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2008年8月17日日曜日

懐かしい人に出会えた全国研究大会

~忘年会で大暴れしてしまったことを思い出したのです~


 サラリーマン会計士川柳(サラカイセン)の148にも書いたのですが、先日行われた全国研究大会では、前夜祭や懇親会で、大変懐かしい人たちに出会うことができました。今はなき大手会計事務所の東京事務所に勤めていたとき以来ですので、もう22~23年ぶりくらいになります。
 前夜祭では、IKさんという女性が私のところに来てくれてのですが、お会いした瞬間その人とわかったくらいで、ほとんど変わっていないのですね。一年後輩だったのですが、そのころはスタッフ同士みんな仲がよく、一緒に旅行へ行ったりしていたのですが、そのときの写真が笑顔のまま、未だに私のアルバムの中から微笑みかけているのです。
 懇親会ではKMさんにお会いしました。KMさんは、私が入所当時、主査だった方で、仕事に対しては大変厳しい方でした。その代わりといっては何ですが、お互いお酒が大好きでしたので、いつも仕事帰りに飲みに連れて行ってもらったものでした。懇親会のときも二人で地酒を何回もお代わりしながら、昔話に華を咲かせていたのです。


 KMさんというと、一番強烈な思い出は、私が忘年会で暴れてしまったことです。事務所に就職すると、年末には必ず忘年会に参加することになります。何しろ全員顔をそろえて一箇所に集まるということは、どこの会社でも結構珍しいのではないでしょうか。ましてや監査法人の場合、いつも数人で行動しているため、ほぼ全員そろうのは、新年会と忘年会、それに夏の全体研修くらいしかありません。今では忘年会といってもスマートな感じになって、不参加を決め込む人もいるようですが、昔は参加するのは当たり前、みんなの前で何か一つ芸をやらなければ一人前とみなされないような雰囲気はどの会社にもあったような気がします。
 会社の人がそろって熱海などへ行き、温泉に入って浴衣に着替え、それぞれ各人に与えられたお膳を前にして、偉い人の挨拶を、ビールがぬるくなってしまうのを気にしながらじっとこらえて聞いている。そして、乾杯の音頭があっていざ歓談が始まり、だんだん盛り上がってくると、みんなで手拍子をとって歌を歌い、また、芸達者な人が日頃から鍛えたかくし芸を披露する・・・といったところが、昔の日本のサラリーマン社会の由緒正しい忘年会だったような気がします。
 10月に入所して、最初の忘年会は箱根で行われました。その時生まれて初めてテニスを教えてもらったのです。その後、浴衣に着替えて卓球大会が始まります。卓球はほとんどみなさん学生時代に試みた経験があるだけに、なぜか熱が入って盛り上がってしまうのですね。そして、いよいよ宴会へと突入するわけですが、ここで必ず行われるのが新人の挨拶と芸の披露です。同じ新人のKW氏は、青江美奈の“伊勢崎町ブルース”で色っぽく歌い、拍手喝采を浴びていました。私の場合は、挨拶と自己紹介が結構受けたので、芸の方は、歌を歌うことだけで勘弁してもらいました。
 宴会もどんどん進んでくると、ビールやらお銚子をもって、みんなについで回る人が多くなってきます。新人の私はどうしていいかわからず、自分の席でボーゼンとしていると、そこへ同期のYGさんがやってきました。彼は「コシチャン、ちゃんとみんなにお酒をついで回らなければいけないよ」と忠告してくれたため、私もビール瓶を持って、YGさんの後をず~っとくっついていったのでした。「う~ん、これかぁ、サラリーマン社会の忘年会というものは」と、ほとんど感動したのを覚えています。


 2回目の忘年会は、西熱海で行われました。2回目ともなると、私も多少余裕を持って臨むことができたのですが、逆にそれが災いして、かなり深酒をしてしまいました。宴会が終わって、各々気の会う仲間同士がグループを作り、各部屋で飲んでいたのですね。私は、若手グループで集まって飲んでいたのですが、そのうちTが部屋にやってきました。彼も私もかなり酔っていたのですが、プロレスごっこのような恰好になり、酔った勢いで私はTに対して、布団の上にバックドロップを食らわせてやったのです(もちろんおふざけですが)。Tはふらふらと立ち上がると、おもむろに窓の方へ行き、窓伝いに隣の部屋へ行こうとするではありませんか。夜も大分更けてきて、外は真っ暗でよく見えなかったのですが、確かこの部屋は十数階だったはずです。そのことに気がついた我々は、あわててTの行動を止めようとしたのですが、Tは我々の制止には耳を貸そうともせず、ベランダ(あったかな?)伝いに隣の部屋へ行ってしまったのでした。今考えると、ずいぶん無謀なことでした。
 さて、一段落すると、みんなで他の部屋をのぞきに行きました。入った部屋は、中堅クラスの人たちが集まっていた部屋でした。そこではなにやら仕事上の難しい話をしたようです(というのは、このあたりはかなり酔っていたため、あまり記憶がないのです)。はじめのうちは、私もただ黙って話を聞くだけだったのですが、そのうち監査実務に対して自分が抱いていた理想と現実のギャップを訴えなければならないという思いに駆られ、酔った勢いも手伝って「今の我々の監査はこんなことでいいのですか?」と、涙をぽろぽろ流しながら訴えていたのでした。


酒を飲んで酔っ払うと、タイプ的には
��1)はしゃいでしゃべりまくる人
��2)怒りっぽくなり、説教する人
��3)泣き上戸
��4)愚痴っぽくなる人
��5)何も変わらない人


と、まぁ大体5段階くらいに分けることが出来ます。私は普段はどちらかというと⑤に属するわけですが(そうじゃないという人もいますが)、このときは③に属する人になっていたようです。そして後から聞いた話ですが、前にいた部屋でプロレスごっこをやっていたこともあってか、その部屋にいた私の仕事上の上司に当たる人達、つまり今回懇親会で久しぶりに再会したKMさんにも殴りかかって行ったらしいのです。私の今までの人生で、酒を飲んで記憶をなくしたのは、後にも先にもその時だけでした。その後そうなったかは、誰も話してくれなかったし、私も聞くのが怖かったので、黙っていることにしたのです。


 次の日は、懇親ゴルフでしたが、朝起きると真っ先にトイレに直行する羽目になりました。そして、スタート前の記念撮影の直前にももう一度、みんなを大分待たせてしまいました。そして、1組目のスタートだったのですが、記念撮影の後も我慢できずにトイレに直行し、そこでまたしても皆さんを待たせる羽目になってしまったのでした。5番アイアンで打ったティーショット(この時の写真は、今でも私のアルバムに貼ってあるのですが)は、いきなり右45度方面に飛んでいきOB。二発目も、すかさず「打ったらすぐ走る人」になっていたのでした。
 途中でギブアップしようかとも考えたのですが、何度も水分を補給しながら18ホールを回り終わったときには、もうヘロヘロ状態になっていました。でも、コースから見た富士山がきれいだったのは、なぜか鮮明に覚えています。


 翌日の朝、KMさんに忘年会での出来事をわびたのですが、「まぁ、酒に酔った上でのことだから」とはいってくれたものの、しばらくは飲みに誘ってはいただけませんでした。でも、今回こうして全国研究大会で久しぶりにお会いして、再び大吟醸の入ったグラスを重ねて、昔話をしながら一緒に飲む機会に恵まれ、本当によかったなぁと思っているのです。KMさん、名古屋までお越しいただいて、本当にありがとうございました。来年は、また新潟大会でお会いしたいものです。