~身近になった黒石の仲間たち~
黒石中学を離れることになったのは、急なことでした。
クラスのみんなには、お別れの挨拶をした記憶があるのですが、ほかのクラスのみんなには、ろくに挨拶もせずに黒中を去ってしまったという思いが、その後長い間ずっと尾を引いていました。またいつでも来れるからと、無理やり自分を納得させていたのです。
でも結局その後の46年間で、黒石を訪れたのは、記憶ではわずかに2回(いろいろ話していたら、どうやら3回)でした。東京そして名古屋へと行くにつれ、黒石はとどんどん遠くなっていきました。
同期会の会場受付に到着します。幹事のうちの3人はすぐに私に気が付いてくれたのですが、何しろ46年ぶりです。58人集まりましたが、お互いすぐには気が付きません。
写真撮影のためにみんなが集合して並んだ際に、突然声がかかります。
「越麻呂君来てるの?」
「ここにいますよ」
と手を振りながら私。
「え~!」とか「わ~!」とか、一瞬歓声が上がったような気がしましたが、気のせいだろうか?
私に気が付いてくれるだろうかと心配していたのですが、これで一気になごみます。
乾杯の挨拶は、幹事の方が気を使ってくれたのか、なんと私。卒業していないのにいいのだろうかと思いましたが、私のことを思い出していただけるのならありがたいです。
座席はすでに決まっていました。こういった場合、私はコップを持って各座席を回って歩くというのが苦手なのでいけませんね。本当はあちこち回ってなるべく多くの人に声をかければいいのでしょうが・・・。
二次会はもう盛り上がって大変です。みんな大声でしたので、なかなか話が聞き取れません。終盤は陸上部の仲間と昔話。女性たちは沖縄から、東京から、あるいは埼玉からこの日のために駆けつけてきたといいます。なんという絆の強さでしょう。
そして三次会は1時間ほどでしたが、2~3人でゆっくり話すことができました。
翌日午前中も、無理やりでしたが少し時間をとっていただき、とても懐かしく、そして楽しい時間を過ごすことができました。
名古屋に住んでいれば、もしかしたらもう会えないかもしれないと思っていた人たちでしたが、こうしてお会いすることができて改めて思ってみると、エスペランサ村から黒石はすぐ近くなのですよ。
エスペランサ村と黒石とを何かで結びつけることはできないだろうか。これからいろいろ考えてみましょう。
黒中同期の皆さん、いつでも黒石に行くはでね!