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2015年1月29日木曜日

短かったフェイスブック生活

~時代から取り残されていく人(私のことです)~

 仮住まいの時は、テレは地上波だけでした。それでも特に不便は感じなかったのですが、村の集会所は「光テレビ」にしました。

 9日に引っ越したのですが、いろいろあって、結局ネットがつながりテレビを見ることができたのは、21日。光テレビはチャンネルが50~60くらいあるらしく、それはそれでうれしいのですが、何を見たらいいのか探すのが面倒です。


 テレビがない間は、スマホと新聞が頼りでしたが、地方へ行くほどS社のスマホはつながりにくいという噂は本当でした。エスペランサ村周辺ではS社のスマホはまったく使えなかったのです。きちんとした町中なのに・・・。ひどいです。

 結局、D社の製品に変えました。それにしても、なにかにつけて「解約の手続き」には大変なエネルギーを必要とするのですね。


 D社のスマホには、頼んでもいないのに一定期間無料のアプリを15くらい挿入されました。一つ一つ解約するのは大変です。電話でアプリの解約をお願いしたところ、オペレーターは、「我が社はそんな売り方はしていない」といっています。お試しアプリをなかば強引につけるのは、そのお店独自の判断なのでしょうか。自分で解約するのはスマホに精通していないと時間だけがかかってしまいますし、お年寄りには解約は無理です。


 高齢者が多い地方だと、知らないうちに無料期間が過ぎてしまい、本来払わなくてもいい利用料を払っている人がたくさんいるのでしょうね。あくどい商売だと思います。


 思えば昔は電話だってなかったのです。我が家に電話が付いたのは、中学生のときでした。それまでは、電話が設置されているご近所の人が我が家まで走ってきて、「電話ですよ」と知らせに来てくれていました。古き良き時代です。


 そういえば、ファックスというのは不思議ですね。原稿の文字や絵が、電話回線を通っていくのか空中を飛んでいくのかよくわかりませんが、どうやって相手先の用紙に、どの文字もはぐれることなく、きちんと順番に秩序整然と届くようになっているのでしょうか。

 考えると寝られなくなるので、あまり考えないようにしましょう。


 さて、せっかくスマホを変えたので、この際「ツイッター」「フェイスブック」なるものに挑戦してみることにしました。挑戦というところがすでに危ういです。


 HP制作の時はテキストがあったため、それを熟読しながらコツコツと仕上げていったのですが、ツイッターとFBは、スマホから(これが失敗のもとでした。PCから入って行けばよかった)感覚的に設定していったので、どうも慎重さが足りなかったようです。いけませんね。


 ツイッターを設定しながら思ったのですが、おそらく使わないです。突然、私からのお知らせが舞い込んだ方には、ご迷惑をおかけしてしまいました。


 FBは、私がとても関心を持っている音楽関係の方々が、ブログではなくてFBを中心に情報発信をしていらっしゃるので、私も始めてみることにしたのでした。


 結局その方々とは、お友達になることができたのですが、昨日FBの設定のところをいろいろいじっていたら、急にメールが舞い込んできました。


 「何者かがアカウントに不正にアクセスした可能性があります」と。えっ?


 そしてそれを解決するためには、身分を証明するもの、つまり「免許証」をアップロードしろということなのですね。


 「写真を送ることができない」をクリックすると、もうそれ以上進むことができなくて、結局FBにログインできません。てか、そもそも「免許証のコピーを送れ」というのは、なんだか怪しいですね。


 結局もうこれ以上どうすることもできません。我がFB人生は、あえなく終わってしまったのでした。





2015年1月27日火曜日

積雪ゼロ

~増えてきた移住者~

 今年の冬は、雪が少ないようですね。この辺りはとうとう積雪ゼロとなりました。


 今は、道路の両側に除雪車で寄せられた雪の残骸が少し残っているだけで、道路には全く雪がありません。せっかく雪に備えて購入した除雪機「エスペランサ4号」は、残念ながらまだ出番なしです。



 
 この状態なら、もしかしてゴルフができるのではないかと思うのですが、だめですかね。このまま早く春になってほしいです。


 このところ多くの県や市町村で、移住者を呼び込む試みがなされているようで、中にはかなり実績を上げているところもあるようですが、移住の妨げとなる原因の一つが「雪」だと思います。

 もともと北国生まれで18歳まで東北で過ごした私にとって、雪は見慣れた光景で特に抵抗はないのですが、都会で生まれ育った人なら、雪は躊躇するかもしれません。それでも、北国に移住してくる人は、結構増えてきているみたいです。


 先日行われた、公認会計士協会・秋田県会の新年会の会場となったレストランは、結婚式場等を経営している地元でも有名な会社のフランス料理のレストランでした。その会社の専務さんは、まだ30歳代の中ごろで、東京出身の(元)公認会計士でした。


 トーマツに9年間勤務した後、同じ職場の秋田県出身の公認会計士と結婚されて、一昨年の夏に秋田に移住してきたそうです。思い切った決断ですが、奥様が「秋田美人」でしたので、よ~くわかります。公認会計士の資格のままだと、研修単位を取っている時間がないため、思い切って業務廃止されたそうです。新しい世界で頑張れ。


 エスペランサ村のある町は、積極的に移住者を呼び込むというわけではないようですが、地元の新聞にはよく、他市町村の移住者の特集記事が掲載されています。


 昨日、梅並木の剪定をお願いした庭師のFさんともいろいろ話していたのですが、Fさんの造園会社にも、東京から勉強しに来て8年になる方がいらっしゃるそうです。ぜひ秋田に定着して、Fさんと一緒に村の集会所近辺の庭を、手掛けてほしいものです。


 隣町にも東京から移住してきた30歳代のご夫婦が、古民家を借りて住んでいるそうですし、「自然農園」のKさんや、「人生の楽園」に登場したYさんも、私にとっては移住の先輩です。


 同じような考えの人たちが、だんだん増えてきているのだと思います。



2015年1月26日月曜日

新年会

~初顔合わせ~
 
 名古屋に住んでいたころは、愛知県会の新年会は毎年1月下旬でした。私がまだ30歳代前半のころから、今は亡き岩田先生に引っ張られて、毎年出席させていただいてたのですが、当時は会長経験者や顧問相談役の先生方が中心で、いつまでたっても参加メンバーの中で一番若い私は、いつも隅っこのほうに控えていたのでした。でも、そのおかげで皆さんに顔を覚えていただきました。懐かしいです。


 最近の愛知県会の新年会は、以前に比べるとだいぶ若返ったような気がしますが、それでも若い人にとってはまだまだ敷居が高いのでしょうね。今年はどんな顔ぶれだったのでしょうか。昨年は、私の前の会長の前川先生が日程を勘違いされたようで、お会いできなかったのが、今でも心残りです。


 この地の新年会は、引っ越しの翌日、1月10日でした。皆さん初めてお会いする方々ばかりでしたが、新日本監査法人の公認会計士が4~5人参加されていました。そういえば、この地の地銀の監査は新日本さんでしたね。ほかの皆さんとも名刺交換させていただいたのですが、様々な経歴の方がいらっしゃるようでした。


 私の隣に座った新日本の若い会計士は、秋田県出身でした。東京へ出て資格を取ったのですが、地元に配属されたようです。出身地を考慮していただける人事はあたたかみがあっていいですね。いずれこの地を離れてあちこちで活躍されると思いますが、いつかまた戻ってきて、地元のために頑張ってほしいです。


 ほかにも、古くからこの地でご活躍されている先生もいらっしゃいました。お名前だけは存じ上げていたのですが、初めてお会いする方ばかりです。


 私の正面のK先生は、私が最後に退職した某監査法人に勤務していた方で、法人が一県一事務所を目指していたころに、秋田営業所を立ち上げた方でした。いずれ私もその後釜に・・・と思っていた時期もありましたが、残念ながら方針がガラッと変わり、事務所は閉鎖。K先生はそれに伴って退職され、地元に残られたようです。お会いするのは初めてでしたが、お酒強いですね。


 
 懇親会の前の臨時総会で、早くも次期の役員人事の話があり、私もありがたいお話をいただいたのですが、今の私は坂道をいろいろ寄り道しながらゆっくり下っている段階ですので、またギアチェンジして坂を上り始めるつもりは毛頭ありません。


丁重にお断りしたのでした。





2015年1月22日木曜日

固定資産税評価

~地域の特性~


 不動産を取得すると、固定資産税がかかります。不動産取得税と異なり、毎年支払わなければならないので、結構負担になります。億単位のお金を投入して豪邸を建てたものの、固定資産税が払えなくて泣く泣く手放した・・・という話も耳にしたことがあります。相続の時も、家屋は固定資産税評価額となるため、高く評価されると負担が増しますので、注意しましょう。


 私の場合、初めて固定資産税を負担することになったのは、16年前に名古屋にマンションを購入した時でした。その際は、名古屋市の職員が固定資産税額を算定するためにマンションに来るといったことはなかったのですが、決定した評価額は納得のいくものでしたので、賦課決定された金額を支払っていました。


 さて今日、村の集会所の家屋の評価をするために、役場の方がいらっしゃいました。事前に専門家や経験者・業界の方々からいろいろ話を聞いていたのですが、通常来る人数は1~2人、時間は15分から30分くらいかけて調べていくということでした。まぁそうでしょうね。


 村の集会所の評価に来たのは、3人でした。そのうちのお二人は、すでにエスペランサ村の土地の評価の際にお会いしていた方でしたので存じ上げていたのですが、もう一人は若い人でした。その人は名前は名乗りませんでした。


 若い人は、家に入るなり私に質問します。


 「インターフォンはどこですか?」


 私は、なんでインターフォンなのか疑問に思いながらも、役場の方に敬意を表して案内します。すると若い人は、インターフォンをあちこちさわりながら私に尋ねます。


 「録音機能は付いていないのですか?」


 「はぁ?」


 インターフォンに録音機能がついていると、固定資産税評価額が大きく異なるのだろうか?後で調べてみましょう。


 その若い人は、「あっ、忘れてた」とつぶやくと、リビングから廊下をどすどす歩いて行って、ドアを大きな音を立てて開け閉めしています。私の口から、戒めるための言葉が出かかりましたが、ぐっと腹の中に呑み込みました。


 その若い人は、あちこち部屋をのぞいては


 「居間は真壁、あそこは大壁、ここも大壁、大壁・・・」


 とつぶやいています。若い人は、どうやら大壁かどうかのチェックが任務だったようです。大壁なら固定資産税評価額が高くなるのでしょうね。


 大壁の人(名前を名乗らなかったので)は、こんどは台所に入っていきました。何をしているのかと思っていたのですが、今度はシステムキッチンの幅と奥行きを測っているようです。システムキッチンの長さが、固定資産税評価額に大きく影響するのだろうか?後で調べてみましょう。


 今度はトイレです。トイレに入るなり聞かれました。


 「トイレに換気扇はありますか」


「・・・???」


 そういえば、今朝、役場の方々がいらっしゃる前にトイレを使用していたので、においがまだ残っていたのだろうかと、一瞬ドキッとしたのですが、そういうことではないようです。換気扇が見当たらなかったので、私は思わず


 「窓を開けて換気しています」


 と答えます。トイレに換気扇があるかどうかで、固定資産税評価額に大きな影響を及ぼすのだろうか?後で調べてみましょう。


 この建物は古材を使っているのですが、古材を使うと固定資産税評価額を下げる調整をします。役場の方々は、当然わかっていただけているはずですが、私は一応それとなく念押しします。


 一番驚いたのは、写真を撮った枚数でした。とにかく写真、写真、写真です。ウォークインクローゼットの中も収納庫の中もさらには食品庫の中や押し入れの中で・・・。さすがにこれにはびっくりです。固定資産税評価額に関するところを数枚撮っていくのなら、まぁしょうがないかなと思うのですが、これほど数多くの写真を撮る必要があるのだろうか。今度は「プライバシーの侵害」という言葉が頭の中をよぎります。


 結局、調査時間は1時間を超えました。後で別の市町村の専門家数人に聞いてみたのですが、「地域によってはいろいろあるが、そこまで念入りに調べるというのはあまり聞いたことない」ということでした。「地域の特性」ということなのでしょうか。


 調査のやり方が「地域の特性」なのか。こちらは後で地域の人たちに問い合わせてみることにしましょう。









2015年1月21日水曜日

越麻呂日記再開

~あたたかい人たち~

 1月8日・9日の二日間かけて、仮住まいから村の集会所までの引っ越し(歩いて15分の距離)を終えました。それぞれトラック2台での引っ越しでしたが、無事終了。よくこれだけの荷物が、名古屋のマンションに入りきっていたものだと、不思議な気がしました。

 まだ一部名古屋に荷物を置いてあるのですが、また名古屋に行くこともあるので、当面そのまま置いておくことにしましょう。
 
 
 当初は、14日にネット環境が整備される予定でしたが、思い込みと行き違いがあって、今日の夕方にずれこんでしまいました。越麻呂日記もやっと再開です。

 

 
 引っ越しが終わって村の集会所に住んでみて、まず最初に思ったのは、設計家の方と建設業者の方々への感謝の気持ちです。


 もう一昨年になりますが、6月末に監査法人を退職し、7月2日にはもうこの地に足を踏み入れていました。それまでは、いくら探しても適当な場所が見つからなかったのがうそのように、幸運にも広大な農地に巡り合うことができたのです。

 そしてもう8月には、名古屋で設計家の西方さん(あっ!名前出したけどいいですね)と顔合わせをしていました。それから約1年半。一区切りで気分一新、やっと本格的なスタートを切ることができそうです。

 

 今回、村の集会所が完成するにあたって、最も正解だったと思ったことは、建設会社に「大友建設」さんを選んだことでした。秋田市にある建設会社です。


 社長さんがとてもまじめで仕事熱心な方で、毎日のように現場を訪れてくれていました。また設計家の西方さんとも頻繁に連絡を取り合っていただいたようです。大工さんを含め、建設会社が家族的な雰囲気だったのもよかったですね。みなさん、施主の立場になって考えてくれる、チームワークの良い、とてもあたたかい方たちばかりでした。


 みんな、ありがとね。







2015年1月8日木曜日

御礼とお知らせ

~村の集会所への引っ越し~

 今年も年賀状をたくさんいただきました。うれしかったのは、「越麻呂日記を楽しく読んでいます」というコメントでした。


 特に堆肥研究家の場合、教師生活30年ですので、友人をはじめ同僚の先生方や教え子たち、それにそのお母様方という幅広い読者層がいらっしゃるようで、年賀状でたくさん励ましのお言葉をいただきました。ありがとうございます。

 中には、「堆肥研究家が登場するのを楽しみにしています」というコメントもありました。堆肥研究家は、ますますはりきっています。私も、読んで楽しいブログ・HPにしたいと思います。今後ともご愛読のほどよろしくお願いします。


 さて、村の集会所の「完了検査」が今日終わり、9日の夕方が引渡日と決まりました。二日間かけて引っ越しです。やっとじっくり腰を据えて、いろいろなことに取り組むことができます。


 一昨年の6月末に監査法人を退職後、14ヵ月は名古屋と秋田を行ったり来たり、その後の4カ月は仮住まいと村の集会所行ったり来たり、という落ち着かない日々が続きました。こうした生活からやっと解放されます。力が湧いてきます。


 ただ、引っ越し後のネット環境が、14日に整備されることになっているため、それまでブログとHPの更新はできません。しばしのお休みをください。


 引っ越し後は、いよいよフレッシュ・スタートです。


2015年1月5日月曜日

柿酢

~試作品~


 もうほとんどテレビは見なくなったのですが、「人生の楽園」は今後の参考にというか、同志たちを見ているようで、しっかり見ています。


 番組を見ていてると、とても参考になることがあるのですが、2週間ほど前に放映された番組(再放送でしたが)では、ご夫婦が好きなことを余裕をもってやっていて、しかもそれが地域にも貢献する活動になっていました。


 番組の中で参考になったのは「柿酢」でした。初めて耳にする言葉です。エスペランサ村の周囲の人に訊いても、このあたりでは誰も柿酢は作っていないそうです。

 ちなみに、昨年干し柿をたくさん作ってみたのですが、思わぬ成果を得ることができました。こんな感じ。すでにHPには掲載しましたが、そういえばまだブログには掲載していませんでしたね。



  表面が白いのは、「柿の果糖」が表面にあらわれてきたものです。作った堆肥研究家が自慢していましたが、食べてみたら本当においしかったです。

 では、今度は柿酢に挑戦です。さっそく作ってみましょう。


 まずは柿を採取しなければなりません。このあたりでは、あちこちにたくさんの柿の木がありますが、不思議なことにほとんど実が採られることなく、放置されたままになっているような気がします。

 自分で食べる分しか採らないのか、あるいはこの地方の柿は渋ガキなので、食べるには蔕に焼酎をつけてしばらくおかなければならないし、干し柿にするのも手間がかかるし、ということで、面倒だからそのままにしてあるのか、その辺はよくわかりませんが、お願いすればいただくことはできそうです。


 さっそく夏の草刈りのときの助っ人Fjさんにお願いして、Fjさん宅の柿をいただくことにしました。柿酢は、よく熟した柿を使うそうです。昨年12月28日に柿を採ったのですが、柿酢を作るにはちょうどいい感じに熟していました。冬なので、柿を熟成させる瓶に小蝿が寄ってくることもありません。


 作り方は簡単。「甕」か「果実酒用の瓶」に、軽く表面を拭いた柿を入れます。様子を見ながらときどきかき混ぜていくと発酵して、やがて「柿酢」ができるのだそうです(柿酢を絞るのはちょっと大変そうですが)。


 半年後には結果が出るはずです。うまくいけば、今年はたくさんやってみましょう。