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2012年1月30日月曜日

世界の初めに言葉ありき

~言葉は神とともにあったのです~




 私はキリスト教徒でもなんでもないので、聖書に特に興味があるというわけではないのですが、新約聖書「世界の初めに言葉があった」というような趣旨から始まるのだそうです。言葉は神とともにあったのだと。そうだったのか。たぶんそうだと思っていたけど。

 
 以前ある女子高で、生徒とその親を対象とした土曜セミナーで講演を依頼されたときに、世界の3大発明はなんだろうかというテーマを取り上げたことがありました。自分なりに答えをある程度用意していたのですが、上位を占めるのはやはり「文字」であり「紙」でありまた「電気」や、さりげなく「簿記」なわけです。決して「ケータイ」「シャワートイレ」ではないのですね。


 そんな中でやはり「言葉」は外せないでしょう。聖書の最初に「言葉は神であった」といっているわけですから間違いありません。


 若いころ「SEPIA」という小冊子を発行していたことがありました。このブログのように、徒然なるままに身の回りで起こった出来事を文章にまとめ、自分で編集して印刷し冊子にして配っていたのです。自分一人で辛抱強く書き続けていたのですが、諸般の事情があったのと、ちょうど中国で天安門事件が起こり、あとはご存じの通りの出来事があって、一言でいうと「弾圧」といえるのでしょうが、それに嫌気がさしてしまい、「SEPIA」もそこで廃刊にしてしまいました。今もその時の冊子はすべて大事に保管してあります。


 その大事な「言葉」をおろそかにするような軽い発言のなんと多いことでしょう。また逆に「キジも鳴かずば撃たれない」とばかりに、きちんとした言葉で国民に説明しようとしない政治家にも失望してしまいます。言葉に自信がないのでしょうか。


 ただ、日本は今のところ戦時下とは違って自由主義国家ですので、言葉や文字を封じ込めてしまおうということが行われていないだけ、まだ救われるのかもしれません。かといって、自分の姿を隠してなんでも発言していいというわけではありませんが。


 消費税の税率アップをはじめとする増税策もいろいろ議論して、その過程を言葉で情報発信し、それぞれの利害を超えた、より良いあり方を求めていく姿勢が大事だと思います。