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2013年12月16日月曜日

公開処刑

~身近なところで行われていないか~

 最近、新聞で「公開処刑」という活字を目にして驚いています。「粛清」という文字もありました。「俺に従わないと、こういう目にあうぞ」という見せしめなのでしょうか。寒々しいです。


 作家の五木寛之さんの本に、「生きることは面白い」というタイトルの本があります。この本の中に、昔日本でも行われていた残忍な公開処刑の話が出ています。「戦国時代のコワーい話」というところに、具体的な記述があるのですが、日本でも昔はかなり残忍な方法で、公開処刑が行われていたようです。戦国時代に生まれなくてよかったです。私なんかは真っ先にやられるでしょう。つい思い出してしまいました。


 では、現代日本ではどうなのでしょうか。日本には死刑制度があるため、ごくまれにではありますが、死刑が執行されたという記事が新聞に載ることがあります。でも、もちろん人の命を、公開処刑で奪うようなことはしません。


 日々の仕事においてはどうでしょうか。私は仕事を行う上では、あまり人をしかりつけたり、怒りをあらわにすることはありませんでした。記憶では、少しだけ声を出して怒ったのは、30年以上の勤務生活において、2回だけです。逆に怒らないので怖いという人もいましたが、実際「仏の越麻呂」でした。


 でも、みんながいる前で、人をしかりつけているシーンには、何度か出くわしました。いわゆる世間で最近言われているところの「ブラック企業」では、こういった小さな「企業内公開処刑」が、頻繁に行われているのでしょうか。


 
 人は誰でもミスをします。でも、仕事上ミスをしてしまった人を、「企業内公開処刑」してはいけません。実名で公開してしまえば、その人は組織内で死んでしまいます。


 懲罰人事の公開も同様だし、つらい人事をさらし者にするのもいけません。一流企業では、決してこのようなことはありえないと思います。やり方によっては、組織の構成員の、組織に対する帰属意識は薄れていくし、何も生れないでしょう。


 グローバル化が叫ばれ、企業を取り巻く環境が厳しくなればなるほど、人に対する「思やり」は、大切になってきます。