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2008年8月14日木曜日

初めて本を書いた25年前のこと

~時間があったらじっくり本を書いてみたいのだが~


秋田の高校時代の友人に、縄田屋というのがいるのですが、彼とはその後も長い付き合いになっています。大学時代、私は文学部西洋史学科という立場でありながら、途中で会計士を目指してしまい、縄田屋は、商学部でありながら作家を目指すという、なぜか妙なめぐり合わせになってしまい、お互い変わったやつだなぁ~と言い合っていたものでした。
その縄田屋がある日、大変魅力的な話を持ってきたのです。まだ公認会計士二次試験に合格して1~2年目のころだったと思います。それは、本を書いてみないかという話でした。
「面白法律雑学読本」という本を出すのであるが、その税金版を出そうということになり、彼の友人に会計士がいるということで、私が指名されることになったわけです。
本を書けるという自信はまったくなかったのですが、こんなチャンスはめったにないと思い、「ワシに任せなさい」と大見栄を切ってしまったのでした。会計士の書く本というのは、どうしても硬いものが多いため、出来るだけ面白おかしく書いてやろうと決心したのです。
本の形式は、まずはじめに質問があり、それに対して回答をA.B.Cと三つ用意し、その中から正しいものを選択するという方式で、後は解説をつけるというものでした。今、私がHNKドラマ「監査法人」Q&Aシリーズでやっている、あの方式ですね。


結局仲間にも執筆を依頼し、221の問題と回答を作り上げたのでした。毎日毎日仕事が終わった後、机に向って原稿を書くというのは、なかなかつらいものがありましたが、やがて本になって世の中に出回ることを考えると、ついついヨロコビを感じてしまい、真夜中にアパートの狭い部屋で、一人ニヤニヤ笑っていたのでした。


書き上げた原稿を、出版社に渡してから本が出るまでの間が、なんと長く感じられたことか。ある朝、日経新聞に目を通してみたとき、一面の下のほうに、囲みで新刊本の紹介として「面白税金・経済雑学読本」という文字が目に飛び込んできたときは、本当に自分の書いた本が世に出るんだなと、実感したものでした。
後日、出版社から本が送られてきたため、あちらこちらに配って回りました(今見てみると、第一刷発行が、昭和59年1月30日となっています)。同僚の会計士からは、内容について指摘もありましたが、本をこの世に送り出したというヨロコビでおおらかな気分になってしまい、「え~の、え~の。そんな細かいことはえ~の!」とえ~のおじさん化していたため、あまり気にも留めませんでした。でも、本当は読者の批判には、謙虚に耳を傾けなければならないのだ。
その後、いろんな本屋を回ってみたのですが、やはり置いてあったのですね、ワタクシ達が書いた本が。おもわず鼻の穴がムフムフと、5ミリくらい膨らみましたね。「秋田の第一勧業銀行の待合室さも置いであったや!」と、秋田に住んでいる私の弟(つまり、今の怪しい税理士)からも電話があり(彼も執筆者の一人だったのだ!)、そ~か、そ~か。そんな北の果てにもワシらの書いた本が置いてあるのかと、なんとなく「遠い都会の下宿に暮らしている自分の息子を思う、地方の田舎に住む年老いた親の気持ち」に近いものになりましたね。
ところが、最後にたった一つ思わぬアクシデントがありました。あの縄田屋が、この本を最後に、会社を辞めると言い出したのです。原稿料として○○万円(買取だったのだ)と書いてある小切手を私のところに持ってきたその夜は、二人で練馬にあるスナック小麻木で、朝まで飲み明かしたのでした。


今すぐにでも、本の2~3冊は書けそうな気がするのですが、夏休みが終わるとまた仕事に追い回されることになって、目の前の業務をこなすのに精一杯という事になるのでしょうかね。