が生じ、とろとろになってきます。おお、お前もずいぶん飲んできたのだなぁと、語りかけるのも、楽しみの一つです。