カテゴリリンク

2008年8月17日日曜日

今年も受験の季節がやってきた

~この時期、受験生はどのような気持ちで過ごすのでしょうか~


 もうすぐ公認会計士試験が始まります。昨年合格者が今までの約2倍となり、従来に比べたら受かりやすくなったかもしれませんが、やはり難しい国家試験であることには違いありません。受験生の皆さん、大変お疲れ様です。


 私も今をさかのぼること約30年近く前は受験生だったわけですが、当時はいわゆる二次試験が最大の難関でした。もともと生まれが東北であるということと、当時は仙台の試験会場にはクーラーが効いていたため、仙台で受けることにしたのです。
 仙台に行く前に、東京の高田馬場駅付近で友人と待ち合わせをして、「では、行ってくるよ」と話したところ、レジュメの入った紙袋で両手がふさがっていた私の姿を見て、「それがお前の青春の重みというヤツだな」と笑って言っていた友人の言葉を、つい最近のことのように、今でもはっきり覚えています。


 合格発表の日の朝6時、約束の電話のベルは鳴りませんでした。合格の手ごたえは確かにあったはずなのですが・・・。前日の夜から飲み始めたロバートブラウンは、すでに三分の二ほどなくなっていましたが、頭の中は冴え渡るばかりでなかなか寝付けません。午前3時ころ、ウトウトしたような気がしますが6時前にはパッチリと目が覚め、視線はアイボリーホワイトの電話に釘付けになっていました。
 数日前、同じ受験仲間だったHM氏に会い、「6時には発表になるから受かっていたらすぐ電話するよ」と言われたばかりだったので、その言葉をじっと信じていたのです。
 「この1年間、やれるだけのことはやった。もう一年この勉強を続けろといわれても、気持ちが続かないだろうな。今回落っこちたらもう受からないだろうな。でも、だめだったらもう一度やるしかないだろうな。親父には、去年いつまで居候するつもりだ(実はこの年の3月に大学を卒業し、浪人生活をしていたのだ)といわれているしなぁ」などという事をぼんやり考えているうちに、時計の針は7時を回り、8時を通り越し、そしてもうすぐ9時になろうとしていたのです。
 「しかだねなぁ~、もう一年やるべが」と覚悟を決めかけたとき「リ~ン!早く出ろ!」とばかりに、それまでおとなしかった電話のベルが、突然けたたましく鳴ったのです。ベッドから飛び起きて、受話器をわしづかみにして耳に当てたところ、そこから聞こえてきたのは、これまた受験仲間のHS氏からでした。その時私は「コシちゃん、受かっているよ」という言葉を確かに聞いたのですね。
 頭の中が真っ白になり、やったぁぁぁぁぁ!!とばかりに右手の拳で思わずガッツポーズを作っていたのですが、HS氏の「イッチャン(同じく受験仲間の市村君で、今の協会本部の常務理事)も受かっていたけど、僕はだめだったよ」という言葉を聞いたときは、おもわず唾を飲み込んでいました。私は高まる気持ちを押し殺して「残念です。またがんばってください」というようなことを言うと、静かに受話器を置いたのです(その後HS氏も合格)。そしてアパート内で隣近所のことも何も考えず、大きな声で「ウッシャ~!」と叫んでいたのでした。


 とりあえず、秋田の実家に電話しなければと思い、ダイアルを回そうと(当時はダイアル式の電話だったのだ)思ったのですが、興奮して手が震え、指がうまくダイアルに掛からないのです。やっとの思い出ダイアルを回したところ、受話器の向こうに出てきたのは母親でした。母親は今日が合格発表日であることを知っていたのですが、「もしもし、オレだけど」という私の言葉に対して、開口一番「落ちたべ~」でした。
 なぜ、「落ちたべ~」なのか、それは大学受験のときに前科があるからなのです。「絶対受かっているから」などと親に言っておいて、発表のときに親に電話で言った言葉が「落ちだ」でした。そのときの親の落胆ぶりは、顔には出さなかったものの相当なものだったようで、今回の公認会計士二次試験も、試験終了後、私がいくら「絶対に受かっているから心配するな」と言っても、ぜんぜん信用していないようでした。ぐやじい!
 「落ちたべ~」と耳元で言われた私は「受がった~!」と受話器に向って大声で叫んでいました。母親は「いがった、いがった」と言った後は、言葉になりませんでした。私もなんとなくジ~ンとこみ上げてくるものがあり、「もしかしたら今の自分は、今まで生きてきた中で一番充実した時間の中にいるのかもしれないな」などとぼんやり考えていたのです。「とりあえず、お父さんに教えてくるから」と言い残し、母親は電話を切ったのでした。
 父親は手術のため入院していました。思えば昨年、1回目の受験に失敗して、大学へも行かず、自宅でごろごろしていたときに、「いつまで居候しているつもりだ!」とムチを打ってくれたのは父親でした。これからはやっと自分の足で立って歩いていけるのです。そう思うと自然に力がこみ上げてきて、「お~し!やってやろうじゃないの」と、柄にもなく力んでしまったのでした。