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2025年2月13日木曜日

鉅鹿を探せ!

 ~盃にしてしまう日本人~


 今でこそ会計の世界に身を置いていますが、大学は文学部

専門学科を選ぶ際は、西洋史学科を専攻し、ゼミは古代史


 古代史のゼミといっても専門は古代メソポタミア文明やエジプト文明でしたので、中国文明には詳しくないものの…


 鉅鹿の発掘を知らなかったのは不覚!


 そういえば遠い昔、鉅鹿の戦いというのがありましたね。

 思い出しましたよ。



 1920年における鉅鹿の地の発掘現場からは、金工品、木工品、陶磁器などが多数発掘され、世界中に流れていったそうです。


 もちろん日本にもたくさん入ってきたはずです。


 一部は個人コレクターの元に、優品は美術館や陶磁資料館に入ったのではないでしょうか。


 日本中の美術館や陶磁資料館を調べて片っ端から電話をかけ、


 「鉅鹿置いてありますか?」


 と問い合わせをし、


 「ありますよ!」


 と言われたら、車を走らせて見に行きたいところですが…

 この天気だし…まだ仕事のけりが付いていないしなぁ…。


 やむなく昨日の夕食後、DVDで浜田麻里のライブを見た後、小さな蕾の別冊「徳利とぐい吞み100」を覗いてみると…


 ありました!鉅鹿の盃が。


 鉅鹿の人たちにとっては生活雑器だったと思うのですが、日本人はこれを盃に見立ててしまうのですね。


 実に面白い!


 「厚みのある白釉の肌はふくよかな格調に満ちてこの杯で味わう酒は神秘そのものである」


 と書いてありました。 


 鉅鹿はどこにあるだろうか。

 

 一度お目にかかりたいものです。

 





2025年2月11日火曜日

鉅鹿のその後

~小山冨士夫の本~


 鉅鹿のことがもっと知りたくて、名古屋のこもれび書房から「世界陶磁全集」を購入。


 鉅鹿の地は、1108年(北宋の時代)に川の氾濫で水没してしまったのですが…

 この際全集のうち「宋」だけでなく「遼・金・元」「明」の3冊を購入しました。


 分厚い古本が3冊届いたので、ざっとページをめくってみましたが…


 鉅鹿がない!


 磁州窯の作品画像はあるものの、鉅鹿手の作品は見当たりませんでした。


 読むのは大変そうなので、じっくり活字を追うのは仕事が一段落してからにしましょうか。


 他に手元にある本も見てみましょう。

 鉅鹿が載っていそうなのは…と。


 ありました!

 昭和38年発行の「盃と徳利(小山冨士夫編)」


 小山さんの書く文章は、つくづく一流だなと思います。


 監査法人を退職後すぐ、名古屋の大須観音前にあった古本屋さんから、「小さな蕾」という雑誌の過去30数年分380冊ほどをまとめて購入しました。


 名古屋にいるうちに一通り読んだのですが、まだまだ勉強不足を痛感します。


 冬はまだ続きそうなので…

 もう一度目を通しましょうか。




2025年2月8日土曜日

鉅鹿

 ~君は一体何者?~


 「陶説」という雑誌を読んでいたら、青柳恵介さんのエッセイが掲載されていました。


 「以前鉅鹿(きょろく)の盃を持っていたが、手放してしまった…手放したことを後悔している」というものでした。


 鉅鹿? 知らない…。


 青柳さんは、鉅鹿は朝鮮陶磁の本歌だといいます。

 鉅鹿を知らずして、朝鮮陶磁は語れない…ということでしょうか。


 俄然興味がわいてきました。


 傍らにある陶磁器関係の本や雑誌をいろいろ調べて見ましたが、鉅鹿は出てきませんでした。


 ならば最後の手段!


 陶器関係の広辞苑ともいうべき、「原色陶器大辞典(加藤唐九郎編)」で調べましょう。

 頁をめくるのは、十年ぶりくらいになります。


 ありました! 鉅鹿。

 

 「鉅鹿の発見は、中国陶磁史を考えるうえでロゼッタ石の発見に相当しよう」


 と、結んでいます。


 なるほど…そうだったのか。勉強不足でした


 原色陶器大辞典によると、鉅鹿と磁州窯とは深い関係にあるようですが、磁州窯で頭に浮かぶ盃がありました。


 確か…「緑青」という雑誌に掲載されていたような…


 手元にある1991年10月発行の「古美術緑青」No4に、「辻清明コレクション 魯山人旧蔵」の鉅鹿の盃が掲載されていました。


 これだ…鉅鹿の盃!

 何度も何度も目を通した盃でした…てっきり磁州窯だとばかり思っていました。


 君は…鉅鹿だったのか!